177 裏切りたくないから
「――やっぱりだめ。だめだよ。これは」
「……ってえ」
「あ、ごめん。そんなに強く推したつもりなかったんだけど」
「いってみただけだ。まーちゃんと、愛してるんだと思ってこっちもちょっと安心した」
「安心って」
「お前の危機感ががばがばかと思って」
アルベドはそういうと、寂し気に瞳を揺らしつつ、ふっと笑って私の方を見た。本当にキスされるかと思って、こっちもびっくりしたけれど、ここで体を……許してしまったら、リースへの裏切りになってしまうのではないかと思った。会えてもいない、思い出してもらえない恋人のことを思うこと、それがどれだけ辛いかはもう自覚しているし、いやというほど感じている。だから、もういいんじゃないかって、誰かが囁く。自分を愛してくれ、自分のために尽くしてくれる人にゆだねても、幸せになれるんじゃないかって。でも、そうしたら、ここに戻ってきた意味とか、長い期間すれ違ってようやく思いが通じ合ったあの時間が全て無駄だったんじゃないかって思ってしまう。私は、リースを裏切りたくない。どんな思いでここに戻ってきたか、それは自分自身が一番知っているはずなのだ。
もちろん、アルベドの気持ちも知っているし、攻略キャラで、めちゃくちゃ顔はよくて、許してしまいそうになるけれど、そうなってくると、私の貞操感覚が、がばがばということになるので、それもぐっとこらえないといけないわけで。
(ちょろすぎ……私、ちょろい……)
ラヴァインに先ほどほほにキスされたこともそうだけど、気を許しすぎて、すきを突かれたことが、これが初めてではないわけで。レイ兄弟は行動力の鬼なので、本当に隙あらば……というところもあって、油断できない。特に、悪気もなく、ストレートに、それでもって、本当か嘘か分からない言動をするラヴァインにはめちゃくちゃ注意が必要で。
私は、自分の頬に手を当てた。まだ、ドキドキと心臓はうるさかったけど、それはびっくりしたからなのだ。誰だって、めちゃくちゃイケメンに見つめられたら、イケメンの顔がそこにあったらドキドキしてしまうものなのだろう。画面越しにずっと見てきたイケメンの顔がそこにある。
(まあ、アルベドの事、ゲームプレイ中には、こいつは絶対いやーって思ったんだけどね)
それでも、リアル……今ここがリアルで、現実で、アルベドと関わっていくうちに、彼の優しさや、内側に秘めた野望、アルベド・レイという人間を知っていくうちに、彼の人間性には惹かれつつあった。恋愛的な意味ではないけれど、生き方がかっこよく思えたのだ。私とは違う。言ってしまえば、私が出来なかった生き方で、私がそうなっていればアルベドのように、孤独でも自信をもって突き進んでいけたのではないかと。ないものねだりなのは分かっているけれど、他者に理解されず、孤独ながらも、一人で頑張っていける人、それがアルベドなのだ。
アルベドは強い。でも、彼も人間だから、自分の話を聞いてほしいときだってある。その相手が、私だったという話で。
「冗談でも、だめ」
「悪かったって言ってるだろ。てか、ラヴィはどうなんだよ。あいつは」
「ラヴィは許さないから。あとで、なんか言っとくから……こういうのはダメ」
「やっぱり、皇太子殿下が今でも好きか?」
「当たり前じゃん。何のために、ここに戻ってきてると思ってるの。これ、リースへの裏切りになりそうで、怖い」
「……悪かった」
「うん」
と、アルベドは本当に申し訳なさそうに視線を落とし頭を下げた。悪ふざけだったのかもしれない。分かってる。でも、少しの本気が垣間見えて、動けなったもの事実だ。
まあ、それはそうとラヴァインは許さないんだけど、脱兎のごとく逃げていったのでどこにいるとか、追いつくことは困難だろう。
「別に怒ってない、から。元はと言えば、ラヴィが悪いんだし」
「優しいな、お前は」
「これくらいで怒ってたら、ずっと怒ってないといけないことになるじゃん」
「確かにな。まあ、ほんとうに、あいつ調子乗ってるから、しめたいところだが……記憶を取り戻して、まだ混乱してるんだろう。一日ですべて話しきれたわけじゃねえし、作戦も練らねえといけねえからな」
「弟の事、アンタも好きじゃん」
「……」
「記憶を取り戻したから、災厄後の……アンタたちが、災厄のさなか、何があったのとか、まだ詳しく聞けてなかった気がする。少なくとも、アルベドからは、何があったかって。今回は、そうならないと思うけど、あそこで何かあったから、ラヴィが更生……とまではいかなくとも、今の彼になった?戻ったんじゃないかなって」
「あいつが俺にしたことは、俺の生き方に大きな影響を与えた。人間不信を植え付けたのもあいつだ」
弟が差し向けた暗殺者に殺されそうになったこと。そこから、アルベドの人間不信は始まっている。それさえなければ、アルベドとラヴァインは普通の兄弟として仲良く過ごせたのかもしれない。全くそんなビジョンは浮かばないけれど、一回の過ちが、その先の二人の関係を修復困難なものにしたのは事実だ。
いくら災厄の期間中だったとはいえ、やっていいことと悪いことの境目があやふやで、愛しいと口にしながら、兄に暗殺者を仕向ける弟なんて、こっちから願い下げなのである。
「まあ、ステラの言う通り、嫌いじゃねえけどな。嫌いで、好きでもない」
「何それ。でも、アンタはちゃんとお兄ちゃんしてるって感じがする。それに比べて、私は――」
ふと、彼女のことを思い出した。いや、ずっと心の中にいたのだが、まだ彼女はこの世界に召喚されていないわけで会おうにも会えないのだ。
エトワール・ヴィアラッテアのせいで、もしかしたら召喚そのものがなくなるのかもしれない。そしてら、二度と妹――トワイライトに会えないなんていう可能性も出てくる。
(いや、エトワール・ヴィアラッテアはかならず、召還を命じると思う……彼女がどこまで把握しているか分からないけれど、自分が比べられる、幸せになれなかった原因であるトワイライトのことも恨んでいるはず)
彼女も恨み、自分の身体を乗っ取った私も恨み。彼女は憎しみと殺意で構成されている。そんな彼女のことをかわいそうだと思うけれど、こっちだって、許せないのだ。
そう、その怒りと憎しみで、私も今ここにいる。
「トワイライト……」
「ああ、お前の妹ぶん、だったか。そいつがどうした?」
「アンタたちとはまた違うけど、私もあの子のこと、妹だって……妹だから。あの子が召喚されたとき、エトワール・ヴィアラッテアの手中におさまる前に奪還したい」
「奪還って……まあ、どうなるか分かんねえから、お前のしたいようにしろよ。手伝ってほしけりゃ、手を貸す」
「ありがとう。やっぱり、上だから、そういう気持ち分かる?的な」
「なんだそれ」
アルベドは呆れたように笑うと肩をすくめた。
またやるべきことと、やることが増えた。ううん、全部救うつもり出来ているんだから、それくらい増えたところで範囲内だ。
アルベドとラヴァイン。最強の手札がこっちにある。だから、怖いものは何もない。
「でも、私は一回、お父様の元に戻ることにする。グランツの記憶を取り戻すこともしつつ、ブライトのことも考えないと」
「ブリリアント卿か。確かに、記憶を取り戻してもらわなきゃ困るが……ああ、接触できると言えば、ブリリアント卿のほうが、確実かもな」
「そうでしょ!だから――へ?」
「お前は拒んだが、俺には関係ないんで。俺から勝手にやった。だから、皇太子殿下への裏切りじゃないぞ?」
と、アルベドは、ラヴァインがキスした方ではないほほにキスを落としひらひらと手を振って、部屋を出ていく。兄弟似ている、と思いながら、私は両頬に手を当てた。
「ああああああ、あの、馬鹿兄弟!」
顔が熱くなったのは、気のせいではない。本当に、不意打ちが上手い兄弟だと、私はベッドに倒れこんだ。




