257 sideアルベド
苛立って仕方がない。
(ほんと、お人よしすぎんだろ……)
俺の愛しているやつは、好きなやつは、稀にも見ないお人よしの馬鹿だ。力はある癖に、その力の使い方を見誤るような馬鹿。だが、そんなやつに俺は恋したんだ。
分かってる。それが、決して報われることのない片思いだったとしても。それでも、あいつの笑顔を守れさえすれば、そうすれば、あいつがその瞬間だけでも俺のことを見てくれると思ったから。
巻き戻った世界。何も感じず、なにも思わず生きてきた。きっと、戻ってもそこにいるのはあいつじゃないってわかってた。でも、そいつはいた。戻ってきた。自分の身体と、奪われたものをすべて取り返すために。そんなあいつに、あいつを助けられるのは自分しかいないと思った。だから、俺は身を粉にしてでも助けるって決めたんだ。
「アルベド・レイ、貴様」
「何だよ。皇太子殿下。皇太子殿下には関係ないことだろ?」
「関係ないことだと?」
「だって、皇太子殿下にも、婚約者がいるって……はあ、この話何回目だと思ってんだ?」
「……」
「それとも、浮気か。俺のステラに惚れたのか?」
「貴様のものではないだろう……もの扱いして」
「ハッ、どっちが」
すべてがイラつく。
忘れちまって、中身が違うあいつを愛している皇太子が。忘れて、そいつを愛しているのなら、俺がステラを大切にするからその場所を譲ってくれてもいいだろうって、そう思った。けれど、ステラの気持ちがそこにない以上、俺は一生ステラの相棒どまりなのだ。パートナー。その座さえ失ってしまったら、俺には何が残るというのだろうか。
だからこそ、反論してくる皇太子に、反論できなくなるくらい完膚なきまでに意趣返しして黙らせようと思った。だが、やっぱり、あいつの根幹にあるものは、ステラなのだ。忘れていても、ステラのことが忘れられない。封じ込められた記憶の中にステラがいるから。
「そうよ。リース。なんであの女にかまうのよ。貴方の婚約者は私でしょ?」
途中で口をはさむあばずれも、その体をステラに返してやってくれねえかなと思う。これ以上、ステラが傷つくところを見たくなかった。
(でも、本当は、俺自身が傷つきたくないのかもな……)
自ら選んだいばらの道。でもそれは自分を惨めにするばかりの道だった。
それでもいい、それでも、と言い訳をするが、それに気づいているステラも苦しそうだった。俺らの関係は、相棒であって恋人じゃない。距離が近くても許されるのは、あいつのパーソナルスペースがガバイからだ。
皇太子の腕にしがみつく女は、俺の方を睨みつけた。なぜ俺にだけ洗脳が効かないのかそう言いたげな目で。そして、お前は敵だと憎たらしい目で。
(ハッ、どっちが悪者か分からねえな)
前の世界で、少しあいつのことを知った。少しだけ近くにいた。だが、俺は相いれない存在だとバッサリと切った。ステラと同じ顔だったのが、俺の心臓に引っかき傷を入れるようで痛かった。同じ顔でも中身が違うとこうも違うのかと、そう思うくらいには、俺はこいつのことが嫌いだった。
皇太子の名前を呼び合い、挟まれた黄金の彼は、苦渋の決断を迫られているように顔を歪めていた。優柔不断で決定力にかける。洗脳がいいわけにつかえるのはいいかもしれねえけど、ステラを悲しませる一方だった。
ステラだってわかっている。わかっているからこそ、言わない。あいつは強いから。
そうして、皇太子がステラに手を伸ばし、俺は思わずその手をはじきそうになった。だが、彼の手をはじいたのは俺の手ではない、ステラの手だった。
ステラの表情は見えなかった。見ようとして反射的に顔をそらした。自分が傷つくからか、それとも、ステラの苦しくて悲しい顔をこれ以上見たくないからか。
いや、見てはいけないと思ったのだ。
それと同時に湧き上がってくる怒りというのは、確かで、感じられた中でも五本の指に入るくらい熱を帯びたものだった。
「触らないで」
「だが、ステラ嬢……ステラ」
ステラの寂しくて悲しい声が響く。俺が間に入って守ることもできたが、きっと、ステラはそれを良しとしないだろう。過保護になりすぎていると、注意された。過保護の何が悪いんだと言い返せば、これ以上返せないと言われた。返す必要はない、隣で笑っていてくれと言えればよかったのに、それすらいえなかった。ようは俺も臆病で、決定力にかける弱虫なんだ。もちろん、ステラ限定だったが。
ピリリとひりつくような空気の中、ステラは意を決したように言葉を紡ぐ。その言葉をいうのに、どれだけ悩んだのだろうか。考えるもつらかった。
俺はあいつじゃないけれど、あいつの顔を見ればだいたいわかる。ステラが俺のことをわかってくれるように。
「……聖女様の言った通り、アンタには、聖女様って婚約者がいる。なのに、何で私をかまうの?」
「それは」
「分からないまま、私にかまわないで。アンタにかまわれるたび、私は勘違いしそうになる。アンタ、それが狙いなの?それとも私を?」
「俺は」
握った拳の内側から血がにじんでいた。黒い手袋の下に広がる赤い鉄は、バレたらまたステラに何か言われるだろう。
光と闇は共存できると、俺の夢を一歩近づけたステラ。その力で、俺を癒してくれるかもしれない。痛みを伴っても、その先にある幸せは痛みを伴う価値がある。
(ほんと、イラつくよな……)
今すぐその手を切り落としたい。その口を切り裂きたいほどに、俺は皇太子に対して怒りを覚えていた。その怒りをぶつければ、今まで積み上げてきた信頼が一気に崩れるだろうが、そんなものはどうでもよかった。もとから内容な信頼だ。でも、それもステラが――
(ステラ基準に動いてるよな。俺の生活から、ステラは切っても切り離せない……)
嫌がるだろうか、気持ち悪いと思うだろうか。そういう好意については俺は口にしなかった。するのが恥ずかしいという理由と、それが邪魔になるといけない。見誤ってはいけないのだ、本来の目的を。
けれど、抱いた怒りを放置することなど簡単にはできなかった。
「俺は……それでも、お前に拒まれるのが、嫌だ」
「嫌だって。何で……聖女様が、嫉妬するのでは?」
ステラも攻めると思った。あいつもあいつで、心に傷を負っている以上、簡単には好きな人だったとしても心を開かない。それが正しい。でも、その疑心暗鬼は辛いだろうとは思う。俺が、そうしろと言ったのもあって、それを取り入れてしまっている健気なところが愚かで愛おしかった。
それに気づかないで、慢心と怠惰を抱き、体現したような皇太子は、自分の抱いている感情に気づかないとでも言わんばかりに視線を落とした。
キッとまだ何かが足りないのだろう。彼の心を、記憶を取り戻すには。
「嫉妬か……今俺が抱いているこの感情のことなのかもしれないな」
「え?」
「……ステラに拒まれるのが、苦しい。こんな、気持ちになったのは、お前が初めてだ。ステラ・フィーバス」
ステラはそれを聞いて、また唇を強くかんだ。そんなに噛んだら血が出るともうやめろと言いたかったが、口をはさむことができなかった。
俺の荒療治から始まった、記憶を取り戻すこの方法は、果たして俺たちにあっていたのだろうかとけれど、確かに手ごたえがあった。
そして、だからこそ、ステラがこの場から離脱した……いなくなった時、抱いた喪失感は、俺だけが抱いたものではなかったんだろう。
「……ステラ」
「お前は、聖女様でも守っとけよ。俺だけが行く」
ヘウンデウン教のもとにいってしまったステラ。行先は分かっている。
この足手まといを連れていくくらいなら、俺一人で十分だ。




