138 私だけが知っている彼
(遥輝にフラれた人達も、こんな気持ちだったのかな……)
今なら分かる気がする。遥輝に私は好かれていたから、感じなかったけれど、彼が好きでも、彼に思いが届かなかった人達はこんな思いをしていたんだろう。好きなのに……でもその好きがどれほどのものかは分からない。けれど、彼は、冷たく素っ気なく、今みたいにかえしていたに違いないのだ。
彼は、自分の興味あるものにしか、興味を示さないと。一途になったら、追い求めるが、そうでなければ……といった所だろう。そう、私は今興味を持たれていないということなのだ。
(泣くのだけは、みっともないから泣かないで)
化粧は崩れるし、ここまで、貴族令嬢としてやってきたのが、ダメになってしまう気がした。だから、そこだけは、しっかりと自分を保とうと。できる、できる、と自分を奮い立たせて。その場に、しっかり足をつけることしかできなかった。
「今、なんていったんだ?」
と、遥輝、リースはそういうと、私の方を見た。少しだけ、ルビーの瞳が揺れた気がした。期待してはいけないのに、期待してしまいそうになる。その気持ちを、グッと抑えて、私はリースの方を見た。彼は、何かを探すような目で、私を見ると、疑わしげに、眉間に皺を寄せた。
「お前は、誰なんだ……俺の知っている人物なのか」
「先ほど言ったとおりです。覚えていないかも知れないけれど、白瑛高校にも通っていた……朝霧遥輝……それが、貴方の名前でしょう?前世の」
「あ、ああ……同じクラスだったか?学校が一緒……とかなのか。悪い、何も思い出せない。いや、知らない。お前のことは」
と、遥輝は、苦しそうに言った。彼の好感度がチカチカと揺れ、あの南京錠が見える。もう一押しすれば、もしかしたら……と思ったが、彼は首を横に振った。私の事なんて知らないと、そう強く言って、鋭い眼光を向ける。
「分からない……それで、お前の名前は?」
「……」
「言わなければ分からない。いや、いって貰ったところで、お前の事を覚えているかは分からないが。だが……」
「だが――何ですか?」
私が、寂しく彼を見れば、何故か彼は傷ついたような目を私に向けてきた。思い出そうと必死になってくれているのだろう。けれど、その記憶は深いところに閉じ込められて、すぐに出てきそうにはなかった。彼を苦しめたいわけではない。けれど、このまま、虚空に喋り続けるもの辛かった。アルベドがどれだけ時間を稼いでくれるかも分からないし、早いところ切り上げて、後日また伺うことだって考えた。ただ、その間に、エトワール・ヴィアラッテアが彼に再び洗脳をかけたら……私と出会ったとこも忘れてしまうかも知れないのだ。
私の名前を教えても良いものなのだろうか。教えたら、きっと、エトワール・ヴィアラッテアにも伝わってしまう。それでも、伝えるべきなのだろうか。
「俺も、お前に会ったことがある気がするんだ」
「……え?」
「いや、そんなはずない……のにな、何故かお前を見ていると、胸が痛くなる。ステラ・フィーバス辺境伯令嬢には、会うのが初めてのはずなのにな」
と、リースはそう言って、自分が信じられないことを言っていると言わんばかりに、顔を一掃した。指の隙間から流れる黄金の髪は、光を失っているようにも思え、私は瞬きをした。いや、それではなくて、彼の言った言葉にだ。
覚えているはずもないのに、会ったことがある気がする。私に会ったことで、少しだけ洗脳が解けたのではないかと、先ほどから、急上昇急降下のジェットコースターに乗っている気分だった。何の確証も確認も得られない状況で、こんなに掻き乱されていては、私もやっていけない。
「そう、ですか……私は、殿下の事知っていますよ」
「そうだろうな……俺の名前を知っているということは、俺に会ったことがあると言うことだ。といっても、俺は、高校時代、親友と一緒にいることが多かったからな……数多の女子から告白は受けたが……覚えていないし」
「そ、そーなんですねえ……」
知ってるし、それは、ある意味自慢なのではないだろうかと思った。遥輝がそれを言わなくても、知っているし、私にわざわざ言ってくれなくても遥輝を知っているというだけで、その情報は知っているはずなのだ。わざわざいったこの男……ナルシストなのか? と一瞬思ったが、恋人を悪く言うのはやめた。また新しい彼の一面を見た気がして、本当に何も知らないな、と私は笑ってしまう。
「アンタがモテていたのは知っているし、女性に興味がないのも勿論知ってる」
「何故?」
「何故って……あれだけ目立っていれば、誰だってそう思うのが普通じゃない?本当に、自分のことも、他人のことも興味ないのね……」
「あ、ああ……そうかもしれない」
そう言って、リースは頬をかいた。私もつい、いつも通りに喋ってしまって、いけないと口を口元を覆った。不敬罪で殺されないか、ヒヤヒヤしながら見れば、またリースは一人で考えているようだった。何をしても絵になるこの男は、見ているのだけでお腹いっぱいになる。推しの顔だし……
「俺は、誰にも興味がなかった。だが、この世界にきて、独りぼっちの俺の世界に入ってきてくれたのが、エトワールだった。一目見たとき、星のようで……所謂一目惚れだな。したんだ……俺は」
「そう、なの……遥輝が一目惚れなんて、あるんだ」
遥輝の口から一目惚れなどと言う言葉が飛び出すと思わなかった。だからか、その言葉を受けて、違和感というか、気持ち悪いと思ってしまう。勿論、一目惚れが悪いわけでもなければ、その人の感性だとは思うけれど、何というか、遥輝にはとりあえずその言葉が似合わなかった。彼は……どちらかというと、中身を見て決めるタイプだと思っていたから。
(それすら、ねじ曲げられているんだ……)
エトワール・ヴィアラッテアが、何か渾身的に、彼をサポートしたり、彼の心を揺さぶったりして……というのではなく、あくまで一目惚れで、というふうに変えたと。私の今までが否定されるような、記憶の改ざんに、頭が痛くなっていた。そんなことあってたまるかと、そう言いたかった。けれども、この記憶改ざんに対して、私が施せる処理はない。
私が、彼と紡いできた時間が全て消し去られた、それだけのことなのだと。
「別に、一目惚れを悪くいうわけじゃないけれど……その、そんなふうに見えないから。もっと、遥輝……は。私の知っている朝霧遥輝っていう人間は、中身を見て選ぶ人間だと思っていたから、意外で。でも、好きな人ができたのなら……それも、いいかもしれない……だって、それまで、ずっと独りぼっちだって思ってきたんだったら、ね……それは」
思ってもいない事が、口から零れる。彼が、独りぼっちだと思っていたのは知っていた。自分が理解されない、人間不信の自分を、外見や能力だけではなく内面で評価して、理解してくれる人を遥輝は求めていた。だからこそ、私だったのかも知れない。これは、自惚れで、馬鹿みたいな負け惜しみだけど。
そんなふうに私が俯いていれば、遥輝は「そうか」と、また何処か寂しそうにいう。完全に洗脳にかかっていたら、彼は私に同情なんてしてくれなかっただろう。記憶の断片が、ありがたいことに残っているからこそ、疑問を浮べ、そこに突っ込んでくるのだ。
「あはは、でも、遥輝って、一途なのは知ってるから。一途で、周りが見えなくなっちゃうんだよね!もう、いたいくらいに分かる」
「俺のことを何だと思っているんだ。全く。だが、最近、嫌な夢を見るな」
「嫌な夢?」
「ああ、嫌な夢だ。朝起きたら、苦しくて、心臓がえぐり取られるような、そんな痛みと悲しみ……喪失感を」
と、遥輝は区切ったかと思えば、私の方を見た。遥輝、否――リースは。
「エトワールが死ぬ夢を見るんだ。俺が手を伸ばしても、届かなくて、俺の知らないところにいってしまう……二度と会えない夢を」




