103 連れて行かないで
『憎い、憎い、憎い。満たされない、満たされない、満たされない。もっと愛して、もっと愛して、もっと愛して!私だけを愛して』
「……えと、わーる……」
「ステラ!」
グググググと締め付けられる首。
抵抗していた手にも力が入ってこなくなり、プランと、私の手は力なく宙に投げ出される。意識も遠のいていき、また殺されるのではないかという恐怖に包まれる。
しかし、目の前の靄は、私が死ぬのを喜んでいるようには思えず、何故、と絶えず私に呼びかけてきていた。心からの叫びのように。
「しら……ない、し……」
『愛して』
「…………」
『愛して』
満たされないとか、愛してとか、必死に言っているのは分かった。けれど、それがちっとも私の心には響かない。偽物の世界を作って、自分の都合のいい世界に創り上げたのに、それでもまだ足りないのかと。満たされないって何? 私は、全てをアンタに奪われたのに。
怒りは込み上げてきたが、それ以上にエトワール・ヴィアラッテアと思しき靄の念は強く、私の内側へと入ってこようとしている。まるで、自分の孤独や苦悩を死ってくれとでも、強制的にそんな思考にでもさせようとするように。
リースや他の皆も、こんな風にエトワール・ヴィアラッテアの勝手な思いをすり込まれて、ねじ込まれて、記憶に蓋をされてしまったのだろうか。こんな痛くて、苦しくて、どうしようもなく死にたくなるようなこんな気持ちに。
『貴方は愛してくれる?愛してくれるよね。私は愛されるべき人間なの。私は愛、愛、愛、愛、愛、愛、愛、愛、愛――』
「愛、愛……って、何。いみ、わかんない」
どれだけ飢えているのだろうか。
エトワール・ヴィアラッテアももしかしたらループしている? 誰かが、ゲームをするたびに悪役になって。そして、悪役ルートで頑張ってハッピーエンドを目指しても報われずに死んで。それを繰り返している? そうだったとしたら可哀相だ。けれど、同情はできない。
その矛先が、このゲームを作った人達に向いたら? シナリオライターの冬華さんに向いたら? それはまた違うだろう。
主人公がいれば、悪役がいて。そうして物語は盛り上がるんだから。確かに消費コンテンツかも知れないけれど、それがなかったら物語の盛り上がりに欠けるし、それがなかったらそれは――
「う……っ」
憎悪なのか、悲しみなのか。分からないけれど、私の首を絞めていく力だけは強くなっていき、それがとても痛かった。このまま死ぬのかと目を瞑った時ガシッと、靄を確かに掴む音が聞えた。
「ある、べど……」
「誰の怨念か知らねえけど、ステラに手を出すんじゃねえ」
アルベドはそういって、靄の手を摑んで地面に叩きつけた。何か術を使ったのか、その瞬間に私の首に巻き付いていた手は消え失せる。本当に一体なんなのか。というか、どれだけの恨みをあの念は持っていたのだろう……と思ったところで私は脱力して地面へと倒れこんでしまった。
「ステラ!」
心配そうに駆けてくるフィーバス卿と目があったけれど、それよりも痛む首の方が気になったので私は身体を起こしながら首を撫でた。しかし、痛みは引かず、アルベドが離してくれたあの靄は再び私を狙ってやってくる。
「ステラを狙っているのか……クソッ」
フィーバス卿はそういって、氷魔法を使うが、輪郭のない靄は魔法攻撃をスルリとかわして、こちらに向かってくる。防御魔法を展開してもその隙間から本当に粒子のような細かい形状となって、防御結界の隙間から入り込んでくる。
(ヤバイ、よね……これ)
身体の節々が痛い。息が上がってしまって呼吸するだけで精一杯だ。私をどうするつもりなんだろうか。身体の中にあの靄が入り込んできたような感じだ。ウイルスとかそういうのと似ているのだろうか……
何にしろ、あれがエトワール・ヴィアラッテアの念だっていうことをアルベドに気づいて貰わなければと思った。
「ある……ッ」
「何だ、こいつ」
私がアルベドにその事実を教えようと思い顔を上げると、既にあの靄はアルベドの身体にまとわりついていた。身体を絡ませるようにアルベドの身体を束縛していく。そして、形を少しずつ変えながらアルベドの方へと覆い被さっていったのだ。
「くそ……」
靄で視界が閉ざされていく中で、私が最後に見たのは必死にそれを剥がそうとしながらもその靄に飲み込まれていくアルベドの姿だった。
もしあの靄が、洗脳をする類いのものだったら? さっき考えた、あれにリースたちが飲み込まれたんじゃないかっていう考察があっていたとしたら? アルベドの記憶を持っていかれてしまうとしたら?
そんな嫌な想像が頭をよぎって私は、痛む身体にむち打って走り出した。
あの靄に何が効くかとかそんなの考えている暇はなかった。アルベドが飲み込まれてしまったら、今ある大切なものが全て無くなってしまう気がした。
それに、いつも助けてもらってばかりなのに、私が助けられないでどうすると。こんなことで恩を返そうとか、そういうのよりもさきに私は、アルベドを助けたいと思った。
「待ってッ」
靄まであと少しのところで足を踏み出した瞬間だった。目の前に空間が開いたと思ったらそこから手がのびて私を羽交い締めにする。それがあの靄だと瞬時に悟った私は抵抗して暴れたけれどビクともしなかった。そしてそのままズルズルと靄の方へと引きずられていく。
アルベドだけではなく、私も飲み込むつもりなのだろう。先ほどは、輪郭のない不透明なものとばかり思っていた。油断していたのは全くその通りで。
「アルベド……アルベド!」
「ステラ、そこにいんのか」
「いる、いるから手、伸して!」
「……くッ」
アルベドは、靄の束縛に必死に抵抗しているようで私の手を掴んでくれそうにはない。それに、多分だけど靄の力は強い方で中々振りほどけない。
(一体どうしたら――)
私の腕がそろそろ限界だ。気を緩めた瞬間にもっと霧は私を包んでしまうだろう。
このままじゃ、アルベドも私も共倒れになってしまう。
フィーバス卿も、アウローラも今どの位置にいるか分からない。何も見えない闇の中。あの肉塊と性質的には同じなのだろう。違うのは、その本人がここにいないこと、輪郭を持たないこと。洗脳系なら、精神の内側に入り込んできて……とも考えられる。
「アルベド、返事をして!」
「……」
「飲み込まれないで、お願い!」
一人にしないで。
そう口から出そうになった。いっている意味が分からない。自分でも、一人にしないでという気持ちが膨れあがっていく。
一人にしないで、一人は嫌だ。
これは私の感情なのだろうか。それとも、エトワール・ヴィアラッテアが感じている感情? 私の中に、彼女の感情が流れ込んできているというのだろうか。
いいや違う。私と、彼女は境遇が似ている。だからこそ、同化してきているんじゃないかと思った。けれど、彼女とは一緒じゃないとどうにか自分を奮い立たせる。
闇の中で手を伸ばせば、またつめたく、指の先から凍ってしまいそうな寒さが襲いかかってきた。アルベドの温もりも、フィーバス卿やアウローラの温もりも感じない暗闇に私は一人だ。
闇に飲まれたからか、距離感というものが分からなくなった。あの肉塊のように空間が永遠に広がっているのだろうか……そんな気さえする。
怖い恐ろしい。
エトワール・ヴィアラッテアを倒して、元の世界に戻すって決めたのに、いざ彼女の抱える闇と向き合ったとき、私はまだ彼女の闇と向き合える勇気がないことに気がついた。私が戦おうとしていたのは、もっと深く底の見え無いもの。
私は一人じゃ戦えない……
「アルベド!」
「……」
「アルベド・レイ! 私はここ、本物のエトワール・ヴィアラッテアはここにいるから!」
もう一度、もう一度手を伸ばす。どこに彼がいるか分からない。でも手を伸ばすしかなかった。声が届かなくても、光が見えなくても私は――
「……いた」
紅蓮が闇の中で光った気がした。
一等星……赤い星のように。
私はそれにむかって魔力を集める。痛いかも知れないけど、これが一番、いやいまできる最善策だと思ったから。彼がやった光と闇の反発を。
「アルベド!」




