217 sideブライト
(元気なのはいいことなんですけどね……)
ステラ様と、秘密の共有――共犯者になってから日がたつにつれ、自分の選択肢は間違っていないかったのかと悩むようになった。もちろん、ステラ様は素敵で、まっすぐで、嘘をつくようなタイプではない。だから、疑っているわけでもなく、むしろ、ステラ様とはずっと長いことお付き合いしていたようなそんな感覚になった。
自分の中に決定的に何かが足りない気がして、でもそれが何かわからない状態で走っている感覚に、違和感さえ覚えた。でも、その違和感が何から生じているものなのか分からず、また気持ちの悪さを抱えるしかなかった。いつか分かれば、と思うのに、ステラ様が先へ先へ進むたびに、胸が苦しくなり、置いていかれたくない一心で手を伸ばす。出会って間もないのに、ステラ様に魅せられているのは確かだった。
(ファウのことにもいち早く気付いて……僕のことを助けてくれた)
ファウダー・ブリリアントは、ブリリアント侯爵家の子息で、僕の弟だ。しかし、彼は弟でありながらも中身は違い、この世界を災厄に導く存在、混沌であると。彼が生まれて間もないとこに気づいた僕は、ブリリアント侯爵家の存続や、これまで築き上げてきた地位、帝国での立ち位置、信頼の元、幼いながらに隠さなければと思った。侯爵家の中で気づいているに威厳はごくわずかであり、誰も信じられなくなったのもそこからだ。
いっそ弟を殺してしまえば――と思ったが、混沌とはいえ血のつながりのある実の弟を殺すことが出来なかった。かといって、このまま放置し、彼が混沌として目覚めれば、世界が――それらを天秤にかけたとき、一人の犠牲、世界の犠牲と考えると、一人を選んだだろう。まだ、僕をよく知らない弟のことを、僕は幼いながらに手をかけた方がよかったのかもしれないと。それでも、守ると決めた時点で、聖女が混沌を封印してくれるという幻想に身を浸した時点で、僕は思考を放置した。混沌を見張ることだけを義務に、それが表にばれないようにと必死に……
けれど、誰にも言えないその状況は、僕を孤独に、一人へとしていった。何も信じられなくて、そして、何もできなくて、偽りの笑みを浮かべ続ける日々を、僕はずっと送るのだと思っていた――
だけど。
「僕たちも行きますか。レイ卿」
「……お前、ステラのこと目で追いすぎだ」
「え?」
ファウダーといってしまった、ステラ様を追うために、僕と同じく取り残されたアルベド・レイ公爵子息に声をかける。
アルベド・レイ公爵子息とは、長い付き合いとはいえず、かといって何も知らないわけではない。侯爵家の問題児、闇魔法の家門……悪い噂は次から次へと耳に入ってきた。誰かが流した噂かもしれない。それが真実かもわかりもしない。けれどその中心にいたレイ公爵子息は、いつだって孤独だった。そして、孤独を好んでいた……と僕の目にはうつった。
「ええっと、言っている意味が分かりません」
「分からないわけねえだろ。ステラのこと見すぎだっていってんだよ」
「はあ」
気の抜けた返事を思わずしてしまい、彼の満月の瞳が僕を射抜く。これ以上見るなという牽制の意も執れるそれに、僕は少しの恐怖と好奇心が芽生えた。
あのレイ公爵子息をここまで掻き立て、みだし、熱く、一途にさせるステラ様の事が。とても――いや、僕も――
「お前も、ステラのことが気になんのかよ」
「え、そういうわけではないですが。不思議な方だと思っています。すごい引力を持っている方だと……僕はそう思うのですが。アルベド・レイ公爵子息はどう思いで?」
「婚約者だしな」
「それは、政略的ないみではなく?」
「……」
「すみません。言い方が悪かったですね」
「いーや、あってんだよ。だから、むかついた」
と、レイ公爵子息は、顔をふいっとそらした。その横顔は、見えなくなってしまったステラ様を、人ごみから探すようで、寂しそうで、置いて行かれた子犬のような顔をしていた。一度も見たことがない、彼の人間らしいその表情に、思わず息をのむ。彼は噂通りの人ではないと、そう思ってしまったからだ。
(そうですよね……レイ公爵子息だって、人間なんですから)
血も涙もない人だと。
別に、差別的に嫌っているわけでもなく、性格が苦手なわけでもない。ただ、そこに闇魔法、光魔法という壁があるだけであり、互いに憎悪しあっているわけでもないのだ。ただ、歩み寄ろうとしていないだけ。それが、僕とレイ公爵子息の仲だと思っていた。
実際僕が苦手なのは、皇太子の方で、何を考えているのか分からない、そして何物にも大して冷たく、戦場で剣を抜き、冷徹に、残忍に――しかし、最近では、聖女様にほだされ目に見えてその姿は変わっていった。恐ろしいほどに。しかし、その姿にも引っ掛かりを覚える。確かに、彼の隣にいるのは、聖女様であり、彼が愛するのは聖女様だと。しかし、何かが違うのだ。何かが……
「それはすみませんでした。ステラ様は、とても美しいので……それだけではなく、勇敢で、強くて……本当に素敵な女性です」
「当たり前だろ。俺が一番知ってる」
「レイ公爵子息?」
もう一度彼の顔を見る。暗がりに照らされた顔は、やはり寂しそうで、でも、僕の知っているステラ様を見ているようではなかった。もっと、彼女のことを知っていて、知っているからこその言葉。けれど、すべてを知らなくて、知りたいけれど、それを見せてはもらえなくて……そんな言葉にするのが難しいような表情を浮かべていた。
まるで、ステラ様にはほかに大切な人がいて、レイ公爵子息は、今その人がいなくて、その人の代わりになっているような……そんな表情だった。
(分からない……けれど、彼も。彼も、ステラ様の熱に焦がされて……)
自分でも分からない。なぜ、まだあって間もない人にこんな感情を抱いているのか。彼女が美しい星だからか。それとも、元から知っていたからなのか。その本能なのか。
分からない。けれど、僕も、彼と同じくステラ様を――
(……でも、僕には、エトワール、様が……)
何かが邪魔をする。僕が敬愛してならないのは、愛しているのはステラ様ではなく、エトワール様だと。誰かがそういうのだ。
「なあ、ブリリアント卿。お前は、聖女様が好きか?」
「聖女様……エトワール、様、ですか」
「ああ。それ以外いないだろう。聖女は今一人しかないんだから」
と、レイ公爵子息は、いら立ちを隠せないように言う。
”今一人しかない”という言葉は、僕が知らないことが含まれている気がして、また引っ掛かりを覚える。二人も聖女がいるはずない。聖女は一人しか召喚されないはずなのだ。もし、召喚されてしまったら、片方は偽物ということで……
「……」
「何か思い出したか?」
「……レイ公爵子息は、何を知っているんですか。思い出したって……それは、まるで僕が何か忘れているみたいじゃないですか」
「そうとも言えるし、そうとも言えないかもだな。それは、お前の心に聞け。俺からは何も言えない。ステラにも言われただろ?」
「……っ」
まるで、心の中を見透かされているようだった。
ステラ様も同じようなことをいっていた。
僕が何か忘れていると。けれど、それは彼らの口からは離せないというのだ。そういう制約があるのかもしれない――と。
「そうですか……それが、この違和感だというのなら」
「ほら行こうぜ、あいつら見失っちまったら、ダメだろ?」
「ええ、そうですね。弟も、ステラ様も心配です」
「この心配性が」
そんなせりふを吐き捨て、レイ公爵子息は、背を向ける。彼の背中はやはり遠く感じ、それでいて、すべての覚悟を決めたようなたくましい背中だった。




