75.玉座
王都冠城最北にある王宮は、広大な面積を誇る。
南側に重厚かつ壮麗な殿堂が立ち並び、王都での政務の多くは王宮内で行われる。
北、奥には、王家一族が住まう華麗な屋敷があった。
斎女を伴って狼奇は王宮に入った。
采侯軍の兵が、彼らを押しとどめようと武器を構えると、銀髪の少女が金の錫杖を差し向けた。
「さがりなさい」
天井の高い広間に澄んだ声が鋭く響く。
武器を構えたまま、兵士たちは動けなくなる。
どうすればよいのか、上官に指示を求めて顔を動かすが、上官も決断ができない。
暑さのためだけではない汗が、兵士たちの顔に流れた。
狼奇と斎女の後ろに、三人の神官と烈侯軍の精鋭、十数名が続く。
数の上では、圧倒的に劣る。
もし、采侯軍が斎女を殺すことを厭わなければ、狼奇も烈侯軍の兵士も、すぐさま斬り殺されるだろう。
十五人が横一列に歩けそうなほど広い華麗な王宮の廊下では、左右の壁に沿って采侯軍の兵士が隙間なく並んでいた。
その兵士たちの間、廊下の中央を、狼奇と斎女たちがゆっくりと歩く。
お互いににらみ合い、腰の剣に手をかけている。
誰か一人でも剣を抜けば、一気に戦闘が始まるだろう。
異様な緊張感が、広い空間に満ちた。
王宮に不案内な斎女に、狼奇は方角を教える。
「玉座の間はこちらです」
大きく開かれたままになっている巨大な扉を抜け、彼らは玉座の間に入った。
斎女が足を踏み入れると、靴音が高く鳴り、思わず彼女は足を止めた。
足音は何度も反響して虚空に消えた。
ほの暗い空間は、どこまでも終わりがないように見えた。
床には一面、黒い大理石が敷き詰められている。
林立する柱と柱の間には、弓なりに反った装飾的な半円状の梁がはめられ、鍾乳洞の中にいるような錯覚がした。
奥行きの深い広間の奥に、七段の階段があり、その先に黄金の玉座が鎮座していた。
玉座を守るように、高い天井から真紅の緞帳が美しい波を描いて、左右の足元にゆったりと落ちていた。
緞帳の手前、階の上の遥か高い天井には、明かり窓がある。
薄暗い玉座の間を、頭上から筋となって落ちる光が神々しく彩っていた。
玉座の正面に立った斎女が、厳しく前を見る。
彼女が口を開く前に、狼奇が前に出た。
斎女に軽く笑みを見せて制止すると、顎を動かし兵士たちに斎女を守らせる。
そして、おもむろに玉座を振り返った。
不敵な笑みを浮かべて、声をかける。
「よお、その椅子、座り心地はどうだ」
玉座に座った皓之も笑った。
色とりどりの宝玉に輝く黄金づくりの華麗な椅子は、美しい青年に誂えたように良く似合っていた。
「やあ、悪くはないね」
主人たちの明るい声に、控える兵士たちは鎧の中で冷たい汗を流した。
剣の柄に手をかけたまま、警戒を怠らない。
狼奇と皓之の妙に軽い声が、広間に高く反響した。
「悪いが、そこは俺が座る席だ。どいてもらおうか」
「さて、それは困ったね。ここはすでに私が座っている。君は他を当たるんだね」
一転笑みを消した狼奇が、低く言い放った。
「皓之、お前と争うつもりはない。斎女は俺を次王に指名した。そこをどけ」
「なるほど、君は斎女がいる。しかし、私にはこれがある」
皓之は懐から取り出した宝玉を高くかざした。
天井からの光を受け、暗い空間に目のくらむような七色の輝きが満ちる。
その場にいたものが一斉に息を呑む。
驚愕が広間に満ちた。
「痴れ者! そはおのれの手にすべきものではない!」
甲高い少女の悲鳴が響く。
「本物か」
低く狼奇がうめいた。
秀麗な顔になごやかな笑みを浮かべて皓之が言った。
「困ったね。君には斎女がいる。私には神玉がある。さて、どちらが王になるべきかな」
狼奇は、一歩も引かない覚悟を皓之の笑みに見た。
深いため息をつく。
「そうか。お互い、決着をつけるときが来たようだな。できれば来なければいいと思っていたが」
「いつだって君が勝負から逃げていただけだろう。どちらが上か、決着をつけることから。私はいつでも良かったんだ」
皓之の侮りに、狼奇は歪んだ笑みを浮かべた。
「そうじゃないさ。俺がその気になれば、お前なんか相手になんねえんだよ。わからねえか。温情をかけてやったんだ。お前のその無駄に高い鼻っ柱を叩き折っちまうからな」
狼奇の野卑な言葉に、皓之は爽やかな高い笑い声をあげた。
「何を言っているのかな。君はただ格好をつけていただけだ。本気になったら何でもできる、ただ本気になっていないけだととうそぶいて、真っ当な努力をすることから逃げていたんだ。自分より劣る仲間を集めて、意気がるのは楽しかったかい」
すべての力を目に込めて、お互いに相手を睨みつけた。
空気が、凶悪なまでに張り詰める。
「一対一だ。剣で決着をつけるとするか。兵を動かす必要はないだろう」
狼奇の提案に、皓之は頷いた。
「いいね、人類の歴史ぐらいには古式ゆかしいやり方だ。内乱は私も望むところではない」
二人は不敵な笑みを浮かべたまま、お互いを睨み続けた。
***
反乱軍と対峙していた兵を取りまとめ、朱苛は王都に急行していた。
街道が烈侯軍で満ちる。
ようやく見えた城壁に安堵の息をつき、開けはなたれたままの大門に飛び込むと、横合いから声がかかった。
「朱苛様! 朱苛様! お待ちください!」
馬に乗った軽装の男が、必死の形相で朱苛に呼びかけている。
「姜和か。どうした」
馬の足を緩めて、朱苛は姜和が並ぶのを待った。
「狼奇様がお呼びです。どうかお急ぎください」
「わかった」
姜和の深刻な顔に問題の深さを思い、朱苛は胸が苦しくなるのを感じた。
背後を振り返り、部下に後を任せる。
姜和とともに王宮の西翼に入った。
そこには烈侯軍の兵士だけがいた。
足早に歩きながら姜和に訊く。
「兄様はご無事か」
「ご無事です」
「何があった」
「私からは申し上げられません」
「何?」
立ち止まった朱苛に、姜和は苦しそうに先を示す。
「どうぞこちらに」
とにかく兄に話を聞こうと、朱苛は案内されるままに部屋に入った。
その瞬間、激しい音を立てて扉が閉まる。
外から錠の落ちる音がする。
「姜和! 何のつもりだ!」
朱苛の叫びに、扉の外から姜和が答えた。
「明日朝、狼奇様が臨采侯と決闘をなさいます。生き残った者が王となります。朱苛様には、決闘が終わるまで、この部屋でお待ちいただきたく」
「何だと!」
朱苛の全身から血の気が引く。
「開けろ! 兄様に話を! ここを開けろ!」
朱苛の叫びが廊下に響いた。
姜和は兵士たちに、絶対に開けないように、厳重に警戒するように指示を出した。
その間にも、扉に何かがぶつかる音がする。
盛大に陶器が割れる音がした。
「朱苛様がお怪我をしなければいいのだが」
狼奇の指示とは言え、姜和の胸が痛んだ。
しかし、どうすることもできない。
血を吐くような朱苛の叫びが、辺りに響いた。
「嘘だ!」




