231 あり得るないはずのあり得ること
ある程度の痛みは受け入れるつもりだった。さすがの、エトワール・ヴィアラッテアでも、いくら頭に血が上ったとはいえ、私を殺したら、真っ先に疑われるだろう。だからこれは、あくまで敵意ある攻撃に過ぎない。殺意のある攻撃であればもっときゅしょを狙うはずだから。それか、ただたんに彼女の性格が悪くて、痛めつけてから殺す、という方法をとるのかもしれないが、それは私には分からない。彼女がどういう意図をもって私を――
(――いた……くない?)
しかし、受け入れるつもりだった痛みはいつまでたっても訪れることなく、広がったのは私の血ではなく、他者の――
「……っ」
「……エトワール、なぜだ」
私は思わず二度見してしまった。あり得ないと思ってしまったから。
だってそれはあり得ない光景だったから。望んだ光景ではあったが、望んではいない。複雑な感情はあれど、リースが守ってくれたことに関しては驚きと喜びがまじりあった変な感情だった。思い出してくれたのかと思ったが、心配する相手が私ではないことに対し、少しだけ淋しさを覚えてしまう。本来であれば私のことを……思い出してくれているのなら、怪我はなかったかとか聞いてくれるものなのではないかと思ってしまったからだ。私の願望ではあったけれど、それでも、いってもらえるのかもしれないと心のどこかで思っていたから落胆しているのだろう。これだけでも進歩だと思うのに。まだ何か足りないから――と思わざるを得ないのだ。
(でも、何でかばってくれたの?洗脳が解けかかっている?)
エトワール・ヴィアラッテアの感情が揺らいだから、それが洗脳魔法をかけているリースに影響したのだろうか。一時期でも私のことを思い出してそれで……だったのだろうか。何にしても分からないことに思いをはせることしかできず、私はうなだれるほかなかった。
そうしていると、あの紅蓮の彼が私の方へ駆け寄ってきて、彼は大丈夫か、と私に聞いてくれた。
「大丈夫か、ステラ」
「だ、大丈夫……あ、アンタはいってくれるんだ」
「は?何がだよ?」
「大丈夫って……」
「言われなかったって言いてえのか」
「まあ、そんなところ。でも、守ってくれたのは、意外だったかも」
私はそういいながら、リースの方に視線を戻す。リースは血をぽたりと地面に垂らしながらエトワール・ヴィアラッテアに駆け寄って抱きしめた。大丈夫だと落ち着かせるように彼女を抱きしめるが、彼女の顔は引きつったままだった。怖かったとか、何か言ってだますかと思っていたけれど、そんなことをする余裕などなかったらしい。もしかしたら、洗脳が解けたのではないかと懸念しているのかもしれない。だから、次何をいえばいいか言葉が思いつかないのだろう。
演技は得意だろうに、彼女でも感情がそういうふうに揺らぐことがあるのだと。弱みを見つける、なんて酷いことだとは思っていても、彼女がそうして私に付け込んできたんだからと、自分を正当化して何とか気を持ち直した。
「り、リース私はね……」
エトワール・ヴィアラッテアは私の方を見た。はっとしたような顔で、そして忌々しそうに唇をかむと、首を横に振る。この状況で私のせいにするのは無理があると感じたのだろう。だが、洗脳魔法がかかっているのなら、リースに嘘を言っても、私を悪者にできるのではないかと。
だが、エトワール・ヴィアラッテアはそうせずに、リースの背中に手を回した。それが、正解でもあるというように。
(……あ、そういうことか)
ずきんと胸が痛んだ。
私のせいにして、リースに私を責めさせるより、自分をかまってもらえる、リースは私ではなく自分の方を見ているんだということを見せつける方法をとったのだろう。さすが、悪女といったところか。私のものだという主張がひしひしと感じられ、私は思わずこぶしを震わせた。私のせいにしなかった。私のせいにはならなかった。けれど、負けたような気がしたのだ。
「エトワール、辛いことがあったんだろう。だが、暴力はいけない。彼女は、辺境伯の娘だ。傷つければ……」
「分かってるわよ。リース。ちょっとカッとなっちゃっただけ。次からは気を付けるから」
そう言って、エトワール・ヴィアラッテアは笑い、リースは仕方ないというように彼女の頬を撫でた。涙でも流していたのだろうか。何かをぬぐうような仕草を見せたから。
エトワール・ヴィアラッテアはこちらを向きニヤリと笑った。してやったり、こちらが勝ちだと言わんばかりの顔に、私は腹が立って仕方がなかった。やはり負けたような気がしたから。
(ああ、まだまだめ。だって、リースが私を庇ったのは、エトワール・ヴィアラッテアに罪を犯させないため。そのためなら体を張れる男だもん)
知ってるからこそ、リースの行動が彼女のためのものだったということに気づいてしまった。それが、私の胸を傷つけ、深く深く入り込む。
リースを理解しているからこそ理解できた、その苦しさに、私は少しだけ頭痛がした。胸の痛みだけではなく。
「ステラ嬢、何があったかは知らないが。すまなかった。けがはなかったか?」
「え、ああ、うん。なかったです。大丈夫。私は大丈夫だから」
「……だが、泣きそうだが、大丈夫なのか?」
「ちょっと目にゴミが入って……あはは、痛い、なあって」
それでも、にじみ出るやさしさというのは、すぐには消えてくれないというか。彼がどれだけ女嫌いであっても、リース・グリューエンという男が、子供女嫌いであっても、中身が遥輝だから、その優しさはにじみ出てしまう。彼は人が嫌いだと言ったがそうであって、そうでない。彼も人間で、優しさを兼ね備えているのだから。
(その優しさが今は辛いよ……)
謝るべきは、エトワール・ヴィアラッテアなのに、他人のために謝る優しさも、気遣ってくれるその優しさも、リースだからこそのものだ。嬉しさと、悲しさで泣いてしまうのでは仕方がないことで、でも泣いてしまったら余計心配させるとわかっている。だから、泣かないように頑張ってみたけれど、泣きそうなのがバレてしまった。
「そう……か。魔法が当たったりは?」
「し、してないです。その、リースが、殿下が守ってくれたので。殿下は?」
「……俺は大丈夫だ」
と、リースはいうと、サッと自分の腕をつかんだ。どう考えても出血しており、大丈夫そうには見えない。あれだけ、鮮血が飛び散ったんだ。痛くないわけがない。身体が鉄でもあるまいし、鉄だったらむしろ、というかまず出血しないだろう。
そんなしょうもないことを考えている暇にも、目の前の大切な人が傷ついているのになんもできないなんて、と腕をつかむ。すると、リースはうっ、と苦痛に顔を歪め私の方を見た。ルビーの瞳は揺れていて、まるで何をするんだとでも言ってきているようだった。そりゃ、傷口を隠している人に、傷のある腕を掴まれたら痛いに決まっているのだ。
エトワール・ヴィアラッテアは何をしているんだろうかと思ってみ見れば、なぜか息を切らして、胸元を掴んでいた。殺意の目は消えていなくて、私を睨みつけている。こういう時に、好感度を上げられるのじゃないかと思うけれど、彼女は動こうとしなかった。それが何を意味しているのかなど私には分からない。
「見せてください」
「大丈夫だと言っているだろ」
「いいから見せて!いじっぱり!」
「なっ」
私が思いっきり引っ張れば、リースは倒れ掛かるように私の方へよろけ、そのさいに私の服に彼の血がべっとりと付着した。




