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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第二章 聖宮密謀
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08.奇貨居くべし (1)



 舜国の王都、冠城かんじょうの北に、聖宮があった。

 冠城を初めて訪れた者は、大体が南の大門から入る。王都の最南端から真っすぐ北に延びる広い大路の先にある白く巨大な大聖堂を目にした多くの旅人が、あれが聖宮かと、指を差し、感嘆の声を上げるのだ。八つの尖塔を従えた美しい聖宮は、王都の住人の誇りだった。


 その聖宮の中には、大聖堂だけではなく大小さまざまな殿堂がある。そのうちの一つ、聖宮の主である斎女が来訪者との面談に使用する沃慈殿(よくじでん)に、招かれざる客が訪れていた。


 先導する神官の後に続いていて部屋に入った斎女は、客を見て眉を寄せた。聖宮に武器を持ち込むことは許されない。それにも関わらず、その客は鎧をまとい剣を()びていた。


 十四歳の斎女に深々と頭を下げた男は、髭だけではなく髪にも白いものが目立つ六十がらみの筋骨逞しい武将だった。


 部屋の奥、上座に座った斎女を守るように、左右に神官たちが控えた。

 斎女の正面に立たった男は、野太い割れた声で切り出した。


不躾(ぶしつけ)なるお願いにも関わらずご面談をお許しいただきありがとうございます。私は烈侯より一軍を預かる沈約(しんやく)と申します。王都、並びに聖宮をお守りするよう主より命ぜられました」


 斎女は感情の見えない白い顔で、静かに訊いた。


「西方、猪狄(いてき)の侵攻と聞きしが、まことか」


「敵軍の掲げる旌旗(せいき)を見るに、猪狄(いてき)であること間違いございません」


「王は如何(いかん)


「王、倫在公、並びに采侯はすでに討ち取られた模様」


 左右に控えた神官たちが小さな悲鳴を上げた。


「烈侯は武信公、文成公をはじめ朝廷の主だった方々を伴いすでに南方にご出立されました。彼の地で軍勢を整えます。敵はすでに王都より二十公里(キロメートル)まで進んでおります。日没までに周辺の民を城内に入れ、門を閉じ、籠城に入ります」


「王都は落ちようか」


「いいえ、ご心配には及びません。冠城の城壁は厚く高く、また三方に堀があれば容易にこれを乗り越え、攻め入ることは叶いません。備蓄もございますれば、心安く南方からのお味方をお待ちください」


 少女は初老の将を大きな緑の目でじっと見つめた。


「今このとき、王宮の、王都の主は誰か」


 容赦のない問いに、沈約は心の中で汗を流した。


 相手は十四の少女に過ぎない。聖宮に閉じ込めらえた世間知らずの無力な小さな少女のはずだった。幾多の戦場を駆け抜けた沈約が、なぜこれほどの圧力を感じるのか。


「すでに王都には高位の貴族、官僚はおられません。王宮は私が預かっております。不肖ながら私めが王都をお守りいたします。巫宮(きねのみや)に置かれましては、お心安く聖宮にてお過ごしいただき、冠城二十万の民の寄る辺ない心をそのお力で慰撫(いぶ)いただきたく伏してお願い申し上げます」


 しばらく沈黙が続いた。誰一人として声を上げるものはない。張り詰めた空気の中、静かな声が響いた。


「うぬは烈侯の将という。王の軍は何処(いずこ)か」


「王后、武信公方に従い、南に向かっております」


「王都を捨ててか」


 初老の武将には答えることができなかった。

 痛いばかりの沈黙が続いた。


 しばらくの後、鋭い声が響いた。


「相分かった。王都は聖宮が預からん」


 斎女の顔に表情はなかった。


 予想外の詰問を受けた沈約は、鎧の下で汗を流しながらも、斎女に礼を述べ、剣を持つ非礼を詫びて退出した。


 武将の姿が消えると、二十人ほどの神官たちが足早に近づき、斎女を取り巻いた。口々に不安を訴える。


「宮、これからどうなるのでしょうか」

「王家の方々は聖宮をなんとお考えなのでしょう。自分たちだけ逃げてしまうなんて」

「本当にあの者に任せておいて大丈夫なのでしょうか」

「大神官様がいらっしゃらないのに、王都をどうすればよいのでしょう」


 十も、二十も年上の神官たちに縋り付くように訊かれ、斎女は皮肉な笑みを浮かべた。


狼狽(うろた)えるな」


 鋭い声に、神官たちは押し黙る。


「常と変わらず過ごしおれ。大神官のことはゆめ口にすな」


 神官たちの頂点にあるべき大神官の姿がない。


 表沙汰にするわけにもいかず、ごく少数の神官たちで聖宮内を探し回っているが、いまだに見つからない。敵襲を前に一人だけ逃げたのではないかと思われていた。


「王は我の許しも得ずして陵墓に参った。天の報いを受けるのは避けられぬこと」


 斎女による断罪の言葉に、重い沈黙が下りた。


「大神官も必ずその報いを受けよう。うぬらはただ教えを守り、常日頃と変わりなく祈りを捧げよ」


 神官たちは顔を見合わせると、一人、また一人と斎女に向かって膝を折り頭を下げ、退(しりぞ)いていった。


 突然に大神官が失踪したことを聖宮の外に知られてはならない。言葉には出さないが、誰もがそう考えていた。それは聖宮の権威の失墜につながる醜聞となる。


 神官たちは高い隔壁に守られた聖宮に暮らしている。定められた戒律、慣習を何よりも、王の発する勅令よりも神聖なものとして重視していた。


 その最も神聖な戒律がよりによって大神官によって破られたのだ。

 聖宮の存在意義に関わる失態を神官たちが外に漏らすことはできなかった。


 神官と同じように、斎女も自らの失態を口にすることはできなかった。

 それは、聖宮の、斎女の存在意義に関わること。


 少女の胸に秘密が重くのしかかる。


 神玉が失われたことは、誰も知らない。




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