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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第七章 王都解放
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70.憧れ



 うっそうと茂った広葉樹林の大きな葉が、黒々とした影を作っていた。

 狼奇(ろうき)は、その葉の隙間から、わずかに見えるまぶしい青い空を眺めていた。


 一時的な住まいとしている小屋の裏手である。

 湿った倒木の上に腰かけ、暗い木陰から空を見上げる。


 王都西方面では、数万の農民が乱賊たちと共に反乱を起こしている。

 これには朱苛(しゅか)が四万の烈侯軍を率いて足止めをしている。


 江邑(こうゆう)には、王軍と采侯軍がいる。

 かきあわせれば五万に届く。

 乱賊討伐に参加せずに江邑に残り、今は各地に分散して隠れている烈侯軍はおおよそ三万。

 不利は否めない。


 そもそも、正面から戦うのか、その決心がついていない。

 どうやって一族と領民の命を守れば良いのか。

 狼奇は両手で頭を抱え込んだ。


「臨烈侯、少しよろしいですか」


 背後から、澄んだ少年の声が聞こえた。

 振り返ると伯洛(はくらく)がまっすぐに狼奇を見つめて立っていた。


「文成公、どうぞ」


 椅子の代わりにしていた倒木から狼奇は立ち上がる。


「私の教師は、私が玉座からいなくなれば、臨烈侯と臨采侯が争い、(しゅん)国は内乱に陥るだろうと言いました。実は、私はそれを信じなかったのです」


 十四の少年は、静かに狼奇を見上げた。


「貴方と臨采侯は、親しく気安い間柄に見えました。派閥をつくり、競い合っているようには見えませんでした。私から見れば、貴方がたはどちらも兄よりも、私よりも玉座に相応しい。二人のどちらかが王になり、片方が臣下となり補佐をすればよいと思ったのです。それは難しいことなのですか」


 狼奇は苦笑して、髪を片手でかきまわした。


「そう、ですね。公が玉座におられれば、私も皓之(こうし)も争うことなく、王家にお仕えしたでしょう。しかし、どちらかが玉座に座り、どちらかが臣下として仕えるというのは、ありえない」


 伯洛は不思議そうに首を傾けた。


「なぜでしょうか。私のような何もわからない子供を王といただき頭を下げることができるのに、友人にはできないのですか」


 狼奇は首を振る。


「友人だからこそです。我々は十四で大学に入り、侯家の息子として、同格の扱いを受けました。どちらが上ということはなかったのです。しかし、公は違います。王の息子でいらっしゃる」


「ただ生まれの、身分の問題ですか。貴方がそのようなことを気にするとは思いませんでした。私が思ったより、臨烈侯は伝統を大切にする方のようです」


 狼奇は苦笑するよりほかなかった。


「手厳しいことおっしゃる。まあ、現実は色々とあります」


 うやむやにしようとする大人を、少年は鋭く糾弾した。


「王家は二百年前にできたものにすぎません。永遠に続くものではない。なぜ、知識も経験も豊富な大人が合理的な判断ができないのか、私にはわかりません。国のために、民のために、最もよい方策を取るべきなのに、誰もが自分の地位、権益、派閥の利益のために動いている。この国が永遠につぶれずに、民がどこへも逃げていくことがないと思い込んでいる」


 伯洛は十二で成人してから、父の命で朝廷に顔を出していた。

 しかし、あまりにも愚かな、どうでも良い議論ばかりだったので、彼は体調不良にかこつけて、表に出ないようになったのである。


「確かに私は何もわかっていない子供でしょう! ではなぜ世の中のことを良くわかっている大人が、責任を持って真剣に将来を考えないのですか!」


 まともな大人は一人もいないのか。

 伯洛は、二年間、ため込んでいた怒りをぶつけた。


「ええっと、少し、よろしいですか」


 二人の背後から、申し訳なさそうな声がした。

 振り返ると、苦笑を浮かべた姜和(きょうわ)がいた。


「そのですね、私は昔朝廷におりましてね。これでも将来を嘱望されていた(たぐい)なんですけど」


 何かを懐かしむように空を見上げ、姜和は話した。


「試験に合格し、勤め先が決まった若い官吏たちは、この国を良くしようと張り切って仕事を始めるんですよ。皆、そう思っているんです。なんですけどね、働いていると、周りの上官や先輩方が皆、出世のこととか、お金のこととかで、真剣に必死で他の部署と戦っているわけです。その中で、一人だけ国のために、とか言えないわけですよ。何年か経つと、不思議なことにいつのまにやら先輩方と同じような人間になっちゃうんですね。周りに影響されず、染まらずにいれるのは、本当にごくわずか、かなり偏屈な変人だけです。そういう人は勿論出世できません」


 姜和は軽く笑った。


「上が腐れば、下は全部腐るんですよ」


 そして、狼奇に視線を送る。


「だからですね、狼奇様、やっぱり、一番上をすげかえるのがいいと思うんですけどね。大掃除のためにも」


 狼奇は部下を怒鳴った。


「いや、だからなんで俺が大掃除しないといけないんだよ。この国が腐ってるのは俺のせいか? なんで自分のせいでもない後始末をしなきゃいけねえんだ! 自分の(けつ)は自分で拭け!」


 姜和は苦笑する。

 十歳ほど若い主に両手を上げて落ち着かせる。


「いやいや、貴方のせいだなんて言ってないじゃないですか、そんなに怒らないでくださいよ」


 狼奇は音高く舌打ちをして、その場を去ろうとした。

 そのとき、建物の影から、陽気な男の声がした。


「おおい、旦那! そっちにいるんですかい!」


夫曽(ふそ)か。こっちだ」


 狼奇が答えると、でっぷりと太った夫曽が、小さな少年の肩を抱いてあらわれた。

 少年は俯いて、地面を向いている。


弧張(こちょう)! 無事だったか! お前のおかげで助かった」


 狼奇は笑みを浮かべると、少年に駆け寄り肩を掴んだ。

 しかし予想していたような元気な笑みはなく、弧張はただ地面を向いていた。


「弧張、どうした? 怪我でもしたのか」


 狼奇は、少年の前に膝をつき、顔を覗き込んだ。

 弧張は泣きそうな顔で、きつく唇を噛んでいた。


「弧張?」


 優しく狼奇は少年の頬を両手で包んだ。


「狼奇様は違うよね」


 弧張は小さくつぶやいた。


「何がだ」


「卑怯者なんかじゃないよね」


「は?」


 話を飲み込めずに、狼奇は瞬く。

 弧張は狼奇の手を両手でつかむ。

 強く目を合わせると、必死に言いつのった。


「俺、芽衣ちゃんに会いに行ったんだ。しばらく会えないかもって」


「芽衣ちゃんって、ああ、お前の彼女か」


 少年は目にうっすらと涙を浮かべる。


「そしたら、芽衣ちゃんのお父さんが、お前はもうここに来るなって。芽衣にも会わせないって。狼奇様に関係している奴は悪いことしている汚い奴だから駄目だって言うんだよ」


「弧張」


 少年の声が段々と高く鳴る。


「俺は違うって言ったんだ! 言ってやったんだ! 狼奇様は汚くなんかない、悪いことなんかしていないって。そしたら、悪いことしていないなら、堂々と言い返せばいいのに、ただ逃げ回っているだけの意気地なしなんだろうって」


 狼奇は目を見張って固まった。


「違うよね! 狼奇様は悪いことなんかしてない! 逃げ回る卑怯者なんかじゃない! そうでしょう!」


 弧張は叫ぶと、両手で顔をおおって泣き出した。

 狼奇は呼吸も忘れ、呆然と膝をついて少年を見た。

 ゆっくりと、手を伸ばし、弧張を胸に抱きしめる。

 弧張は、狼奇の首に両手を回し、大声で泣いた。


「弧張、そうだ、お前は間違ってない。俺は逃げたりしない。卑怯者じゃない」


 自分に言い聞かせるように、狼奇は強く言った。

 抱き着いたまま、弧張は何度も頷いた。

 首に、生暖かい涙を感じながら、狼奇は弧張の頭を、背を叩いた。

 少年が泣き止むのを待って、立ち上がる。


「ほら、顔洗ってこい。向こうに水場がある」


「うん」


 泣いたのが恥ずかしいのか、弧張は顔を隠そうとした。

 夫曽が笑って少年の肩を抱きながら、連れて行く。


 二人が小屋の影に消えるのを、狼奇はじっと見送った。

 やがて、ぽつんと口を開く。


「いつだって悪いのは親父だったんだ」


 思い出す少年の日。

 冠城(かんじょう)の隅っこにある小さな家で、月に二回やってくる父親が来る日を、指折り数えて待っていた。


 仕事でなかなか家に帰れないという父親は、どんなことでも知っていた。

 狼奇が何を聞いても、即座に教えてくれ、これを読めと本をくれた。

 大きな体、広い背中。

 外で遊んでいるときに、道を歩いていた父親が狼奇に手を振った。

 友達にあれが俺の親父だと胸を張って自慢した。


「俺の家がおかしいのは親父が外で子供を作ったせいだし、朝廷の会議がうんざりするほど馬鹿馬鹿しいのは、王家や官吏のせいなんだ」


 父親の裏切りを信じたくはなかった。

 嘘だと叫びたかった。

 一人、部屋で声を殺して流した涙を、狼奇は思い出していた。


 くだらない腐った世の中に付き合わされる自分は、いつだって巻き込まれただけの子供だった。


「でも、もう違うんだな。弧張にすれば、俺が親父で、俺が朝廷なんだ」


 伯洛と姜和は、無言で狼奇を見つめた。


「決めた」


 狼奇は静かに言い切った。


「決めたぞ」


 強く真っすぐに前をにらみ、思い出との決別を口にした。


「俺は王になる」




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