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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第七章 王都解放
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77.破綻



 蝶番が耳障りな悲鳴を上げ、壊れかけた扉がゆっくりと開いた。

 薄暗い部屋に、光が射す。


 朱苛は目を細め、まぶしそうに扉を見た。

 彼女は体を壁に預け、片膝をたてて床に座っていた。


 部屋には壊れた家具の残骸や、陶器の破片が散乱していた。


「朱苛様、失礼をいたしました。お怪我はございませんか」


 朱苛の側に膝をつき、姜和(きょうわ)が水を差しだす。

 何の表情も見せず、朱苛は水を飲んだ。

 どこか投げやりに訊く。


「決闘は」


「狼奇様が勝ちました」


 朱苛はしばらく何も言えなかった。


「そう」


 自分の声がやけに遠くから聞こえる。

 朱苛は自分の意思ではなく、何かに操られるようにつぶやいた。


「そう」


「狼奇様がお呼びです」


 姜和が優しく朱苛に告げる。

 しばらくの間をおいて、朱苛は答えた。


「わかった。水を使ってから行く。着替えを」


「ご用意しております。どうぞこちらへ」


 痛む体をなだめて、朱苛は立ち上がった。

 正面から姜和を見る。


「これでもう、すべてが終わったの」


「いえ、残念ながら」


「どういうこと」


「臨王である文成公がいらっしゃいます。江邑(こうゆう)から宰相の宋義を始めとする高官たちが王都に戻る前に、始末をつける必要があります」


「始末」


 朱苛は低くつぶやいた。

 姜和は少年の命を奪うべきだと言っているのだ。


「どんな理由をつけてでも、排除しなければいけません。狼奇様を王としてお立てし、新王朝を開くために」


「兄様にそれができるとでも」


「できないでしょうね。だから、我々がなんとかするしかありません」


「姜和、お前、何を考えている」


 朱苛は鋭く兄の側近を質した。

 表情もなく、姜和はまっすぐに朱苛を見た。


「後ほど、ご相談させてください」


 胃に重い何かが落ちる。

 朱苛は、何度か呼吸を繰り返して、返事をした。


「わかった」




***




 身なりを整え、朱苛は王宮の廊下に立った。

 先ほど鏡で見た自分の顔は、酷いものだった。

 まるで見たこともない他人の顔だった。

 初めて戦闘で惨敗したときでも、あれほど地獄を見たような顔はしていなかっただろう。


 華麗な王宮を歩く足が、頼りなく宙を踏んでいるような心地がした。


 兄に何と声をかけるべきなのだろうか。


 決闘の勝利を祝う?

 王となることを祝福する?

 どのような言葉で?


 考えが何もまとまらなかった。


 皓之の顔を見たいとも思ったが、一度遺体を目にすれば、自分がどうなってしまうかわからなかった。


 ――まず、兄様だ。


 一族の命運を背負い、国を率いる覚悟を背負った兄を慰めなければならない。


 友人を手にかけたことに、どれほど傷ついているだろうか。


 烈侯を継ぐという妹の夢を自分が妨害したのだと、兄はずっと思い込んでいた。

 だから、いつでも跡継ぎの地位を朱苛に譲ろうとしていた。

 生来、気が優しい人なのだ。


 このうえ、文成公を殺すことができるだろうか。


 そのとき、王宮の廊下の向こうから歩いていた文官の男が朱苛に呼びかけた。


「これはこれは、征坤せいこん将軍ではありませんか」


 会議で何度も会った相手に、朱苛は軽く頷いた。


董辰(とうしん)殿か。いつ江邑からこちらに」


 愛想よく笑った男は、自分より背の高い朱苛の目を媚びるように見上げ、猫なで声を出した。


「実は、わたくし、臨采侯と共に王都に入りました。王都の(まつりごと)を立ち上げなおすために同行してほしいと請われまして」


 臨采侯の名に、朱苛の眉がぴくりと上がる。


「到着して今だ一日ですので、何一つ手についてはおりませんが、臨烈侯が何かお困りのことがありましたら、気軽に私にお声がけいただければと存じます。王都に残っていた官吏は下級の者ばかりですが、私は何かと顔がききますからね」


 新たな王と繋がりを作るために、董辰は可能な限り人好きのする笑みを浮かべ、朱苛に話し続けた。


「それにしても素晴らしい決闘だったと聞き及んでおります。代々武勇を誇る烈侯家の主に相応しい力強さで、臨烈侯が臨采侯を圧倒したと」


 初めて耳にする決闘の話に、朱苛は固まる。

 今、聞きたい話ではなかった。


「まあ、臨采侯は、高貴なお生まれ、眉目秀麗、弁舌爽やかなご婦人たちには大変人気のあるお方ではありましたが、預言を受けた臨烈侯を退けて玉座に座ろうというのは、いささか増長、勘違いしすぎでございましたね。こう申してはなんですが、顔で政治はできませんからね」


 董辰は軽く笑い声を立てた。

 突然、前触れもなしに朱苛が腰の剣を抜いた。

 目にも止まらぬ速さで、剣先を董辰の口に突き立てる。


「その汚い口を二度と開くな」


 無表情に言い放って朱苛は剣を引き抜く。

 目を見開いた董辰は、なぜと顔に書いたまま、口から血を吹き出して崩れ落ちた。


 その場にいた全員が、硬直して動けない。


 控室から廊下に出た女官が、血を目にして甲高い悲鳴を上げる。

 叫び声がさらに上がり、廊下は一度に騒然とした。




***




 血相を変えて姜和が部屋に飛び込んできた。

 王宮の一室、朱苛が押し込められた部屋である。

 部屋の入口は、武装をした兵が固めていた。


「朱苛様! なぜあのようなことを!」


 真っ青な顔で姜和が叫んだ。


「将軍ともあろうお方が、丸腰の文官を王宮で殺害するなど、ありえない不祥事です。どのようなご身分の方であれ、処分が必要になります」


 妙に冴えざえとした顔つきで、朱苛は答えた。


「わかっている。書記の用意を」


「は? 書記?」


 足を組んで座っていた椅子から立ち上がり、朱苛は姜和に近づいた。


 目をつぶり、数歩歩いて考えをまとめ、朱苛はしっかりとした口調で言い渡した。


「姜和、良く聞きなさい。私はあの廊下で董辰(とうしん)から聞きました。文成公が宰相、宋義が江邑(こうゆう)から帰還するのを待って、兄を謀反人として殺害するつもりだと。董辰はその危険を私に忠告したのですが、彼も私たちを油断させるための間諜である可能性が高い。危険を排除するために、董辰を殺しました」


 まっすぐに姜和を見つめる。


「斎女より預言を与えられ、また厳正な決闘によって王位を得た兄を害する者を許してはいけません。文成公を捕えなさい」


「朱苛様」


 姜和の声が震える。


「書記の用意を。証言を残すために」


「はい、今すぐに」


 姜和は何度もうなずくと、走って部屋を飛び出した。




***




 机の上に紙が広げられ、王宮の書記が犯罪を告発する証言を書きとる。


 机を取り囲む朱苛や姜和の覚悟に押され、また書き記している文面の恐ろしさに震え、書記は冷たい汗を流していた。


「で、できました」


「いいでしょう」


 朱苛が書記に代わって椅子に座り、署名をする。

 立ち上がって、書面を姜和に渡した。


「姜和、後を頼みます。必ず兄様をお助けして玉座に」


 姜和は頭を下げ、書面を押し頂いた。


「かしこまりました。朱苛様のお心、確かに承りました」


 朱苛は満足げに頷いた。


「大変恐縮ではございますが、これより朱苛には牢に移っていただくことなります。できる限りご不自由がないように努めます」


 姜和の言葉に、朱苛が笑みを浮かべた。


 次の瞬間、朱苛の体が沈み、姜和に肩から体当たる。

 姜和は壁に思いきり突き飛ばされた。

 床に座り込んだ姜和が目を見開く。


「朱苛様! 何を!」


 すらりと腰の剣を抜き、朱苛は高々と叫んだ。


「将は辱められず!」


 剣を逆手に持ち替えて、朱苛は両手で喉に突き刺した。


 吹き出る真紅の血と、倒れる朱苛の体を、姜和は顎を震わせて愕然と見つめた。




***




 狼奇は闇の中にいた。

 窓から差し込む日差しで、部屋はほの明るく白かった。

 しかし、彼の目には真っ黒な闇だけが見えていた。


 どれだけ時間が経ったのかもわからない。

 体は鉛のように重く、だらしなく座った椅子から動くこともできなかった。

 頭が空転し、同じことばかりを考えている。


 ――朱苛に何と言えばいい。


 謝ればいいのだろうか。しかし何と言って?

 朱苛は、自分を憎むだろうか。


 狼奇は思い出していた。

 母を亡くし烈侯家の屋敷に連れて行かれたときのことを。

 初めて会った妹は、怒りと憎しみに震え、父と狼奇をにらんだ。


 結局、自分は父と同じことをしたのか。


 目に浮かぶのは、皓之の爽やかな笑顔、手に残るのは皓之を刺した手ごたえのある感触。


「ああ」


 悲嘆が、短く虚空に消える。

 考えが何もまとまらない。


「狼奇様、失礼をします」


 どこか遠くから聞き覚えのある声がした。


「姜和か」


 顔も動かさずそう答えた。

 狼奇は椅子から動かなかった。

 姜和が静かに近づいて、頭を下げる。


「ご報告を」


「何だ」


 いかにも億劫そうに狼奇は視線を投げた。


「朱苛様が先ほど少史董辰を誅殺なさいました。文成公が狼奇様を謀反人としてと捕え、王位を狙われていることを知ったためです」


「は?」


 頭が言葉を理解しない。

 狼奇は呆然と姜和を見上げた。


「お前、何言っているんだ。朱苛はどこだ」


「朱苛様はご自害されました。文成公の罪を糾弾する証言を残して。ご立派な最期でした」


 狼奇は反射的に立ち上がった。


「今、何て言った」


「朱苛様はお亡くなりになられました」


「嘘だ」


 呆然と狼奇はつぶやく。


「どうか、朱苛様の遺志をおくみ取り下さい。文成公を処刑するのです。宋義が王都に戻る前に」


「無理だ、無理だ。俺にはできない」


 これ以上、血を流してどうするのか。

 狼奇は首を振った。声がかすれる。


「やるのです!」


 突如、姜和が卓を平手で叩いた。

 激しく打つ音が、部屋に響く。


「貴方は歴史に何を学んだのですか! 呉王は、敗戦した越王の臣下に下るという言葉を信じて、二十年後に滅ぼされました! 平相国は、敵将の十四歳の嫡子の命乞いを許し、二十五年後に一門滅亡を招いたのです!」


 狼奇は目を見開き、唇を震わせる。

 信じられないものを見るように、狼奇は姜和を見た。

 別人のように厳しい顔をした見知らぬ男がいた。


「この先三十年、国を安定させ民を救うために、今、将来の禍根を断つのです」


 狼奇は何も言えない。


「ご命令を」


 真っすぐに姜和が狼奇を見た。




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