疑惑
新しくできる部署は、対象エリアが海外で、国内向けとは違う新しいシステムを作って販売するのを目的にしている。開発から営業までを独立して受け持つから、ちょっと国内の部署とは異なる。仕事の幅も大きいし、やることも多い。だけれど、かなりやりがいはある。
成瀬さんは元々開発をやりたいと言う強い希望があり、海外志向も強かった。
その部署のトップになるのは、いわば、適任と言う気がする。
新しく立ちあげる部署だから、人も各部署から選抜する。準備でこれから忙しくなるだろう。
「成瀬くん、すごいなあ。一気に出世だね」
松橋さんはそう言って笑った。
「でも、誰を選抜しますかね」
林さんはソワソワしていた。林さんは今度からアシスタントから営業職に移ることが決まっている。だからおそらく異動はないだろう。
だけど新設の、しかも海外を相手にする部署に呼ばれるって、各部署の精鋭だと思う。希望者は多いだろうな、と思うし、そこに誰が選ばれるか、気になっている人は多い。
「牧野さんは絶対呼ばれるよ」
「え、そうですか?」
林さんの指摘に私は驚いた。だけど林さんは大きく首を横にふった。
「いや、成瀬さんは牧野さん以外の人はもうダメだと思うよ」
そんなことないと言おうとして、松橋さんも付け加えた。
「そうね。牧野さんは一緒に異動かな」
営業で学んだことはたくさんあるし、成長したとは思うけれど、引き抜かれるほどの実力はない。ただ、成瀬さんが希望するから、引き抜かれると言うのは、何だか納得いかない。自分も納得できないし、周りもそうだろう。
そんなことをぼんやり考えていると、郵便局に行って欲しいと言う声が上がって、昼休憩を兼ねて、私がいくことにした。郵便局に行って、外でお弁当を買って、休憩室で食べる。ちょうど会議が終わったのか、人が大勢入ってきた。私は大きな観葉植物の奥の椅子に座っていたから、その人たちには私の姿は見えなかったと思う。
それは本当に偶然だった。
話す声が、少し大きかった、もしくは休憩室に他に誰もいないから聞こえてしまったのかもしれない。
「新しい部署の課長、やっぱり成瀬でしたね」
「まあ当然かな」
成瀬さんのことだ。私は思わず顔をあげて、耳をすましてしまった。
「ちょっと早い気もするけど、他に適任もいないし、アイツなら十分だろう」
「ただ、成瀬は指導力がないからな」
「アイツの下で成長したやつ、いないからな」
その言葉にドキリとした。成瀬さんを批判する声を聞くのは、実は初めてだった。
「それが、今、成瀬のアシスタントについてる子が伸びてるって評判が良くて」
「へえ、そうなんだ」
私のことだ、と思わず顔が赤くなった。
「この間の会議で奥平が出した資料もその子が一人で作ったらしいですよ」
「ああ、あれ。よくできてたね」
「あれが作れるならいいかもしれないな」
この間自分が作ったものが、そんな大きな会議で使われていたなんて知らなかった。後で課長に苦情を言おうとして、だけど、褒められたことに、安心して嬉しくなる。
だけど奥平課長を呼び捨てにできるなんて、上層部の人かもしれない、気になって覗いたけど、誰かはわからない。
だけど、一人だけ、わかった。
以前、私と成瀬さんが初めて会話した日の会議で成瀬さんにやり込められていた人だった。
「じゃあ、大丈夫か。成瀬の心配は指導力だけだから。仕事は十分すぎるほどだし」
「上になるなら、成績だけでなくて指導力も重要だからな」
「まあ、指導力も評価されたから、問題なく選ばれたってことか」
「じゃあ、成瀬はその子に感謝だな」
「そうですね。おかげで出世できたわけですからね」
だけど、最後に一際大きな声がした。その声の主は私にはわかった。
「いや、案外、その子のこと、うまく使ったのかもしれない」
思わず私の手が止まった。気づかれないように声のした方へ顔を向ける。
「成瀬はそう言うタイプじゃないけどな」
「そのためにアシスタントをつけて指導するなんて。成瀬ならそんなことしなくても」
笑いながら否定する声がして、またさっきの声がした。
「わからないよ。あの見た目だし、成瀬ならできるだろ」
あざけるような笑い声の後で、もう一度同じ声が聞こえた。
「成瀬ならちょっと優しくして、その気にさせてうまく仕事をやらせるくらい、簡単だろ」
最後の言葉に、私は目を見開いた。
その後、背後の声はなくなって、ドアの閉まる音がした。
たけど、頭の中から、さっきの話が消えなかった。
成瀬さんは昇進する。
でも昇進するには、指導力を証明する必要があった。
指導力の証明には、部下の成長が必要だった。
頭の中にいろんなことが浮かんでは消えていく。
もし、私がうまくできなかったら、成瀬さんは昇進できなかったのだろうか。
だとしたら、私が成瀬さんを助けたことになる。それならとても、嬉しい。
だけど、最後の言葉が引っかかった。
それはあの人が成瀬さんの印象を悪くするために言っているかもしれない。だけど合致することがたくさん、あった。
この間急に資料を作らされたこと。それも、一人で作るように言われたこと。
成瀬さんと連名なら、成瀬さんが全部作ったと思われる可能性がある。
だから一人で作業させた。
元々私と成瀬さんが仕事で関係良好な事はみんな知っていた。私の仕事が褒められることも増えていた。多分、それは成瀬さんの評価につながったはずだ。
この間課長から頼まれた仕事は、成瀬さんの昇進をより確実にする為の物だったのではないだろうか。会議の後に、使った資料が私が作った物だとわかれば、成瀬さんの指導力が証明されて、誰も文句をいえなくなる。
もちろん、私がちゃんとできていれば、の話だけれど。
もう一つ、気になることがあった。
成瀬さんがアシスタントをつけた事と、その時期だ。
ずっと一人だった人が、急にアシスタントをつけた。異動の時期でもないのに、急に。
とても不自然だった。
逆に、どうしてもその時期につける必要があった、としたら?
私が成瀬さんのアシスタントになって、そろそろ半年になる。
新しい部署ができることが、この間の会議で正式に決まった。今の時期に決まるなら最低でも半年以内に、そのプロジェクトが本格始動しているだろう。
そこの人事を決めるまでに、成瀬さんが結果を出すには…。
半年、と言うのは、人の評価をするにはギリギリの期間ではないだろうか。
私は頭からその考えを払う。
彼はあんなに優しくて、私を大切にしてくれて…あの笑顔や優しさが嘘だなんて、思いたくないし、思えない。
だけど冷静になって考えたら。
成瀬さんの昇進という最終目標に向かって、全てを逆算したら、とても上手に全てがうまく当てはまる。
偶然は、あの時、私が成瀬さんにあった事だけ。
うまくできるなら誰でもよかった。
あの日に提出した書類を、成瀬さんは褒めてくれた。そしてそれは、私が真面目だという証明になった。
真面目な人なら、適任と言える。成功率が上がるから。
新しい部署の課長には、成瀬さんだけでなくて、柳原さんやその他にも希望者はいたはずだ。絶対に逃せないポストのために、絶対に結果を出すために、人を選ぶ必要があって。
偶然あった社員が、真面目で自分に有利になりそうだったから、その人を…
「私を使った…?」
たくさんのことが、かちりと合わさった。
***
成瀬さんが帰ってきたのは、遅い時間だった。疲れたような顔をしている彼は、私の顔を見て、驚いた顔をした。
「何かあった?」
私はよっぽど変な顔をしていたのだろう。私は慌てて笑顔を作ろうとして、
だけど、うまく笑えなかった。
「あの、成瀬さんの仕事が」
そう切り出すと、成瀬さんはああ、と表情を緩めた。
「これから忙しくなるけど、大体形はできているから、そこまで忙しくはならない。異動しても、ずっと海外に行くわけじゃないし、日本で済ませられる物も多いから」
ソファの私の隣に座った。
「里保も俺と一緒に異動するから。また向こうで頑張ろう」
私は成瀬さんの腕を掴んだ。
「話があります」
「何?」
その顔はとても晴れやかで、だから私は少しだけ、ためらった。
聞かないで終わりにする事は簡単だ。
私が黙っていれば、この話はどこかに消えてしまう。
そうしたら、彼とは今まで通りやっていけると思う。
だけど、本当の意味で今までと同じ、にはできない。
私の心の中のどこかに、疑いが残る。やっぱり聞かずにはいられないし、私はいつか必ず聞いてしまうだろう。
私は大きく深呼吸してから口を開いた。
「今回の人事に、成瀬さんの昇進に、私は、私の仕事は関係していますか?」
成瀬さんの顔から笑顔が消えた。不思議そうな顔をする。
「里保がよく仕事をしているのはみんな知ってるよ」
「そう言うことではなくて」
「何が聞きたい?」
私は息をはいた。
俯いた視線の先に、彼の手が見えた。
その長い、形の良い指が好きだった。
その手が頭を撫でるのも、私を抱きしめるのも、全部好きだった。
でも、今は触れられるのが怖いような気がした。
「今日、嫌なことを聞きました」
「何?」
「成瀬さんが昇進するために、アシスタントを利用したって」
「誰がそんな」
思わず息を飲んだ成瀬さんを、私はまっすぐにみつめた。
「私も、そう思いました。そんな事ないって。そうでなかったら…」
私はそこで言葉を止めた。
もし、あの優しさが嘘や打算だったら、
悲しすぎるし、辛すぎる。
私は息を整えて、続けた。
「でも、そう考えたら、納得できることもあって。疑うわけではないです。ただ、それが本当なら辻褄が合うと言うか…。私が一緒に仕事をはじめたタイミングとか、今回の人事とか、全部説明できてしまうから」
俯いた視線の先で、自分の手が見えた。それははっきりと震えていた。
口に出すのが怖かった。
「成瀬さんのこと、信じています。好きな人のことを疑いたくないです。だけどはっきりさせないと、この先成瀬さんの前で笑えない気がして…だからちゃんと話しさせてください」
膝の上で手を握りしめて、顔をあげた。
目の前の大好きな人に、私はとてもひどい言葉を投げかけた。
「成瀬さんは、私のことを利用したんですか?」




