254 sideリース
いつからだろうか。違和感を感じるようになったのは。
「リース」
「エトワール。どうした?」
「リースに会いに来ただけよ。婚約者に会いに来てダメな理由でもあるの?」
「いや、いいんだ……」
俺の婚約者は、俺のことが好きだと言ってくれる。俺もそんな彼女を愛しているはずなのだ。
エトワール・ヴィアラッテア。この世界に召喚された聖女。聖女という重い枷、世界を救えと召喚されたときから彼女はこの世界にとらわれる。力を持っただけの幼気な少女だ。そんな少女に、世界の命運をなどばかげている。あまりにも重すぎるのだ。
皇太子と聖女――俺たちが結ばれることに関しては、誰も何も言わない。だが、聖女は責務を全うした後消えてしまうと言われていた。期限付きの婚約者か、あるいは……
「何かあったら言ってよね。だって私たち婚約者でしょ」
「そう、だな……」
「もう。歯切れ悪いんだけど?」
怒ったように彼女はどっかと椅子に座る。時たま見せる横暴な態度が、俺はどうも好かなかった。彼女を愛し、彼女とならと思って婚約者となったはずだ。この世界では、恋愛結婚などは稀であり、基本は家が決める。利益、つながり、権力。そういった薄汚い関係で決まる結婚。俺がいた世界の現在とは異なる文化に何度ため息ついたか分からない。だが、それがこの世界では正しいことなのだ。
皇太子と聖女であるから誰も文句は言わなかった。俺は好きな人と結ばれることができる……はずなのだが。
(何か、何か引っかかるんだ……)
ちらりと彼女の方を見る。つい最近まではあんなにも熱烈に彼女を求めていたはずなのに、俺のこころは、エトワールに向いていない気がしたのだ。彼女への愛はその程度だったのかと自分に問いかけるが、その問いかけ自体が間違っている気がしたのだ。
俺は言葉にできないもやもやとした感情を抱えたまま生きるしかないのかと、ルーメンに放す程度で、本人にそれをぶつけることはできなかった。ルーメンは自分で聞けと言ったが、その勇気が出ない。もしそうだったとしたら――このもやもやとした気持ちが、その正体が彼女の何かにまつわるものだったとしたら……俺はそれに耐えられるだろうか。そして、自分にかけたそれをずっと探そうと躍起になるだろう。
そうしたら、そうしたで……
(ダメだ、思考がまとまらない)
俺が愛しているのはエトワールなのだ。だが、こういう時、エトワールが俺が思っていない行動をとった時、ふと違う令嬢のことが頭をよぎるのだ。
(ステラ・フィーバス……)
真っ白な彼女のこと。エトワールは、銀色の美女だが、エトワール・ヴィアラッテアは、雪のように白かった。まるで、輝きを失ったような色素の抜けた彼女なのだが、俺はそんな彼女から目を離せなくなっていた。なぜか。恥円てあった気がしない。どこかで会った気がして、でも思い出せないのだ。そんなはずはない。だって、俺は人とのかかわりを極度に嫌っていたから。なのに、なぜか彼女のことは――
(俺は、女性嫌いのはずなんだが……なぜか彼女だけは)
彼女の話をエトワールにしてみようと何度か思った。だが、なんとなく彼女には話さないほうがいいのではないかという気になった。理由はわからない。ただ、なんとなくだが、いや、彼女の性格的にほかの人間の話をすると嫉妬するような気がしたのだ。愛しい人の嫉妬は何も思わない。だが、エトワールの嫉妬は何か違うような気がした。そのまま、世界を呪い覆いつくしてしまいそうなほど、彼女の怒りや憎しみというのは、俺が図れるものではなかったのだ。
それがよりいっそ、俺が彼女に抱く不信感を大きくしていったのだ。
(違う、気がする。だが、違うと断言するには、あまりにも感情的な気がするんだ)
もし俺のただの勘違いで、彼女を傷つけようものなら、俺はきっと立ち直れないだろう。かといって、このままステラとかかわらないわけにはとも思った。一人にで悩むよりもルーメンをと思ったが、彼も彼でメイドが解雇されたことに対し怒りを覚えているようで、また消沈し、俺の話を全く聞こうともしなかった。
エトワールの侍女だったのだが、エトワールが気に食わないという理由で解雇してし合った水色の髪のメイド……それがどうもルーメンが言うには、前世から好きだった同級生だというのだ。そんなこと信じられないと思ったが、現にルーメンが転生している時点で、それを否定するには無理があった。また、かかわった時に感じたあの雰囲気は、確かに俺の知っている人物でもあった。
だから、解雇されたと聞いたとき、俺は思わずエトワールに聞いてしまった。だが、エトワールは気に食わない以外の理由はないと言って、横暴にふるまったものだから、その後ルーメンと口論になってしまったのだ。
『お前の女の趣味が悪い』
『人の婚約者のことを悪くいな』
『お前、そんな……聖女様のこと好きだったのか?』
『何を言うんだ。好きでなければ一緒にいないだろう』
『俺には、なんか違う気がするんだよな。なんかさ、お前、違うよ。俺も、なんか引っかかることあるんだけど、それがなにかわかんない。けどさ、なんか今、違うと思うんだ』
と、ルーメンは、つかめていないようなことを言って、そのまま黙ってしまった。
そして、それから淡々と業務をこなすだけの人間になってしまい、親友としてとても心配になった。休めというが、逆に休めと言われる始末で、俺は、ルーメンに何かをしてやることはできなかった。
俺が、間違っているのだろうか、それとも――
「これ終わったら、一つだけ、何か望み聞いてあげる」
「は?何だよ、いきなり……だから、怒ってねえって」
「機嫌取りに見えたらすみませーん。でも、私も、そんなふうに当たられるの嫌だから」
「……チッ、何で持っていったか?」
「何かって言ったの。ちょっと、あまり大きくしすぎないで。叶えられないものもあるじゃん」
「……確かにな」
隣で聞こえる声は、婚約者とは言うより、相棒のような、共犯者のようなそんな関係にも思える声。それを耳に入れまいとしたが、聞こえてしまった声はどうしようもなかった。その二人の声に、ステラと、アルベド・レイの声に俺は理由もわからない苛立ちを覚えていた。
ヘウンデウン教とつながっていないことは確かだった。だが、エトワールは、こいつらは敵かもしれないといった。もしそうなら、と考えたし、もしそうだったらいやだと思った。裏切られたような気持になるから。いや、単純にそうでなければいいと、彼らが敵に回った時のことを考えるのがつらかったからかもしれない。そんな感情論に付き合ってくれるほど現実というのはゆっくり進まない。
ヘウンデウン教の奴らは勝てないと思ったのか、俺たちに背を向けて逃げていく。そんな奴らをステラは追いかけた。何かおかしくないか? と思っていれば、大きな魔法陣、転移魔法が展開され、その領域にステラが入り込んでしまったのだ。
まずい、このままではステラが!
そう思って動こうとしたが、俺の足は動くことはなかった。その代わりに、俺ではない、俺が取りたかった行動をアルベド・レイが。
彼はグレンの髪を振り乱しながら彼女に向かって手を伸ばしていた。それに気づいた彼女も彼の手を取ろうと伸ばした。だが、輪郭が薄れた手に、彼らの手は交わることはなく、彼女は光に包まれて消えてしまう。
その時、俺の中で何かがすぽりと抜ける感覚がしたのだ。絶望に等しい感情。何かを失った、そんな喪失感が一気に襲い、消えていくステラに、消えてしまったステラにようやく手を伸ばすことができた。




