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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第七章 王都解放
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73.瓦解



 なだらかな起伏が続く草原の中、思い思いに五十人、百人と固まって農民たちが座り込んでいた。

 妙に密集しているところがあれば、まばらにしか人がいないところがある。

 無秩序な陣の奥、突然にそこだけ整然と天幕の並んだ区画があった。


 破損の目立つ鎧を身に着けた長身の男が、仁王立ちで遠く敵陣を見晴るかしていた。


 日に焼けた荒れた肌に、伸び放題の無精ひげが、見る者に荒んだ印象を与えている。

 何より、男には左手がなかった。

 上腕部の切断面を、汚れた荒布で覆っている。


 猪狄(いてき)の赤虎将軍、班固(はんこ)である。


 五月の西域会戦で左手を失ったばかりか、ほとんどの兵をも失い、乾坤(けんこん)山脈の奥に逃げていた。

 生き延びた猪狄の兵を集める過程で、王都の東で反乱を起こしていた乱賊たちの存在を知った。


 班固にとっても、乱賊にとっても、敵は舜国王家である。

 班固が申し出た同盟の誘いはあっさりと受け入れられた。

 あいにく乱賊たちの頭目魁傑が殺されてしまったが、主要な戦力は班固の元に集まった。


 乱賊たちの提案で、王家の墓を作るために駆り出されている農民たちを反乱に誘った。

 どれだけ大きな墓を作るつもりだったのか、あっという間に反乱に参加するという農民たちの人数は膨れ上がった。


「農民たちはどれぐらいになった」


 班固の問いに、後ろに控えた部下が答えた。


「五万を超えたと思われます。これ以上は、食料を確保するのも難しくなります」


「良し、明日朝から突撃しよう」


 班固は軽く決断した。

 行く手を阻む敵、烈侯軍は、おおよそ四万と目算を付けていた。

 味方はほとんどがろくな武器を持たない農民とはいえ、数では優る。


「目標は、王都冠城(かんじょう)。前にいる烈侯軍を破ってその足で一気に行く。城壁を突破するのは、乱賊たちに任せる。城内に入った後は、乱賊や農民たちに好きにさせろ。どこを襲うのも、何を奪うのも自由だ。ただし王宮、聖宮は俺たちのものだ。皆殺しにして財宝をかっさらう」


「赤虎将軍、財宝を奪ったらどうしますか」


 不安げな声が背後からした。

 班固は笑う。


「もちろん、国に帰るさ。財宝さえ手に入れればもうこの国に用はない。手ぶらでは格好がつかんからな」


 ようやく、故国に戻る目途が立つ。

 数少ない生き残りの兵士たちは、希望に顔を輝かせた。


 明日の朝、日の出と共に突撃を開始する。

 その指示が、猪狄の兵士から乱賊へ、乱賊から農民たちへと、まだらに伝わった。

 何しろ、統一だった指揮系統がないため、指示を受けた者が手当たり次第に顔見知りに話を伝えて回る、ということをしていたのである。


 だから、班固たちは気づかなかった。

 数日前から、農民たちの間で、絵の描かれた紙が回し読みされていることに。




***




 晩夏の夜明け、水鳥たちが群れをなして空を飛ぶ。


 反乱軍の最前列には、馬を並べた猪狄の兵が並んだ。

 その後ろには、乱賊たちが思い思いの装備で、待機していた。


 薄暗い光を受け、馬上の赤虎将軍が槍を振り上げた。


「突撃!」


 合図とともに、騎馬が一斉に走り出す。

 向かう先には、すでに臨戦態勢の烈侯軍が待ち構えていた。

 騎馬が隙間なく横一列に並び、槍先をそろえて反乱軍を待ち構えていた。


「迎え撃て! 一兵たりとも通すな!」


 高い女の声が響く。

 班固はその声に聞き覚えがあった。

 五月の会戦で、猪狄の陣を背後から襲った女将軍だ。


「面白い、落とし前をつけてやる」


 班固は凶悪な笑みを顔に浮かべた。

 女将軍のいる場所にめがけて、突進をかけようと後ろを振り返ると、部下が血相を変えて叫んだ。


「将軍! 後ろ、兵が、農民が来ません!」


「何? どういうことだ! 怖気ついたか!」


 戦いの経験がない素人ならば、当然のことだった。

 しかし、乱賊たちは農民を追い立て、励ます手はずではなかったのか。


「ここを任せる!」


 班固は部下に最前線を預けると、乱賊を取りまとめている陳申(ちんしん)という小男を探した。

 仲間と馬を寄せ合って深刻そうに話をしている陳申を見つけると、班固は駆け寄った。


「陳申! どういうことだ! 約束が違うだろう! さっさと農民どもを突撃させろ!」


 馬上で胸倉をつかまれて、陳申は必死に首を振った。


「いや、無理です! 無理です!」


「何が無理なんだ!」


「こ、これ、これ」


 陳申はくしゃくしゃになった紙を班固に差し出した。


「なんだ、これは」


 班固は口と右手で紙を広げた。

 紙は、色刷りの版画で、絵と文字が描かれていた。


 夜空に光る星、輝く少女、預言を受ける青年。


 添えられた文には、斎女が選んだ次王は烈侯の息子狼奇であり、王家の息子ではないと書かれていた。

 そして、もう王家の墓を作る必要はない、誰も罰しないから今すぐ故郷に帰れと。


「どういうことだ」


 班固の問いに、陳申は必死になって答えた。


「こないだからやってきた農民たちが、道の途中で商人からもらったって、こんな版画が大量に陣に出回っていたんですよ! 里に帰っても役人に怒られないなら、誰も反乱なんかやりませんって」


「馬鹿な、お前等、こんなこと信じるのか。次の王が、王家の者ではないなんて」


 舜国では王は、代々王家から出している。

 それを班固は知っていた。


「俺たち、星を見たんですぜ、空からでっかい星が落ちてくるのを。自分の目で。それは斎女様が落としたんです! 皆知ってるんです!」


 陳申はきっぱりと断言した。


「斎女様に逆らっちゃ駄目なんですよ! 皆逃げるに決まってます!」


 班固も知識として斎女の存在を知っていたが、本当に信仰を集めているとは思っていなかった。

 かなり呆れて、陳申と乱賊たちを見る。


「お前ら、本気か?」


「いやいや、無理、無理」

「やばいって」


 すっかりやる気をなくしてしまった乱賊に、班固は舌打ちをした。


「くそっ!」


「将軍、どうしますか!」


 背後の部下が、不安に顔を引きつらせて班固を見る。


「せめて、敵将の一人ぐらいは道連れにしてやる!」


 版画を片手で丸めて投げ捨てると、地に挿していた槍を手にとり、班固は馬の腹を蹴り駆けだした。


 一直線に、敵陣の女将軍を目指す。


「俺に続け!」


 猪狄の兵たちが、将軍の後を追い左右を守り、烈侯軍に突撃した。


朱苛(しゅか)様! さがってください!」


 敵の狙いを察知した烈侯軍の騎兵たちが、主を守るために前に出る。

 班固は器用に両足で馬を操りながら、右手で槍を振るった。


 次々と味方が班固の餌食となるのを見守りながら、その場を動かずに、朱苛(しゅか)は腰の剣を抜いた。


 騎兵の群れから飛び出した班固に、朱苛が剣を振り上げたそのとき、横合いからうなりを上げて槍が飛び、班固の馬に突き刺さった。


 班固は馬ごと横に飛んで倒れ、地面を転がった。兵士たちが駆け寄って、班固を地面に押し付ける。


「よう、朱苛。待たせたな」


 場違いなまでに明るい声に、朱苛が振り向く。


「兄様」


 朱苛は脱力して、笑みを浮かべた狼奇(ろうき)を見た。


「遅くなって悪かったな。逃げだしてる農民たちの群れに巻き込まれて、中々前に進めなかったんだ」


 朱苛はあたりを見回した。

 班固とその部下たちは、烈侯軍に容赦なく鎮圧された。

 残る乱賊、農民たちは、すでに戦意を喪失してんでんばらばらに戦場から離脱を始めている。

 烈侯軍は、彼らを逃げるに任せて、特に追い立てはしなかった。


 身軽に馬から飛び降りると、狼奇は取り押さえられた班固に近づいた。


「お前が赤虎将軍か」


 上半身を綱で縛られ、地に座った班固は、ぎょろりと大きな目で狼奇を見上げた。


「そうだ。お前が次王か。あの絵、良く似てるな」


「ああ、版画を見たのか。いい出来だろ?」


 狼奇は軽く笑って、班固に訊いた。


「お前さんに訊きたいんだが、何の目的で舜国に入った。まさか、王墓に墓参していた王の首が欲しかったわけじゃあないだろ。王がそこにいるなんて知りようがない」


 班固は何を思ったのか、片方の口角を上げて歪んだ笑いを見せた。


「知っていたさ」


「は?」


 意図を掴み損ねて狼奇が顔をしかめる。


「俺は王が陵墓に行くことを知っていたんだよ。国境を越え、烈侯領を攻める、ついでに陵墓で王を捕える、王を解放する代わりに、烈侯領を丸々我が国に割譲する、って話だったんだ」


 愕然とする狼奇たちの顔を、面白そうに見上げて班固は笑った。


「それなのに、烈侯領内の城は一斉に籠城に入って、一つとして攻め落とせない。略奪もなにもできはしない。これでは割譲も絵に描いた餅だ。代わりに、王の首と、王都の財宝を攫って国に戻ろうとしたらこのざまだ」


 狼奇は青い顔で無表情に確認した。


「つまり、王がお前たち猪狄に話をもちかけた、ということか」


「そう、領土をくれるっていうなら、もらうまでだ。お互い思ったように物事は動かなかったがな」


 呆然と朱苛がつぶやいた。


「なんてことを」


 王が自分の国に敵を引き込む。

 許されることではなかった。


 狼奇が大きくため息をついた。


「それで引き込んだ敵に殺されるとはね。馬鹿な話だな」


 首を振って、空を見上げる。

 天が王家を見放したのも、当然なのか。


 戦闘はすでに終わっていた。

 狼奇は苦い脱力感と、疲労を感じた。


「狼奇様! 狼奇様はどこですか!」


 遠くから叫び声が聞こえた。


「ここだ!」


 大声で狼奇が応えを返すと、馬に乗った騎兵が走り寄ってきた。


「大変です! 江邑(こうゆう)から采侯軍が王都に向かっていると! 先に王都を占拠されると、落とせなくなります!」


 狼奇は目を見開いた。


「皓之か!」


「兄様! 先に行ってください! 後は私が」


 朱苛の声に、狼奇は一つ頷いて馬に飛び乗った。


「わかった、頼む」


 狼奇は精鋭の二百騎を連れ、王都に走った。



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