243 光る毛玉
「り、リース様!?」
思わず、様付けしたくなる。そんな圧倒的オーラに、私は目を見開かず、覚醒せずにはいられなかった。
まがい物は、ない顔を歪ませ、リース様に掴まれたところから水に溶けるようにして消えていく。水に墨汁を垂らしたような、そんな水のなかで溶けていくような感じで。それが、目視できた。
『貴様、貴様、貴様、貴様、何者だあああああああ』
と、まがい物は、振り払おうとするが、刹那バチバチバチ! とスパークし、まがい物の顔半分はえぐられ、もうすでに形を保っているのが精いっぱいであるというような姿で、リース様を睨みつけていた。声も形も、何一つとしてその姿を保っていられない。圧倒的強者を前になすすべもないといった感じに溶けていく。
何者だと、それはまるで、ここにいるはずのないもの、存在すら認められないとでもいうような言い方だった。私を支えてくれているリース様は、遥輝が転生した姿ではなく、純粋な、純度100%私の知っている推しのリース様だと直感的に思った。でも、なぜ? という思いが強い。
私が死にたくないと言ったから、思いが具現化したのだろうか。それほど、推しへの愛が強かったということだろうか。いや、私が思い浮かべていたのは、本物のリース様ではなく、リース……遥輝だった。だからこそ、まがい物は遥輝の姿をリースの姿をとったんだ。
私が今一番動揺するであろう姿を――
「アンタは……貴方様は誰?」
「……」
まがい物を一掃した彼は、私の問に答えなかった。また、自分の姿を見れないようにと、私の視界を覆って。見られたくない何かがそこにある。だからみたいという気持ちにかられたがそれは叶わなかった。
お助けキャラを冬華さんか、女神さまが送ってくれたものだと思っていたがどうやらそれも違うらしい。一つだけ、もしかして……という可能性はあったのだが、それを立証することもかなわないだろう。
闇の中、温かい光が広がっていき、私を支えていた屈強な腕は消え、代わりに私の腕の中にもふもふとした動く温かい何かが生まれた。
「キャン!」
「る、ルーチャット!?」
目を開けて、甲高い犬の鳴き声がするな、と思えば私の腕の中には、ここにいるはずもないポメラニアンがいた。それは、かつて拾ったルーチャットと名付けた黄金の犬であり、彼は……? 彼でいいのか分かんないけれど、ルーチャットは、キャンキャンと嬉しそうにしっぽを揺らしていた。
「ど、どうしてここに!?てか、え、どういうこと!?」
混乱に混乱を招くといった形で私の腕の中にはルーチャットが……
「何で!?」
やっぱり、混乱というか、状況が呑み込めなかった。ほんとうに、どうやってここまできたのか、やはり、リース様は私が見せた幻覚だったのかとか。
(でも、温かかったよね……)
人のぬくもりというか。確かに、少しぶれてはいたし、存在を保っているので精いっぱい、というようにも見えてしまったけれど。確かにそこに存在した、していた、というのは私の中に会って。だからこそ、不思議で仕方がなかったのだ。
「な、慰めてくれてるの?ありがとう……い、犬に慰められてるって、どんな私……」
ルーチャットは、キャンキャンと元気よく鳴いて、それが励ましてくれているようにも思えた。犬は、人間の感情を察知しやすいのだろうか。どっちにしても、犬に慰められるほど、私はかわいそうな状況だったのではないかと、それもなんだか落ち込んでしまうわけで。
(ううん。ありがとうって思ってる。心細かったんだもん)
一人でいるより、誰かが、一匹がいた方が嬉しいに決まっているのだ。
ルーチャットがなぜここに来たのかは置いておいて、それを確かめるすべなどないのだから、置いておいて、ここから脱出しなければという気持ちが強くなった。後押ししてくれた、助けてくれたリース様のためにも。
「アルベドも待っているし。これ以上、心配させられないよね!」
「キャン!」
「よーし、じゃあ、行こう!」
どうやって戻る、という問題はなんとなくわかっているので、私は光魔法で、とりあえず上にとロープのようなものを伸ばした。ピンとはったロープは上から垂れさがり、今回は前に深層に落ちた時とは違いかなり丈夫な、そしてワイヤーのようなものを想像した。想像したものがしっかりとそのまま出てくる、ということは、私の精神状況は安定したということだろう。そうでなければそのような魔法が使えないのだから。
魔法の不便なところを上げると、大体そこに行きつく。
「ルーチャット、しっかり捕まっててね」
「キャン、キャン!……ウゥウゥゥ」
「どうしたの?って、ああ、また下に……」
私を逃がすものかと、下から無数の手が伸びてきているのが見えた。ルーチャットにも見えているようで、低く唸って威嚇している。その様子も可愛いというか、でも、小さい犬の方が気性が荒いとかも聞くし……
あれに捕まったら、また逆戻りだと、私はすぐにロープを掴んで上へと舞い上がる。ぶくぶくと、水の流れに逆らうようにしてあがっていくものだから、やはり肺はきつい。落ちるのは一瞬でも上がるのにはかなり負荷がかかると。落ちたくて落ちたわけじゃないけれど、それでも、堕ちてしまったのは変わらない。私の落ち度。
無数の手は、ものすごい勢いで私に向かって伸びてくるけれど、私はルーチャットを抱きかかえたまま飛躍していく。すると、無数の腕を振り切ったようで、忌々しそうに私を下から睨みつけていた。あの下に何がいるとか考えたくない。あの無数の腕は、犠牲になった人たちなのだろうか。そう考えると、怨霊とか、怨念とか……生きたかった、性にしがみつきたい、寂しい、暗いところに一緒にいてといった気持ちも含まれているのかもしれない。
かわいそうという言葉で片付けるには、あまりにも軽いけれど、でも、ヘウンデウン教によって、肉塊のための実験、生贄となった顔も名前も知らない人たちのことを考えると、無念でならない。それに加担した人の顔も知っているからこそ、余計に……
「ルーチャット、大丈夫?ああ、えっと、しゃべれないよね」
犬に話しかけても、帰ってくる言葉などなき声ぐらいしかない。それは分かっているんだけれど、私の腕の中で震えているルーチャットを見ているとかわいそうになって声をかけてしまう。案の定かえってくる声は、くぅん……と何とも弱弱しい声で。
ルーチャットも怖いのかもしれない。
けれど、もう少しで地上だと思うので、私はロープを掴んでいた手にぐっと力を入れた。すると、それに呼応するようにロープが私たちを巻き上げ、水面へと跳ね出る。
ぷはっ、と要約酸素を吸い込んだ肺が活性化し、頭も一気にクリアになる。
「地上!」
「す、ステラ!?」
目を丸くして私を見上げたのは、アルベドだった。ザバンと水しぶきを上げ、私は地上に足をつける。どういう仕組みなのかは、この空間がおかしいので説明つかないが、戻っては来れたのだ。
ルーチャットも嬉しそうに鳴いており、私は髪を振り払う。体中についた重たい水はそれらによって一気に払われ、重力に従って下へ落ちる。
「たっだいまーアルベド」
「たっだいまー……じゃねえよ。おま、それ……」
「キャン!」
私を心配して駆け寄ってきたアルベドだったが、ぴたりと足を止め、私の腕の中でもふもふとしているルーチャットに視線を落とした。さすがに、アルベドも気になって仕方がないだろう。
「んだ、この毛玉は!?」




