山歩き(その二)
昼の休憩を早めに切り上げ、麗子たちの班が出発した。
途中で抜かして言った班が、二班ほど山頂にいたので、五分から十分ぐらいは時間を巻き戻せたはずだ。
村地が先頭を歩くことで、全体のペースが早くなっている。
麗子は変わらず後ろから二番目の位置にいた。
前を見たまま、後ろを歩く副班長に言う。
「天気が変わるって言ってたけど、信じられないよね」
「うんいい天気だよね。けど山の天気って……」
そこから先はこの自然教室の間、先生から何度も聞かされる。
麗子と一番後ろを歩く副班長、聡美は声を揃えた。
『変わりやすい』
聡美が笑う声を聴いて、麗子はチラリと振り返った。
柔らかい、優しい笑顔だった。
「?」
首を傾げる聡美を見た。
「麗子ってさ、なんかエロい目で他人のこと見る時があるよね」
「えっ、そんなことないでしょ」
「今、そんな感じだった」
「嘘。誤解誤解」
そう言いながら『失敗した』と麗子は思った。
聡美の笑顔を見た時に、抑えきれない、湧き上がる感情があった。
それは『かわいい』とか『綺麗』とか『美しい』とか純粋な感情だけでなく、聡美の言う通り『抱きたい』とか『キスしたい』とか邪な気持ちも含まれている。
もしかしたら、自分のこの感情のせいで霊力が漏れているのかもしれない。
「麗子と同じ班になった、って言うと結構羨ましがられるんだよね」
「訳わからない」
「麗子を好きな女子がいるってことだよ」
「そんな訳ないじゃん」
「私思うんだけど、麗子も女子好きなんでしょ?」
「ちょっと、ちょっと。それハラスメント」
「……」
聡美は何か言いかけたが、声にならなかった。
麗子は少し言いすぎたかと思ったが『女子が好き』などと言うのを認めるような言動をしてしまうと、今以上に変な人間関係が形成されてしまう。ビシッとシャットダウンしておくところはやっておかないと。
そこからはちょうど急な角度で降りねばならず、自然と会話が減るような道だったこともあって、聡美と話すこともなく時間が過ぎていった。
山から舗装した道に出ると、急に見通しが良くなって、前を歩いている班がいくつか見えた。
舗装した道は歩道ではなかったが、車が来ないので、麗子たちは少し横に広がって歩いた。
別れ道に杭が立っていて、目的の滝を示す方へ道を曲がる。
陽がさしていて、歩いていると暖かいどころか暑いくらいで、天気が悪くなる予兆さえない。
滝の方へと道を曲がってしばらく進むと、木の立札があって再び山道が始まった。
草木が密に生えており、道も谷間を進むせいか、天気はいいのに周囲はかなり暗くなった。
聡美が話しかけてくる。
「ちょっと怖いね」
麗子は振り返らずに返す。
「薄暗いだけだよ、心配ないよ」
「麗子がそういうと、本当にそんな気持ちになってくる」
「えっ、そうかな」
もしかして聡美の気持ちをコントロールしているのかと麗子は考えた。知らず知らず言葉に霊力が入っていたとすれば、そう感じるのも無理はない。本当にこの問題は厄介だ。
そんなことを考えながらも、麗子達の班は進んでいく。
深い森の中の道を歩いていると、周囲に光る目を見つける。
同じような目を、初日の班別散策で見た気がする。麗子は言う。
「キツネかな?」
「えっ? ヤダ……」
「気がつかなかった?」
「えっ、うん。分からなかったけど」
初日の散策の時は、全員がキツネの気配を感じていた。流石に『狩場に入るな』という声までは聴こえなかったようだが。
「ちょっと注意してみて」
「そうする」
急な崖のような場所を、ジグザグに降りていく。
岩肌が見えていて、草木が少ない。流石にこんな場所で目が光れば、姿も見えるだろう。
滝の音が聞こえてくる。風が涼しくて汗を掻いた身体に心地いい。
「いない、ね」
聡美の方から声をかけてきた。
「そうだね。気のせいだったのかも」
「あっ!」
「いた?」
「ちょっとだけ滝が見えた」
「音は聞こえてるもんね」
「すごく綺麗だよ。早く行こう」
聡美の言葉に煽られたように、前を行く班員もスピードを上げた。
麗子たちもそれに合わせて下っていくと、滝壺のそば、滝の見える岩場に着いた。
先に着いた班の生徒たちが、滝を背景に写真を撮っている。
谷間に差し込む日の光が、ちょうどスポットライトを充てたかのように、岩場に立つ人と滝を照らしている。
「すごいきれい」
前を行っている班からカメラを渡されて村地が写真を撮る。
それをみて、麗子たちもいう
「私たちもとって」
「もちろん」
班員全員で記念撮影し、個々にも写真を撮ると、皆んなで写真を見せあったりした。
次々に生徒が滝周辺に到着すると写真を撮るのに時間がかかり、岩場が混んできた。
「うちらはペースが遅いから、ここら辺で切り上げましょう」
周りの様子をみて、村地が言った。
班員は誰も反対せず、残りの道程を考えて出発した。
川沿いに歩く道は、谷間のせいか陽が差し込まず、いっそう暗かった。
谷間の斜面から水が流れ込み、川になっていくせいなのか。雨が降っているわけでもないのに、土が濡れていた。
暗い草木の奥に、麗子は再び光る目を見た。
『狩場から出ていけ。そう言ったはずだ』
麗子はキツネの『声』に立ち止まった。
声だが音ではない。
音のように聞こえた感じがするのは、それが言葉だからだ。だが、空気を震わせて伝えた言葉ではない。
「どうしたの麗子」
空気を震わせていれば、つまり音であれば、聡美にも聞こえていただろう。
「聞こえなかった?」
「何が」
やっぱり。
キツネではなく、キツネの霊なのだ。散策の時に見たのは、霊に動かされた生物のキツネ。私に話しかけてくるのはキツネの『霊』だ。
「……なんでもない」
前を行く班員と距離が空いてしまった。麗子は少し早足で山道を進んでいった。




