07.神玉を守るもの (2)
初めて神玉を見たのは、聖宮に迎え入れられた翌日だった。
台座に置かれた光り輝く宝石は、鶏の卵ほどの大きさだった。
石は濁りひとつなくどこまでも透明で、数えきれない小さな面から、恐ろしいまでのまばゆいきらめきを放ち、神玉全体がぼんやりと光っていた。
――貴女様は、この神玉をお手にできる唯一のお方なのです。
国境に近い北の草原で羊を放牧中に神官たちに見いだされた少女は、その日のうちに家族から引き離された。馬車の中で泣きつづけ、五日後に王都冠城にたどり着いた。
大人の、それも四十、五十の神官たちが十一の少女を取り囲み、説き伏せるように代わる代わる説明をした。男も女もすっぽりと全身を覆う白い衣装を着ていて、違いがわかるのは頭だけだった。
白い巨大な建物の中、白い怪物に囲まれて、今まさに食べられようとしているのではないかと少女は怯えた。
彼女を安心させようと彼ら彼女らは笑みを浮かべていたが、作り笑いは不自然でまるで信用ならなかった。
神玉は次の王を教えてくれる。その力は天から与えられたもので、斎女以外が手にすると、恐ろしい呪いをもたらすのだと、彼らは言った。
邪な思いから神玉を手にした者たちの末路を、おどろおどろしく神官たちは彼女に語って聞かせた。ある者は狂い、ある者は病死し、またある者は偶然とは思えない事故に巻き込まれて命を落としたと。
ただ、天に選ばれた斎女だけが、神玉を手にしても無事でいられるのだと彼らはいかにもご大層にもったいぶって彼女に教えた。
大神官と名乗った男は、四十すぎで油にてらてらと光る大きな鼻をもち、少女に近づくと卑しい笑みを浮かべてその手を取った。
――巫宮、お探し申し上げました。無事にお迎えできたこと、これ以上の悦びはございません。
臭い息、べたべたで黒々としすぎた髪に彼女は生理的な嫌悪感を抱いた。髪は染めているのだと後で知った。大神官は若いころから白髪頭で女神官たちの目を気にして、少しでも若く見せるために頻繁に染めているのだと、侍女の雨桐が薄笑いを浮かべて教えてくれた。
――大斎女がお生まれになるのはまこと百九十年ぶりでございます。
斎女はその天から預けられた力により、大、中、小の位がつく。卜占でそれがわかるのだという。
いい年の大人が本気で言っているのだろうかと、彼女は不思議に思った。彼らの作り笑いを気味が悪いと、ただそう感じた。
もし斎女の選定が誤っていれば、神玉を手にすると死ぬからわかるという。
――私が死ぬのは構わないのだろうか。
斎女というのは神玉を運ぶための単なる人形なのではないか。大人は呪いで死にたくないから、代わりに子供を、彼女を用意したのではないかと、そう疑った。
少女は斎女であるにも関わらず、神玉を信じていなかった。
そう、一ヶ月前までは。
あの忌まわしい立太子式。
あのとき、大礼拝室の扉が開いたその瞬間に、すべてが変わってしまった。
体が全く動かなかった。
恐ろしい予感に全身が打たれ、呼吸さえも忘れ、指一本動かすことができなかった。
それにも関わらず、勝手に口が開き、何も考えずとも言葉が紡ぎだされた。
次の王の預言を。
ああ、私は人形なのだ。
これは神玉が私にしゃべらせているのだ、呪いは本当にあるのだ、恐ろしい力がそこにあるのだと、彼女は初めて悟った。
***
足音も高く廊下を走り抜け、安嘉堂にたどり着いた斎女は、三つの扉を次々と開き、建物の最奥にある小さな部屋に行きついた。
聖宮における最大の禁域であるそこには、誰一人いなかった。
乱れた髪の一筋が口に挟まっているのにも構わず、白衣の下、腰の帯から黄金の鍵を取り出した。
扉の鍵穴に入れようとしても、手が震えてなかなか入らない。息が荒く乱れていた。鍵と鍵穴がぶつかり金属音を上げる。鍵頭から帯へとつながる金の鎖が耳障りな音を立てた。
大きく息を吐き、右手の震えを左手で抑え、なんとか開錠する。厚く重い扉に右肩を当て、全身の体重をかけて押し開けた。
ゆっくりと開く扉に、少女が入れる程度の隙間ができると、身を滑り込ませる。
分厚い扉はその重みで、ひとりでに閉まった。
正八角形の部屋は、白い壁におおわれ、天井の明かり窓が、唯一の光源だった。
大礼拝室と同じ色硝子が、室内に色とりどりの影を落とす。
白い大理石が敷き詰められた部屋はがらんとしており、中にあるのは白い石台、ただ一つだった。
石台の台座には赤い別珍の座布が置かれていた。
息を殺し、ゆっくりと少女が石台に近づく。
座布の上には何もなくただ窪みだけが残されていた。
「ああ!」
小さな、しかし悲痛な声があがる。少女はその場で崩れ落ちた。
神玉は失われた。