255 面倒な敵
(――やっばい!)
私の辞書にはきっと注意するとか、ブレーキという言葉がないのだろう。何度同じ失敗をすれば気が済むのか、自分で自分を怒りたくなる。
(ヤバい、やばいって……!もぉ……)
もぉ、でも、やばいでもない。やばい。
なんでこんなことになったのか、本当につい数秒前のことを思い出すが、思い出すよりも先に、ここから逃げなければならないと、脳内に直接誰かが語り掛けてきているようだった。実際、そんな直接脳に語り掛けてくる人物なんていなかったし、自分自身、ヘウンデウン教についてきてしまったまずい、というだけの話なのである。
あたりを見わたすと、赤い絨毯が敷かれた黒い空間、屋敷のような場所が広がっていた。儀式場というより、本当に邸の一室のような。だが、周りにヘウンデウン教らしき人間は人っ子一人いなかった。私が気を失っている間に移動をしたのか。いや、気を失った感じはなかった。ただ本当についてきて、目を開けたらここにいた、という感じだったのだ。だからこそ、そのラグの間に何かあったとは思えない。ただ、ここがどこだか分からない以上、逃げるといっても、逃げようがなかったのだ。
「アルベドの忠告というか、聞いておけばよかったな……」
手を伸ばしてくれたアルベド。でもその手を掴めずに転移してしまい、彼はきっと焦っているだろう。私ならどうにかなる、なんてこと彼はきっと思ってくれないから、私は彼が待つしかないのかもしれ兄。といっても、そんなことをしていて、処分されたら元も子もないわけで。
(私が、フィーバス卿の娘だって知ったら、それでフィーバス卿にゆさぶりをかけるかもしれないし……)
あそこから出れないとはいえ、フィーバス卿が、私が捕まったと聞けばなんだか出てきそうな気がするのだ。そうなると、領地の方が……考えれば考えるほど、最悪のシナリオばかりが浮かんで、頭が痛くなった。全部自分のせいとはいえ、これは……
そんなことを思って、部屋の中で解決策が見当たらないまま、あたふたしていれば、扉の向こうから、コツコツと足音が聞こえ、私は身構えた。とっさに、魔法を展開してしまい、その魔力に気づいたのか、その足音は部屋の前で止まった。一人……だが、手練れだったとしたらどうだろうか。ここでは魔法が使えるが、光魔法を遮断するようなそんな力が作用していたらどうなるだろうか。
考えられる事態を予測しながら、私は扉を睨みつける。
ドアノブに手がかけられゆっくりと扉が開く。こちらのことを警戒しているからこそ、ゆっくり開けるのか……そう思いながら、私は低く体制を整え、光の剣ではなく、光のナイフ、かけらほどの刃を作って扉が一気に開かれた瞬間、それを投げつけた。もし死んでしまったら、と焦ったが、自分の命には代えられなかった。
(ごめんなさい……!)
殺傷に対する少しの抵抗と、懺悔を胸に、私は目を開く。すると、入ってきた人物はスッとよけつつも、その光の刃が頬をかすり、ツゥと血が流れ出る。
「え……」
「いっ……誰だよって、いいかけたらステラじゃん。え、何で?」
「誰だよって言いかけたって、言ってるじゃん。てか、え、ら、ラヴィ!?」
目を開けて飛び込んできたくすんだ紅蓮に、私は目を見開いた。
なぜ彼がここにいるのか。私の魔力に気づいて入ってきたんじゃないっぽく、彼も彼で、とても驚いた様子だった。互いに、ここに何で相手がいるんだと開いた口が塞がらないような感じで、見つめ合っていた。
「ら、ラヴィ……」
「ステラだよね。ステラ……うん、この魔力の感じはステラだ」
と、ラヴァインは、頬から流れる血をぬぐって私の方を見た。へらったした表情を私に向けるが、まったく無傷というわけではなく、まだ痛そうにその傷口はぱっくり問われている。
ラヴァインだとわかっていれば、こんなことしなかったのに、と後から襲ってきた後悔を抱きつつも、彼でよかったと安どしている自分もいた。彼じゃなかったら、私は人を殺していたかもしれないと。
(いや、急所が外れていれば致命傷にならなかったはず……ってこれは、いいわけね)
アルベドが仕方なく殺す、といった意味が分かった気がして、少し怖かった。アルベドが怖いというよりは、正当防衛を理由に人を殺める恐ろしさ。力を使うその恐怖について。
「大丈夫?なおそっか?」
「あーステラ、てんばってるね。大丈夫。だって、光魔法と闇魔法じゃ治せないでしょ?」
「あ、そっか。ごめん……本当にごめん」
謝ることしかできなくて、頭を下げようとすれば、顎を食いっと掴まれた。強制的に上を向かされ、首が痛かったが、ラヴァインはじっとその満月の瞳で私を見つめていた。それから、ふっと、優しく笑って、大丈夫だから、と私を安心させるように目を合わせて微笑む。
「ステラは優しいね」
「アンタに攻撃しようとしたんだけど」
「だって、俺だってわかってなかったでしょ?一応ね、この屋敷は魔法を感知しにくくする魔法がかかってるから」
「それって、敵味方からしてどっちも不利なものじゃないの?」
「そうだよ。てか、そもそも敵が侵入してくることを恐れて作られたものじゃないし。敵は入ってこないものとして考える」
「ラヴィが設計にかかわったの?」
「ん?」
と、彼は首をかしげる。それはどっちの意味なんだと言いたくなったが、深くは言及しなかった。
だが、過去に一度、彼に拉致されたことがあり、その屋敷と似ているなと感じたから、もしかしたら、レイ公爵家の別荘なのかもしれないと。そうなると、ラヴァインは関与していないことになるし、彼が作ったという説は否定できる、が、後から内部をいじることはできるし、アルベドの話によれば、彼は空間を作る魔法が得意らしいからあり得ない話じゃないのかもしれない。
今回は、そこを突っ込むつもりはないのでこの辺にし、私はここからの脱出を考えたいと、ラヴァインの手を握った。わかりやすくはねた肩を見てちょっとおかしくなったけれど、いたって真剣な話だった。
「まあ、大体予想はつくけど。前の世界と流れが一緒ならね」
「ラヴィも覚えてるの!?前の世界の事!?」
「え、待って?俺、まだ記憶戻ってないと思われてる?」
ラヴァインは拍子抜けしたような顔を下。
私も言葉足らずだったと思い、訂正し、あの頃は仲間じゃなくて、一緒に動くなんてことはしていなかったな、の意味だ、とラヴァインにしっかりと伝えた。ラヴァインは、もーみたいな顔をしてから、分かったよ、と素直に受け止めてくれて助かった。私は相当焦っているんだな、と反省した。
またこの兄弟をひっかけまわしてしまって申し訳なさが強くなる。
とりあえず、ここから脱出で着たら、ラヴァインには何かしらの形でお礼をしたいし、私を機にかけてくれているアルベドにももちろん。そうときまれば今すぐにここを……と思ったのだがラヴァインは何やら難しそうに顎に手を当てていた。
「でも、ここから脱出かあ……ちょっと面倒だな」
「面倒って、何かあるの?」
私がそう聞くと、ラヴァインはちらりとこちらを見て目を細めた。それは、以前見たことがある邪悪な時の彼の目と似ていて、ゾッと背筋に冷たいものが走る。逃げなければ、と後ずさるが、彼はそれを許さないと私の腕をつかんだ。まるで、私が逃げるのをわかっていたように、ゆらりとあがった顔は、獣が獲物を狙うハンターの目と同じだった。
「――今の俺、ステラの敵なんだよ?」




