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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第七章 王都解放
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80.明日



 石造りの建物から外に出た狼奇は、涼しい風を感じて空を見上げた。

 秋というにはまだ早いが、空は青く高く、気持ちよく晴れ渡っていた。


 巨大な聖宮の建物が、大きな影を地に落としている。

 じっとりと苔むした人気のない墓地を狼奇は歩んだ。


 聖宮の北にある禁域の墓所では、大小の墓石が日陰にひっそりとたたずんでいた。


 真新しい墓石の前に起ち、狼奇は喪服の首を片手でゆるめた。

 墓碑には、哀悼の辞もなくただ名前だけが刻まれていた。


 ――征艮将軍 皓之


 何をいうべきかと躊躇い、軽く首を振る。

 その隣にも、真新しい墓石があった。


 ――征坤将軍 朱苛


「なあ、余計なお世話だったか」


 物言わぬ石に軽く話しかけ、狼奇は更に墓地の奥を見た。

 土が四角に掘り返され、埋めるべき棺が来るのを待っている。


 空洞の先には、やはり用意されたばかりの墓石が置かれていた。

 刻まれた名前は、文成公伯洛。


 そのとき頭上から空気を震わせる大音の鐘が響いた。

 一つが鳴った後、連鎖するように聖宮の八つの塔から鐘が続く。


 もはや鐘の他には何も聞こえない。

 狼奇はすぐ側にある巨大な北坎塔(ほっかんとう)を見上げた。

 遥か高い塔の上で、鐘が激しく揺れるのが見えた。

 驚いた鳥たちが塔を飛び立ち、旋回しながら逃げてゆく。




***




 北坎塔の階段を銀髪の少女が駆けあがっていた。

 息を乱し、足がもつれるのも構わず、ひたすらに全速力で駆け上がっていた。


 最上部に出ると、大鐘が地上からの操作にあわせ、右に左にと大きく揺れている。


 耐えがたいほどの大きな鐘の音のなか、少女は床につっぷした。

 体を折り、額を床につけ、顔を歪め涙を流して叫んだ。


 どれほど叫んでも、すべては鐘の音が打ち消してくれる。


 晶瑛は体中から悲鳴を上げて、懐かしい少年を思い泣き続けた。




***




 王都冠城の南、蛇水の船着き場から、一艘の船が離岸した。


 船頭の声にあわせて、船員たちが慎重に船を操る。


 内乱が終わるのを待ちかねていたように、上流下流のあちらこちらから船が冠城に押し寄せていたので、船着き場は大混乱に陥っていた。

 事故を起こさないように、船同士でお互いに怒鳴りながら、進路を確保する。


 なかなか進まない船の甲板で、船べりに手をかけ見物をしていた少年が鐘の音に顔を上げた。


 遠くに聖宮の尖塔が小さく見える。

 打ち鳴らされる鐘の音が、船着き場でも良く聞こえた。


 あれは葬送の鐘。

 自分の葬式の鐘を聞くのも、不思議な気持ちだな、と伯洛は思った。

 もう見ることもないだろう祖国を、王都を感慨深く伯洛は眺めた。


「若様! あちこちの港に寄るから大体三週間ぐらいかかるようですよ!」


 船員たちの叫び声に負けないように、姜和が大声で叫びながらやってきた。


「まあ、夫曽の通訳なんで、これっぽっちも信用できませんけどね。私も早いこと向こうの言葉を覚えないと」


 姜和の姿の向こうには、異国風の衣装を着たひょろっと背の高い貿易商が、にこにことこちらを見ていた。


「そうですか。長い船旅になりそうですね。私はもう何もすることがないので構いませんが、貴方は王のお側にいなくてよいのですか。随分と甘いお人だ、上手くやれるか心配でしょう」


 伯洛の問いに、姜和は笑った。


「いいえ、心配なんてしていませんよ。私などがいなくとも、狼奇様は正道を歩みご立派な王になられます。私はそれを確信していますよ。私が若様におつきすることで、狼奇様のお心を慰めることができるのであれば、お安い御用です」


 主従そろって甘いのではないかと伯洛は思ったが、ただ黙って頷いた。


 ゆっくりと船が動き出す。

 川面から跳ねる波しぶきが、顔といわず全身に降り注いだ。

 甲板を水が流れる。


 顔をぬぐって、遠くなる王都を、聖宮の尖塔を見送りながら、伯洛はふと思った。


 異国で落ち着いたら、また絵を描こう。

 あの銀髪の少女が、楽しそうに歌う姿を。

 降り注ぐ白楊(ポプラ)の白い綿毛の中で。


 構図はすぐに定まった。

 描き始めるのが、待ちきれない思いがした。


 伯洛は、滑るように下流に、海に向かって走り出した船の甲板から、じっと小さくなる王都を見つめていた。


 いつか、その絵が彼女の元に届けばいい。




***




 その日、王宮は日が昇る前から、総動員で即位式の準備に入っていた。

 江邑(こうゆう)に逃れていた貴族や官吏たちも皆王都に戻っている。


 新しい王の即位を祝うために、国中から冠城に人が集まっていた。

 王宮の広場には、昨夜のうちから開門を待つ民衆が集まってきていた。

 門前のあまりの人の密度に耐えかねて、王宮の門は、朝が来る前に解放された。

 即位式が始まるまでかなりの時間があったが、王宮の広場の騒ぎは、刻一刻とひどくなるばかりだった。


 ひとかけらの余裕もなく、官吏たちが王宮を走り回っていた。

 その足元を縫うように、一人の少年が歩いていた。

 開け放たれている扉の端から、遠慮がちに顔をのぞかせる。


「狼奇様、いる?」


「よう、弧張か、どうした」


 いつもと変わらないくだけた口調が返ってきたが、部屋を見て、弧張は足を止めた。


 豪華な広い部屋の中央に狼奇が立っている。

 その周りを三人の女官が取り囲み、王の正装を整えていた。

 見たこともない狼奇の立派な姿に、弧張は気後れを感じた。


「ごめん、忙しいよね。やっぱいい」


「どうした」


 狼奇は女官が止めるのもきかず、弧張の前にまでやってきた。

 衣装が床につくのも気にせず膝をつき、顔を覗き込む狼奇に、小さい声で弧張が言った。


「あのね、さっき、(うまや)に行ったんだ。そしたら赫星(かくせい)号がすごく痩せてて。もう何日も餌を食べてないんだって」


 狼奇は苦笑した。


「ああ、あの馬は賢いからな。主人が死んだことをわかっているんだろう。まあ、好きにさせてやれ」


「そんな! 赫星号が死んじゃうよ! そんなのやだよ!」


 涙を浮かべた弧張を見て、狼奇は息を吐いた。


「そうだな、確かにそうだな」


 次いで笑みを浮かべる。


「なあ、弧張、お前、赫星号の世話をしてみるか。お前を主人として認めたら、赫星号も餌を食うかもしれん。難しいとは思うけどな。やるか?」


 弧張はぱっと顔を明るくした。


「やる! 俺、やるよ!」


 狼奇は笑った。少年の頭を両手でかき回す。


「よし、上手くいったら、あの馬はお前にやるよ」


「本当? 俺、やるよ! ありがとう、狼奇様!」


 弾むように走って出て行った少年の背を、狼奇は笑みを浮かべて見送った。




***




 王宮の広場に、割れんばかりの歓声が響いた。

 露台に立つ新王は、若く堂々としており、誰もが熱狂的に声を上げた。

 侵入してきた外敵を倒し、内乱を沈めた新王は、国を良くしてくれるだろうと、誰もが期待をしていた。


 何度も露台に出ては手を振って戻る、ということを繰り返し、狼奇はすっかり疲れ果てた。


「大体なんで服がこんなに重いんだよ」


 休憩室で椅子に座り込み、思わずぼやいた狼奇に、軽々しい合いの手が入る。


「いやあ、でもねえ、その衣装のおかげで八割増しにいい男に見えますよ! 馬子にも衣装ってやつですね!」


 満面の笑みでご満悦なのは、夫曽である。

 片手で一張羅に包んだ太鼓腹を何度も叩く。

 特等席から即位式を見物したので、これから五年は自慢話に困らない。


「失礼な奴だな」


 狼奇は苦笑する。


「ところで弧張は? 見ないんだが」


 夫曽は軽く答えた。


「ああ、弧張なら芽衣ちゃんとこでしょ。なんでも両親と一緒に江邑から見物に来てるって」


「何?」


 狼奇が目を見開く。

 部屋に控えていた官吏を呼び寄せた。


「おい、弧張と芽衣ちゃんを探せ」


「は、ここに連れて参りますか」


 王宮の下仕えは、戸惑ったように新しい王の命令を確認する。


「いや、いい。俺が見に行くから。弧張には気づかれるなよ。いいな、勅命だ」


 狼奇が真剣にそう言い渡すのを横目に、夫曽がつぶやいた。


「勅命、軽っ」


 それを聞き咎めて、狼奇が夫曽をにらむ。


「いいんだよ、俺は軽いのが信条なんだ。そのうち何でも適当に変えてやる。選挙をやったっていい」


 夫曽が驚いて目を瞬く。


「へ? 選挙って猪狄(いてき)みたいに? あっちだって上手くいってるって話はききませんよ?」


「まあ、駄目ならやめればいいさ。どっかの賢帝を見習って良さそうな奴を養子にするってのもある」


「いやいや、そんな簡単なもんじゃないでしょ」


 あまりにも気軽に言う狼奇に、夫曽はあきれ果てた。


「いいんだよ。最初の王がどんだけ凄くても、何代か続けば馬鹿が出るんだ。大昔からわかってんのに、同じ失敗を繰り返すのも能無しだろ。駄目なら止めりゃいい。何でも試してみればいいさ」


「はあ」


 夫曽が二の句を継げずにいると、露台の方角から官吏がやってきた。


「陛下、露台においでください」


「今行く」


 答えると、狼奇は椅子から勢いよく立ち上がった。

 大股に露台に進む。


 王の姿に、広場の民衆が熱狂的に声を上げた。

 狼奇が片手を上げると、更に歓声が大きくなる。


 笑顔で叫ぶ民衆の目に明るい未来しか見えなくても、いつかは駄目になることが狼奇にはわかっていた。


 わかっていても最後まで悪あがきをするしかない。


 笑みを浮かべ、狼奇ははるか南を見晴るかした。

 今、船はどこまで進んだだろうか。


 日一日と、玉座の重みが身に染みる。

 自分にどこまでできるのか、自信などありはしない。

 それでも狼奇は最善を尽くすことを、自分自身と今はもういない人たちに誓った。


「せめて」


 大歓声の中、狼奇が口から漏らす言葉は、誰にも届かない。


「せめて、最後の渡渡鳥(ドードー)を食い尽くしてしまわないように」






―完―

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