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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第二章 聖宮密謀
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06.神玉を守るもの (1)



 青い空に、白い雲がたなびいていた。


 白い石造りの塔の先端に、少女が一人腰かけていた。

 高さは地上四十(メートル)

 少し強い風で吹き飛ばされたら、遥か地上に叩きつけられてしまう。


 それなのに、少女は平然と柱に背をあずけ、青い空を眺めていた。

 ぶらぶらと足が宙を蹴る。


 大聖堂の北坎塔(ほっかんとう)は、王都で最も高い塔だった。

 先端には巨大な鐘が吊るされている。

 鐘の周りに壁はなく、十本の丸い柱の間を強く爽やかな風が通り抜けていた。


 腰にまで届く銀の髪が、強い風に飛ばされる。

 髪が乱れるのにも構わず、斎女は一人歌っていた。


 大きく喉を開き、冷たい空気を肺の奥底まで吸い込む。

 そうして目を閉じて、頭の一番高いところから声を出す。

 頭蓋や、肋骨、体の中のすべての空間を震わせて、彼女は歌った。


 最上級の鈴が鳴るように、澄み切った柔らかい歌声が風に流れた。

 ふっと息をつき、斎女は満足げに微笑んだ。

 どんなときでも歌は彼女の側にある。


 大きな緑の目が遥かな地上を見下ろした。


 王都の四辺を囲む高い城壁が、眼前に広がる。

 城壁の中は、東西南北に規則正しく、大路、小路が切られていた。


 商店の並ぶ大路を行き交う人たちが、米粒のように見えた。諸肌(もろはだ)を脱ぎ荷車を押す人夫(にんぷ)たち、道の端で噂話に興じる女たち、馬に乗り従者に(くつわ)を引かせゆっくりと道を行く長者風の男。聖宮から出ることのない斎女は、外界が見えるこの尖塔をとりわけ気に入っていた。


 風が強くなり、ふと斎女は顔を上げた。

 地平線の向こうに、何かが見える。

 初めて見る異変に、斎女は目を見張った。

 城壁のはるか向こう、西の街道の彼方に巨大な土煙があがっていた。


 もうもうと広がり、大きくなってゆく煙に彼女は胸騒ぎを覚えた。

 恐ろしい速さで何かが王都に近づいている。


 足元から震えが立ちのぼる。

 斎女は立ち上がると北坎塔の階段を駆け下りた。


 階段から出る扉を開くと、侍女の雨桐(うとう)が青ざめた顔で待っていた。


「み、宮、ああ、どうしましょう。上までお呼びに行こうかとどうしようかと思っていたのです。でもここで見張るようにっておっしゃってたし、私の足では登れないかもしれないし、どうしたらいいのかと。私、本当に困ってしまって。宮、大変です。どうしたらいいんでしょう」


 震える声で雨桐がどもりながらまくしたてる。

 雨桐は斎女より二歳年上だが、頼りのないところがあった。


「何事か。しかと申せ」


 斎女は侍女に強く言った。

 いつものようにおどおどとしてはっきり話をしない雨桐を、苛立たしく見つめる。


「あの、あの」


 斎女の怒りを含んだ目に怯え、雨桐は言葉に詰まった。

 塔の前、広い廊下に立つ二人の少女を見つけた大人たちの声がした。


 大きな声をあげて、十人を超える神官たちが走り寄る。

 斎女はそれを見て驚いた。

 神官は、走ることを許されていない。感情を顔に出さず、静かに歩くことが規則なのだ。


「ああ、宮!」

「お探し申し上げました!」

「何事ぞ。取り乱すな、見苦しい」


 うろたえる神官たちを、斎女は厳しく叱責した。

 白い大理石で作られた広い廊下、高い天井に、斎女の鋭い声がこだまする。


「敵です、猪狄(いてき)が西方の御陵墓で王と倫在公を襲ったと!」


 その言葉に、斎女は緑の瞳を大きく見開いた。


「陵墓とな? 墓参を誰が許したか!」


 斎女の怒りに、神官たちは目を伏せ縮こまる。

 十四にすぎない斎女の声は、小さな体に似つかわしくない強く張りのあるもので、神官たちをも恐れさせた。


「誰が許した、と訊いておる」


 良く通る澄み切った声に、答える声はない。

 斎女は問いを重ねた。


「王と倫在公の墓参を知っていた者はおるか」

「だ、大神官様は、ご存じでした」


 聴くや否や斎女は身を翻し、大神官の部屋へ走った。

 慌てて神官たちがその後を追う。

 斎女を先頭に、走る人影は二十名に達そうとしていた。

 白い石の廊下と階段に、足音が何重にも反響した。


 大神官の部屋にたどり着いた斎女は、手荒く扉を両手で開け放った。

 室内にいた大神官の従者たちが、驚愕する。


「えっ? み、宮? 何事でございましょうか」


 従者たちには目もくれず、斎女は奥の部屋に突き進む。

 大神官の執務室の扉を、乱暴に開いた。


 斎女の後ろから追いついた神官たちが次々と部屋に入り、息を呑んだ。


 執務室にいるべき大神官の姿はなく、床には白い長衣が脱ぎ捨てられていた。中央に置かれた大きな書き物机の引き出しはいくつかが開け放しになっている。机の後ろにある窓は半分が開いていた。


 主がいなくなったことに気が付いていなかったのか、大神官の従者たちも顔色を失った。


「探せ」


 斎女の小さな声がした。

 二十人を超える神官たちが不安げに顔を見合わせる。


「大神官はなどかわ居らん! 彼奴(きやつ)を今すぐここに召し上げよ!」


 尋常ではない斎女の怒り、廊下にまで響き渡る叫び声に、神官たちは我先にと部屋を飛び出て走り去った。


 一人残った斎女は、足音が遠ざかるのを待ち、静かに扉を閉めた。


 改めて大神官の部屋を見回す。贅沢が許されない聖職者の執務室は、一見、簡素に見えた。壁には神々を描いた絵が一幅、床には絨毯が一枚あるだけで、書き物机と椅子は飾り気もなくすっきりとしていた。しかし、その額縁の造り、机の材質、絨毯の厚みが、簡単には手に入らない一級品であることを示していた。


 なぜ大神官は姿を消したのか。

 敵襲の報せに恐れをなして逃げたのか。

 それならばなぜ従者に隠れただ一人で逃げたのか。


 床に落ちた長衣に手で触れても、温もりは感じられない。

 斎女は下半分が開け放しになっている玻璃の窓から外に顔を出した。


 窓からそう遠くないところに鎖が下がっていた。屋根から落ちる雨を伝わせるといの鎖だ。太いものではないが、大人一人がつかまって、地上に降りるには問題がなさそうだった。


 斎女は書き机に向かった。

 開け放しになっている引き出しを一つ一つ、慎重に改めた。

 引き出しの中に手を入れ、奥を探る。

 長い廊下を走っても乱れることのなかった斎女の息が、少しずつ荒くなる。


 ある引き出しの奥に手を入れた彼女は、その引き出しの奥行きが、他と比べて妙に浅いことに気が付いた。上の引き出しと比べて半分ほどしかない。明らかにおかしい。中に入れられていた文具を取り出し、顔を近づけ、奥を覗く。引き出しの奥の板のくぼみを指先で押すと、ばね仕掛けの隠し箱が手前に滑り出た。


 引き出しの奥に隠された小さな隠し箱は、光沢のある赤い別珍(ビロード)の布で内張りされていた。箱の中央、別珍が大きく窪んでいる。しかしそこには、何も入っていなかった。


 嫌な予感がする。

 この引き出しには、一体何を隠していたのか。


 斎女は身を翻して走り出した。

 目指す場所は、神玉が安置されている安嘉堂(あんかどう)


 その部屋の鍵は、斎女と大神官のみが持っていた。




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