135 踏み出した一歩は
「フィーバス辺境伯……の娘。ああ、噂では聞いたことがあるな。そうか、あのフィーバス卿が、養子をとったのか。珍しいこともあるんだな」
「そうよ」
「どんな手を使って、取り入ったんだ?ただ魔力が使えるだけで、フィーバス卿の養子になれるわけないだろう。どんな手を使った。それに、あのアルベド・レイと、婚約者になった理由も、聞きたいところだが」
と、ルビーの瞳を鋭くしてリースは冷たい言葉を放った。元の彼は、こんなに冷たかったっけ、と思うほど、彼の言葉の節々に棘を感じる。これも、エトワール・ヴィアラッテアの影響か。全て彼女になすりつけてしまうけれど、そうとしか思えないような、この豹変っぷりに、私の頭は理解が追いつかずにいた。
目の前にいる彼は、私の知っている彼で間違いないだろうに。中身が遥輝だって分かる喋り方というか。推しのリース・グリューエンではないと一発で分かるのに。それでも、リース、遥輝ではない気がしてならないのだ。彼を知っている誰かに、彼は遥輝ですかと聞きたいがそれを尋ねられる手段がないわけで。
でも、彼は、私が思っていた以上に冷たい人間になっていた。いや、元々そうだったのが、悪化したというべきか。分からない。分かっていたはずなのに分からないのだ。
(恋人に染まるって、いいことばかりじゃないけれど、やっぱり悪いよね……この影響は)
フィーバス卿に取り入ったとか、アルベドと何か裏があるんだろうとか、疑われるのは嫌だった。でも、確かにそうでは会ったから、本質的に、痛いところを突いてきているのには間違いがなかった。けれど、そういうやましい理由とか聞かれたくないし、祝福の言葉一つもかけてくれない彼に苛立ちを覚えないわけではなかった。
「何のことでしょうか」
「いったとおりだ。答えられないというのか?」
「殿下、まず場所を変えませんか。皆が見ています」
「いいだろう。貴様との話は、これで終わりだ。何も面白くない」
そういって、リースは私の元を去ろうとしていた。好感度は、下がることも、上がることもなかった。変動なしに、少し違和感を覚えつつも、私は彼をどう引き止めれば良いか分からなかった。本当に、背を向けて歩き出しそうだし、周りもざわつき始めた。このままでは、一生会えなくなる。アルベドと離れただけで、少し悲しかったっていうのに、耐えられるはずもなかった。
でも、どうやっって引き止めれば良いか分からなかったのだ。そうして、遠くなっていく彼の背中を見ていれば、「はる……殿下」と聞き慣れた声が響いた。
「ルーメン、何のようだ」
「いや、今、お……じゃなくて、殿下が令嬢を泣かせたように見えたので、声をかけたまでです。殿下、何か令嬢がいけない事をしたのですか?」
ちらりと、ルーメンさんはこちらを見た。何だか申し訳なさそうな、それでいて、少しリースに対して、ああまたか……みたいな呆れを含んだような表情を浮べている。彼も、久しぶりに会う気がして、少しだけ、安心感が心の奥で芽生えた。あっちが覚えているはずもないのに、知り合いに会うだけで、ここまで自分の心が穏やかになるとは思わなかった。でも、それまでなのだ。
リースは、親友であるルーメンさんが来ても、その苛立ちが抑えられないように、彼を睨み付け、ルーメンさんも怪訝な顔で睨み返していた。
「聖女様が無理言って主催したパーティーなんだから、あまりそんな顔するなよ。で、聖女様何処行ったの?」
「こいつが、俺とエトワールを引き剥がした。それに苛立っていたんだ。いいだろ、話はこれくらいで」
「これくらいって……お前、もう少し……ごほん、殿下はもう少し、社交的になるべきでは?未来の皇帝がこれでは……」
「俺は、あのクソ親父みたいにはならないぞ。いいから、そこを退け」
「で、殿下待って下さい!」
ルーメンさんが、何とか引き止めてくれていたので、私は声を上げた。勿論、皆に注目されているのは分かっている。私は、婚約者がいる身だし、もっといえば、社交界一日目、初心者だ。だから、粗相はしないと決めていた。けれど、これはあんまりだった。行動しなければ変わらない。少しでも、印象に残らなければ、きっと彼の記憶からは一生私は除外為れ続けるだろう。
リースは声を上げた私の方を見た。ようやく見てくれたかと思ったけれど、彼の瞳には、分厚いフィルターのようなものがかかっていて、しっかりと私の顔を認識することはなかった。それでもいい、振向いてくれたのなら。
「少しだけ、お話を聞いて欲しいのです。災厄のこと……これから起こる出来事について。お時間をいただけませんか」
「何故、一介の令嬢である貴様が、災厄について語るのだ。聖女が……エトワールがいれば、災厄など、恐れるに足りないだろう」
「いいえ。ヘウンデウン教とのこともあります。私は、彼らの動向を探っていまして、情報を、殿下にお伝えできればと思い――」
「……ヘウンデウン教」
私の一言で、会場はざわめき出す。皇宮で、しかも、ただのパーティーで、あの恐ろしい教団の名前を出したのだ。そりゃ皆怖がることだろう。それでも、私は恐れずに、一歩を踏み出す。この話題が、果たして、彼の興味を引けるものなのかは別として。でも、皇太子として、この話題は見過ごせないだろう。
案の定、リースは、嫌そうに顔を歪めながらも私の方を向いた。
「はい。アルベド様と、は……その関係で知りあって。勿論、アルベド様は、ヘウンデウン教との繋がりは一切ないです。彼は変えようとしているんです。今の、この現状を」
「この現状とは、光魔法と、闇魔法が分裂している状況のことか」
「はい!」
「無駄だ。そんなものがすぐに解消できるとは思わない。アルベド・レイも落ちたものだな。貴様も、その夢見がちな性格はやめた方がいい」
「ご、ご心配なさらず。この性格は元からなので」
これでもダメ? どれだけ頑固なのよ。全く、自分の恋人だというのに呆れると思った。私が他人だから冷たくするんだろうけれど……でも、これが、周りが思っていた、遥輝の人物像というか。周りに冷たく、自分が許したものだけ、自分の内側に入れる。誰だって普通はそうだろう。だから、これは普通であって。
(でも、でも、さすがに傷つく!)
笑ってくれないし、見てもくれないし。それだけが問題じゃないけれど、それが一番嫌で。
「殿下、あまり強く言うのは……あの、アルベド・レイ公爵子息様の考えですよ。何かあるに決まってますって」
ルーメンさん、ナイスフォローとおもいながらも、リースはやっぱり聞く耳を立てなかった。一応、私に婚約者がいるから気遣っているのかも知れないと思ったが、そうではなくて、エトワール・ヴィアラッテアが気になって仕方がないんだろう。彼の性格上、一途になったら、それはもうとことん周りが見えなくなるから。そういう性格を受け継いでいるところはリースだし、そこが厄介なところでもあった。
ルーメンさんにこれ以上迷惑をかけるわけにもいかないなと思いつつも、彼も、私のことを知らない訳で、ここでどう行動すれば良いのか分からなかった。ただ、もうどうにでもなれと、さらに追求する。
「遥輝……」
「……お前、今、なんて?」
遥輝の名前。知っている筈無いし、この世界ではルーメンさん以外には呼ばれないだろう。だから、さすがにこれには反応すると思い、一か八かで名前を呼んでみた。鳩が豆鉄砲くらったような、ルビーの瞳で私を見ると、少しだけ彼の瞳に光が宿った気がした。
「……お前は、何者なんだ?」




