139 また話しましょう
(それって――っ!)
言葉を紡ごうと思ったが、口からその言葉が出なかった。これから起こる未来なのではないかと、リースは危惧しているようだが、実際には違う、起きてなかったことにされた出来事なのだ。やはり、記憶が混合している。彼女のミスか、それとも、彼女が魔力を失っているからこそ起きたアクシデントか。
けれど、リースにそんな夢を見せている事態を起こした私が、それは過去に……正しくは前の世界で起こったことなんですと言えなかった。というか、多分、言えない。私が、前世の話を出来るのは、多分相手側がそれで揺らがないからだろう。この世界で紡いだ、前の世界の記憶はERROR表示が出て、話せないけれど、前世の話なら……
(でも、それって、冬華さんのいっていたこととちがくない?)
まあ何はともあれ、結局何も思い出して貰えないのだから仕方がない。
「そ、それは……嫌な夢ですね。具体的に……いや、いわなくて良いです。その話は、エトワール・ヴィアラッテア……聖女様に話したんですか?」
「いや、話していない。だが、俺が魘されていることを知っていると、心配してくれた。本当に優しい、婚約者だと思う」
「婚約者……結婚する予定なんですか」
「ああ。ゆくゆくは」
と、リースは迷いなしに答えた。本当に力強く堪えるものだから、私はおじけづいて何も言い返せなかった。言い返して逆上されても困るし。
ここは、そうなんですか、といって合わせて、また耐える。耐えてばかりだ。確信が持てる話が何も出来ずに、変わらぬ好感度を眺めることしかできない。ただ、興味がない……というわけではないのだろう。いや、ただ話し相手が欲しかっただけか。何も分からない。
(そうだよね……婚約者……てか、早い。本当に、エトワール・ヴィアラッテアは……)
逆ハー狙いではなくて、リース狙い。これは、私への嫌がらせと捉えてもいいのか。いや、私がいない世界なのに、逆ハー……リースを攻略する意味が分からないのだ。
(このまま、アルベドにエトワール・ヴィアラッテアを任せているのは危険かも。早く帰った方が……)
気持ちが揺らいだ。洗脳をとくには、その人物と話す必要がある。けれど、話しても、どうにもならないなら、それなりのアクシデントを起こさないといけない。今回はそれができなかった。私ならいけると思ったのに。
私の思いがそれまでな気がしてならなかった。私は、リースが好きで。でも、今のリースは……そう考えてしまって、何も出来なくなる。最悪だ。奮い立たせないといけないのに、自分を……否定されて、それで泣いてしまうような女ではないはずなのに。
「その……遥輝は、どこまで覚えているの。前世のこと」
「前世?全て覚えているに決まっているだろう」
「そ、それって、灯華さんが親友で……灯華さんは、蛍が好きで」
「……本当にお前は何なんだ?」
と、リースは少し機嫌を損ねたように私を睨み付けた。私を上から下までじっくり見て、それでも分からないというように首を傾げる。
「お前は、この物語に出てきたキャラクターではないんだろう?それに転生して……こんなの、物語になかったはずじゃないか?」
「え?この世界が、乙女ゲームの世界だって分かっていて、エトワール・ヴィアラッ……聖女様を好きになったの?」
「……だから、それは一目惚れだと」
「何だか矛盾していない?キャラクターだって分かりながら恋をするって、二次元に恋をしているってことじゃないの。ああ、いや私もしてたんだけど、それでも、好きな人はできたし、いるし……何か、さっきから遥輝のいっていること、全部ごちゃごちゃな気がする。何が言いたい、何を分かっていて、分からないの?」
「俺も、お前のいっていることが分からない」
仕方がないことだとは分かっている。けれど、エトワール・ヴィアラッテアが、乙女ゲームにおいて悪役聖女であると知りながら、一目惚れ。分かる。でも、周りをキャラクターとしてみている、これは分からないわけじゃないが、分からない。エトワール・ヴィアラッテアはキャラクターとしてみていなくて、私はキャラクターとしてみているということなのだろうか。
「私は、この世界が乙女ゲームだと分かっていても、ここで暮らしている人はNPCだとは思わない。生きているから。だから、キャラクターだとか、そんなこと考えないよ」
「……」
「私が、ここまでアンタのこと知ってるのとか、周りのこと知っているのに、何も違和感はないの?蛍……私の親友なんだけど」
「そんな話は聞いたことがない。万場は、いつも一人でいただろう。その孤高さが、高貴さがいいと灯華はいっていた。彼奴はいつも一人だ。俺は、興味がないから知らないが、そういっていたんだから、そうなのだろう」
「違う。蛍は、私の親友で、私は、私は――」
そこまでいおうとして、ぐいっと後ろに髪を引っ張られるような感覚がした。いや、喉を絞められるような感覚。
「どうした?」
ヴーヴーと嫌な音が頭の中に鳴り響く、呼吸も荒くなり、私が歪む視界で目を開けば、見慣れた赤い警告表示が出ていた。
(え、ERROR……こんな時に)
私の名前は言えない、ということらしい。いったら、それがトリガーとなるからだろうか。分からない。でも、これをいったところで、リースが思い出してくれるかなんて分からないのに。頭を抑えながら苦しんでいれば、さすがに驚いたのか、リースは私の方へ寄ってきた。しかし、伸ばした手は私に触れることなく下ろされた。
「俺はお前の事を知らない。お前が、俺のことを知っていたとしても……それは、お前の記憶の中にだけある、俺だろう」
「確かにそうかも知れない」
「だったら――」
「だったらでも、何でもないよ。私は、リースを……遥輝を知っている。それだけ、伝えたかった。だから、ここまで来た」
「ステラ?」
と、私の名前を呼ぶリース。彼は、自分の記憶に無いものを、ノイズを排除しようと私をはねのけようとした。でも、その隙間に潜り込んで、私が彼に何か言えるとしたら……きっと、それが彼の中に残るだろうと。
ERROR表示に、頭が痛くなりつつ、私はリースに微笑みかけた。それをみてか、彼の瞳は大きく揺れた気がした。リースが忘れても、私が忘れなければ、きっといつか思い出してくれる。夢みたいな話だけど、今はそれを信じるしかない。
(なんか、少しだけ、心……軽くなった気がする)
覚えていないってことも、エトワール・ヴィアラッテアを好きだという彼を前にしても、私は最初以上の動揺はしなかった。それを受け入れた上でどうするべきかと次のことを考えている。悪いのは、エトワール・ヴィアラッテアであって、忘れたリースが悪いわけじゃないから。今日はこの辺にして、アルベドと合流して帰ろうと思った。このまま離れたくないし、喋っていたいけれど、それも敵わないだろうから。
今はまだ……すぐに思い出してくれそうにないから。
「殿下、今日は話を聞いて下さってありがとうございます。この世界にきて、少し不安だったので、殿下と話せたことが、何よりも救いになりました」
「そう……か。何も、力になれずにすまないな」
ああ、アンタは優しいから――根は優しくて、でも冷たくて。リースは、不甲斐ないと視線を落としていた。
「いいえ、大丈夫です。また話しましょう。殿下が、遥輝が思い出してくれるまで、ずっと待ってる」
「……そうか」
「ああ、それと一つだけお願いを聞いてくれますか?図々しいとは思ってはいるのですが、これだけは」
と、私は一歩前に出てリースに自分の透明な瞳を真っ直ぐと向けた。




