251 泣きたい、苦しい
(まだ、油断できないし。信じることが出来ない……私も、だいぶん酷いとは思うけど)
信じてあげられたらいい。洗脳が解けたって。でも、とけていないってわかるからこそ、私はそれを信じてあげられることはできなかった。私が信じずして、誰が信じるんだという話も全くそうなのだが、それでも……
「……ステラに拒まれるのが、苦しい。こんな、気持ちになったのは、お前が初めてだ。ステラ・フィーバス」
(ああ、何でこんなに泣きたいんだろ)
彼の前で、何度も泣いて醜態をさらしている。もし、彼の記憶が戻ったら、真っ先に謝られて、彼の罪悪感を膨らましてしまうだろう。それくらい、私は彼の前で、どうしようもない感情と顔を向けてしまっている。それが、今はまだ、どういう感情なのか、リースは分かっていないだけで、いずれ分かるようになって。
「それは、婚約者がいてもですか?」
「……関係ない。俺は俺の心に従う。苦しんだ。なぜ苦しいか分からない。でも――」
そこで、リースは区切った。言おうか、いわまいか迷ったのだろう。言いたいことはなんとなくわかった。だからこそ、それを言うのか、言わないのか、私もとても気になるところだった。
自分の心に従うなんて、とても素敵な言葉だと思う。リースらしい。それは、リース・グリューエン皇太子殿下というゲームのキャラクターで私の推しのリース様ではなく、遥輝の言葉だったから。それに気づいている人は、私しかいないだろう。いや、ルーメンさんも分かっているかもしれない。
グランツたちに目をとられて気づいていなかったが、彼の近くにはルーメンさんがいた。彼は事の成り行きを見守っており、口を出さない。補佐官であり、彼を支える役目であっても、いま彼が自分で判断し、決断を下そうとしているのだから、邪魔しまいと、そういうことなのだろう。
「でも、何ですか?」
意地悪な質問だと思った。私も素直になればいい。そこまで思い出してくれたこと、私のことを思ってくれたことを。でも、私もアルベドと同じ気持ちで、そのモヤモヤとしたまま私と向き合っても意味がないのだと。確証をもって。それを打ち払う気持ちが私はみたい。その瞬間を。
好感度が現在あてにならない以上は、私は今この場で、リースが何をいうか、そこに注目していた。
生暖かく吹き付ける風。鉛色の空。雨がいつ降ってもおかしくないそんな曇天の下、光を取り戻しつつある彼は、私をスッと見る。もう少しで、その曇ったルビーの瞳が、輝きを取り戻す。そんな気がするのにまだ何か足りない。決定打にかける気がするのだ。
クッと、唇をかみしめて、横を確認する。エトワール・ヴィアラッテアを前に、それを言っていいのか。そこは優しいというか、今の婚約者を大事にするというリースの気持ちがうかがえる。分かる、それは分かるからこそ、それを振り払う勇気を見せてほしい。
「分からないのなら、言わなくても結構だから。辛いだけでしょ」
「……でも、辛そうにしているのは、お前の方だろ」
「……っ」
ピクリと体が動いたのは、私だけじゃなかった。アルベドも、その無神経な言葉に腹を立てたのか、懐に忍ばせたナイフでも突き出す勢いで殺気を放つ。
私はそんなアルベドを制しながら、息を吸った。
「辛いように見える?」
「……」
「見えるんだったら、何でつらいか、分かってほしいけど、今のアンタじゃ無理なんでしょうね」
「ステラ……」
「アンタも、こんな気持ちだったんだって、ようやくわかった。だから、私はアンタに強く言えない。因果応報とまでは思わないけれど、今ならアンタの気持ちがよくわかる」
「ステラ?」
そう私の名前を呼んだのはアルベドだった。
アルベドからしたら、何のことか分からないだろう。だって、それは、前世の話だから。前世のことをなかったことにはしないけれど、前世の中途半端な形だけの恋人から私たちは、しっかりと恋人になった。お互いを思って、愛し合って。そうして形だけじゃなくなったのに、私たちはまた引き裂かれた。
だからこそ、前世の一方的に私を思い続けてくれていたリースの気持ちが今わかったのだ。こんなにつらかったって、それをしいていた私は、どれだけ周りが見えていなかったんだろうって。
今ならわかる。だから多少は我慢できる。彼が我慢した分の辛さなら。きっとこんなもんじゃなかったはずだから。
(今ならわかるよ。アンタもつらかったもんね)
私がほったらかしたんだけど。私のせいで傷つけたんだけど。もしかしたら、慢心していたのかもしれない。彼の愛に気づいても、気づかないふりというか、それが永続的に続くものなんだろうって思っていたのかもしれない。
「……何のことをいっているのかよくわからないが……くっ」
と、リースは頭を押さえる。激しく点滅する好感度。白く発光し、0%という文字にノイズが走る。自ら思い出さなければ、きっとリースは思い出してくれない。それに、私も何も言えないから、リースが思い出すしかない。
祈ることしかできなくて、それが辛くて、苦しくて。何もしたくないだけなんじゃないかって思われたらどうしようって。
「何で、リースをこんなに苦しめるのよ!」
キンッ、とソプラノボイスが耳を貫く。彼にかけよって、支えるように抱きしめたのはエトワール・ヴィアラッテアだった。さすがに、まずいと思ったらしく、私とアルベドににらみを利かせていた。何もしていないのだが、周りから見たら、私たちが何かして、リースが苦しんでいるように見えたのだろう。弾かれたように、騎士たちは剣を鞘から抜こうとしている。
アルベドはそれに気づいて、彼らの足元にナイフを投げつけると、牽制するようににらみを利かした。すると、くそっ、とでも言わんばかりに騎士たちは顔を歪めて私たちを警戒する。
「苦しめてない。逆に苦しめているのはアンタの方でしょ」
「聖女に向かって何よ。その口のきき方は!」
「聖女? 聖女だったら、今ここで、リースの痛みを緩和してあげたらいいじゃない。私がリースに何か魔法を使って苦しめているっていうのであれば。アンタが、聖女であるアンタが癒してあげればいい」
これまでのように、言われっぱなしのままではいられない。
それと、安全圏で高みの見物、愛を貰って喜んでいるような女に負けたくなかった。
エトワール・ヴィアラッテアは、闇魔法の適性のため、今魔法を使えば、いくら一般の騎士とはいえ、洗脳が解けるのではないかと警戒している。それと、リースの頭の痛みは、エトワール・ヴィアラッテア自身がかけた洗脳が解けかかっているものであり、彼女が何かできるわけもなかった。洗脳の上書きならできるのかもしれないが、それをしないのは、できないのは周りに人がいるからだろう。
「できないの?」
「……できるわよ」
「できるなら……っ」
一歩踏み出し近づこうとした瞬間、私にめがけて何かが飛んでくるのが分かった。振り返り何か確認しようとしたところで、紅蓮が視界を覆う。
「――ぶねえ、ステラ。大丈夫か?」
「え、うん、大丈夫、だけど……何?」
キンッ、と先ほどとは違う金属音が聞こえ、弾かれたそれが、なまめかしく紫色に輝くナイフだったことを後から知った。誰かが私たちに向かって攻撃を仕掛けてきたのだ。
「……ハッ、分かってんだろ。察しのいい、お前なら」
「……そう、うん」
アルベドは、攻撃が来るから構えろと、私に合図する。
忘れていたが、今回のこの調査……肉塊を作り出した張本人たちが街を占拠しているんだった、と私は深呼吸をして気持ちを入れ直す。
「ヘウンデウン教……ね」




