146 質問ばかり
(何、それ……?)
フィーバス卿も、苦しそうに顔を歪め、眉間を掴んでいた。彼も、いきなりのことで戸惑っているに違いない。けれど、一番戸惑いを隠せていないのは私だった。フィーバス卿を前にして、拳がぷるぷると震えていた。こんなこと、絶対に前の世界ではあり得なかった。いや、エトワール・ヴィアラッテアが動いたといっても過言ではないだろう。エトワール・ヴィアラッテアが自らの意思で、フィーバス卿に接触を試みたといっても……そうに違いない。
私は、落ち着くために、深く座り直し、フィーバス卿の方を見た。彼も、落ち着いたようで、私の方を見ると、話を続けてもいいな、と目で訴えてきた。私はコクリと頷いて、膝の上の拳を握り直す。手のひらには尋常じゃないほど汗が溜まっていて、ぐちょりとしていた。でも、それが気にならないほど、今は緊急事態であり、フィーバス卿の返答次第では、次の手を打たなければならなかった。
もし、エトワール・ヴィアラッテアがここに来るなら? 私は、挨拶しなければならないだろう。私がいるのに、挨拶をしなかったら、フィーバス辺境伯の娘はどうなっているんだと指を指されるに違いない。それまでに、マナーを身につけ直す必要だってある。それと、エトワール・ヴィアラッテアと対峙するということは、私が戻ってきた天馬巡であることがバレるということも……考えられることが沢山あり、頭が急にいたくなってきた。さっきの話は、そこまでおもくなかったが、やはり、エトワール・ヴィアラッテアが絡むとそうはいかない。
「そ、それで、お父様……その聖女様から手紙が来たと……その、それで」
「あっている。お前は、あの聖女のことが苦手なようだな」
「え、ええっと……別に、苦手というわけでは」
そもそも、会ったことがないだろうと、突っ込まれるかと思いきや、フィーバス卿は、また頭を抱え込んだ。もしかしたらフィーバス卿も苦手な部類なのかも知れない、なんてそれで同情してくれているのでは? と、少しの期待が膨らむ。
「大丈夫だ。防音魔法もかけている。外部に漏れることはない」
「そ、そうですか……ええと、はい。苦手です」
「理由を聞いてもいいか?まだ、会ったこともないだろう」
「い、いえ。あいました。パーティーで。皇太子殿下と仲慎ましく……」
口が避けてもいいたくなかったが、それでも、本人がいないとはいえ、防音魔法がかかっているとはいえ、嫌っていることが、直に伝わったら、フィーバス卿は私のことを幻滅するかも知れない。そんな不安から、私は酷く言えなかった。それに、私が嫌っている理由は、勿論、私の大切なものを全て奪っていったから。そして、偽物の世界を創り上げて、一人笑って幸せそうに暮らしているからである。こんなの聞いたら、恨み辛みも酷いところだろうといわれてしまいそうだが、それ以上に、私は彼女に対する思いが、恨みが、復讐心が凄いのだ。
けれど、それを言ったところで、フィーバス卿に伝わるわけもなく、色んな意味で、墓穴を掘ってしまうため言わない。
フィーバス卿は私の話を聞いて、そうか、と納得したように膝の上に肘を置いて、少し低い姿勢になった。何が話されるんだろうと、構えていれば、今度とんできたのも質問だった。
「皇太子殿下の様子はどうだった?」
「りー……皇太子殿下の様子ですか。何故……?」
とんできた質問が、予想の斜め上をいったため、私は何故そんなことを聞くのかと目を丸くして聞き返すことしかできなかった。しかし、フィーバス卿は答えろという圧をかけてきたため、私はその質問に対し、答えを出さなければ、と言葉を紡ぐ。何故こんなことを聞いてきたのか理解に苦しんだ。だって、それは今の私からすれば、関係無いことだったから。フィーバス卿が、私とリースの関係を知っていたら違うのだろうけれど、そんなはずないし。
(いや、普通に、皇太子殿下の事が気になったんだよね。外に出られないから、情報源が少なくて、聞きたかったってだけも考えられるし)
フィーバス卿のことを疑いすぎだと、自分に言い聞かせる。色々と、教えてくれるし、不器用ながらも、優しくていいお父さんであるフィーバス卿を、私は疑いすぎなのだ。距離が縮まったとはいえ、自分から距離を作ってしまっている自分自身を責めることしかできなかった。
「皇太子殿下は、そうですね……聖女様にべったりでした。その、婚約者だからっていうのもありますけど、聖女様も、快くそれを受け入れているようで……溺愛といいますか。何だかとっても羨ましい限りです」
「アルベド・レイとは違うからか」
「ええ!いや、そういうわけではなくて、何だか、おとぎ話……そういう、お姫様と、王子様っていう感じがしたっていう話です!」
自分でも何を言っているか分からなくなって、ちらりとフィーバス卿を見た。フィーバス卿の顔は全く変わっていなくて、固まっているみたいだった。幼稚な物言いになってしまい、私も恥ずかしい限りだが、実際にそうだったから仕方ない。見たくもない物を見せつけられた。そんな気分だった。パーティーの日のことは思い出したくないくらいに。
(まあ、フィーバス卿からすれば、私とアルベドは婚約者同士だし、そうじゃないのか?っていわれても、可笑しくはないんだけど)
うすうすは気づいているのだろうが、アルベドと私の関係が、ただの婚約者ではなくて、共犯者みたいな。さすがに、気づかないフィーバス卿ではないだろう。気づいていて黙って見過ごしてくれているに違いないのだ。
「そうか、あの皇太子殿下がな……聖女にうつつを抜かしていると」
「うつつ……そ、そういうわけでは……ないのでしょうけれど、とても」
と、私はリースにフォローを入れる形で、反論する。もしかしたら、フィーバス卿はリースのことが苦手、好きではないのかも知れない、と何だか嫌な予感が浮かんできて、笑顔を取り繕っているのが辛かった。もし酷く言われたらどうしようって、一応今でも好きだから、好きな人の悪口は聞きたくないなあ、と思っていると、フィーバス卿と目が合った。青く透明な瞳は、いつ見ても綺麗で、私の瞳も、そんな色を映せたらなと思う。
フィーバス卿は、気を取り直したように、そして、私の言い方から感じ取ったのか、少し咳払いをして、話を続けた。
「皇太子殿下は聖女が来てから人が変わったようになった、と風の噂で聞いたんだ。それで、その……だな」
「確かに、聖女様が来てから変わったって聞きました。一目惚れでもしたんじゃないでしょうか。恋をしたら人間変わるっていいますからね」
「ステラもそうなのか」
「わ、私も……そうですね」
私は、視線を逸らしつつ答える。それは、アルベドに? というふうに聞えてしまったからだ。私は、一応、自分の中でリースに、と答えた後、こちらもまた咳払いをする。フィーバス卿が、そう感じているということは、やはり、リースは原作通り、暴君……で、女性にも子供にも興味のない冷静沈着……悪くいえば、冷徹な人間だったのだろう。そんな人間がいきなり聖女が来たからと、一目惚れして、変わるものなのか。一ヶ月以上経っていたとしてもそんなふうに変わるものなのか、フィーバス卿はそう言いたいのだろう。
確かに、周りから見れば、リースは人が変わったように、というか、変わらされたというのが真実であり、周りから見て、違和感があるのなら、彼はよっぽど変わったに違いない。私ですら、変わった、というように分かるのに……
(いや、リースの近くにいる人達は、諸々、洗脳を受けているから、変わっているって事に気づかないどころか、自分たちも変わっているんだろうな……)
エトワール・ヴィアラッテアの洗脳が近いものに、親しいものがかかりやすくなるというのなら、フィーバス卿は論外なのだろう。だから、今回、手紙をよこして、自分の支配下に置こうとしているに違いないと。
「そ、それで、お父様、話は戻りますが、その聖女の手紙についてどうお返事するつもりで?というか、内容は?」
「ここに来たいというものだった。是非魔法について語り合いたいと。馬鹿馬鹿しい内容だった」
「そ、それで――?」
「もちろん、断った。手紙は氷つけにしてそのまま砕いた」
お父様は、そうきっぱり言うと、何処か誇らしげに笑った。




