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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第七章 王都解放
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66.神玉の囁き



 全く何の結論も出せず、徒労のままに会議は終わった。

 宰相の宋義は散会を告げると、苛立ちを隠せず足音高くその場を去った。


 残された官吏たちは、親しいものと顔を寄せ合い、声を落として囁きあった。

 これからどうなるのか。

 誰が玉座に座るのか。


 臨采侯である皓之(こうし)は、次から次へと挨拶に来る官吏たちに、愛想よく応対を続けていた。

 多くの者が、皓之と近づきたいと願ったのだ。


 四十分後、皓之はようやく会議室を後にした。

 覚えきれない数の官吏たちの顔を名前を反芻しながら廊下を歩いていると、前方に一人の男が立っていた。


「臨采侯、少しばかりお時間を頂戴できましょうか」


 丁重に頭を下げているのは、宋義の部下である董辰(とうしん)だった。

 その起伏が乏しく、どこか爬虫類めいた顔を一瞥(いちべつ)し、皓之は微笑んだ。


「ここでは駄目なのかな」


「少しばかり差支えが」


 含みを持たせた董辰の笑みに、どこか不愉快なものを感じながらも皓之は頷いた。


「いいだろう」




***




 小さな薄暗い控室に皓之を案内すると、董辰は慎重に廊下を窺ってから扉を閉めた。


「何を警戒しているのかな」


 明るく皓之が訊いた。


「何事も慎重を期すに越したことはございません」


 猫なで声で答えると、董辰は皓之に椅子を勧める。


「いや、いい。何の用かな」


 すげなく皓之は断った。

 特に気分を害する様子もなく、董辰は笑みを浮かべた。


「先ほどの会議のご演説です」


「何か問題が」


 皓之は臆面もなく微笑んだ。

 宋義が目論んでいた次の王の選出を妨害してのけたのだ。

 問題がないわけがない。


「問題だなんてとんでもない!」


 楽しそうに董辰が言った。

 予想外の返事に、皓之は思わず真顔になる。


「素晴らしいご演説でした。我が国の歴史から振り返り、我々自身の立ち位置の指摘、武信公、文成公の比較。要点を短くとらえ、明解であり、言及されていないことに対するご意見までもが誰にもはっきりと伝わりました」


 董辰は心から皓之を褒めたたえていた。


「話の構成だけではありません。共感を呼ぶ穏やかな表情、声の高低、間の取り方、聴衆への目配り、自然な手の動き、すべてにおいて完璧でした」


 皓之は表情を消した。

 董辰の意図がわからない。


「私は感嘆いたしました。弁論の教科書に載せるような事例です。私にはわかったのです。臨采侯は誰よりも努力を、訓練をされていると」


 皓之は息を呑んだ。

 董辰は笑みを浮かべたまま、ゆっくりと皓之を見上げながら歩いた。


「私は知っています。この種の弁論には、訓練が必要なのです。どれほど才能に恵まれていようと、突然本番で最高の結果を残すことなどできません。素早く論を組み立て、風采よく演説をするための練習を積み重ねなければ、この境地に達することはできないのです」


 歩む董辰を見つめる皓之の額に汗が浮く。


「臨采侯は、高貴なお生まれ。身分ばかりでなく美しいご容貌にも恵まれ、また将軍としてご立派な戦績を残されております。それにも関わらず、陰で努力を重ねていらっしゃる。そのことに私は心から感嘆したのでございます」


 歌うように董辰は続けた。


「私には臨采侯がどれほど修錬を積まれたか、わかります。なぜならば、私自身が今現在も弛まぬ努力を積み重ねているからです。人が寝入った夜中に、一人で論を立て、声を張り上げ、いつか来るときに備えているのです」


 董辰は片手をあげ、力強く拳を握った。


「ただ与えられた身分に、地位に満足している者たちには、その演説の素晴らしさがわかりません。どのような分野であれ、何も知らないところから、二割、三割のところに達するのは早いものです。だからすぐに諦める者たちは、八割から九割に達するのも、同じだけの時間しかかからないと軽く見るのです。無論、臨采侯はご存じでしょう。八割から九割に達するのは、二割から三割に達するまでの十倍、下手をすれば二十倍の努力が必要であることを」


 強く董辰は言葉を重ねた。


「その困難、その苦痛は、ある程度の高みに達した者にしかわからないのです。努力もせずに、人を笑う者には理解が出来ないのです」


 ゆっくりと大きく息を吐くと、董辰は頭を下げて皓之に告げた。


「臨采侯、私は貴方のような努力を惜しまないお方のお力になりたいと思っております」


 皓之は薄く笑みを浮かべた。


「君は、宋義に取り立てられて今の地位にいる。主を裏切るのかい」


 董辰は芝居がかった様子で両手をあげた。


「裏切る? 何をおっしゃいますやら! 私はこの二年、宋義様のお望み通り、何から何までお膳立てをして差し上げました。宋義様が少し手を動かせば、すべてが終わるように九割方私が準備をしてさしあげたのです。こう申し上げては何ですが、今や貸しはあっても借りはない!」


 董辰の怒りを含んだ笑みに、皓之は苦笑した。


「臨采侯、何よりも、強く申し上げておきたいことは、私がこの国を憂いているということです」


 皓之は驚いた。

 董辰は笑みも浮かべず、真剣な怒りを見せていた。


「それぞれの分野においてしかるべき知識と経験を持つ者が、責任ある地位に就くべきなのです。ただ貴族の家に生まれた、親が高官だったというだけの無能な者が、組織の長となり、能力はあるが身分のない官吏が、愚かな長の尻ぬぐいをしてまわっているのです」


 怒りを込めて、董辰は強く断言した。


「私は思うのです。能力のある部下が、無能な上司に仕えるのは、罪であると。知識と経験のある官吏が、愚かな上司を見捨てずに、尻拭いをし、力を貸すからこそ、この国の腐敗が止まらないのだと」


 大きく息を吐いた董辰は、改めて笑みを浮かべ皓之に頭を下げた。


「臨采侯のご演説を聞き、私はこの国のために、侯のお力になりたいと思いました。どうぞ、私をお使いください」


 皓之は薄く微笑んだ。


「話は聞いた。せいぜい君の期待を裏切らないように心がけよう」




***




 その夜、皓之は江邑(こうゆう)の拠点としてる屋敷の書斎で、書簡を読み続けていた。

 戦場に出ていた間、たまりにたまった手紙や報告を片付けるには、まだまだ時間がかかりそうだった。


 休憩をしようと、ため息をつき椅子から立ち上がる。

 開け放された窓に両手をついて、薄雲の広がる夜空を見上げた。

 早くも秋の虫の音が聴こえる。


 そのとき、扉を控えめに叩く音がした。

 こんな夜更けに誰かと不審に思いながらも扉を開くと、手燭を片手に媚白(びはく)が立っていた。


「姉上、このような時間にどうしました」


 廊下はほとんど闇に等しい。

 もう寝る準備をしていたのだろう、媚白は白い薄手のゆったりとした長着の上に肩掛けをひっかけていただけだった。手燭に金の髪が、神々しく輝いていた。


「皓之、少しお時間いただいてもよろしいかしら」


 憂いを含んだ美しい白い顔が、弟を見上げる。


「もちろんです。どうぞ」


 柔らかく微笑んで皓之は、姉を書斎に通した。


「皓之、ごめんなさい。戦場から戻ったばかりで忙しい貴方を煩わせたくはなかったのですが、どうしても眠れなくて」


 皓之は姉の手を取って長椅子に座らせると、自分もその横に座った。


「そのようなことは気にしないでください」


「文成公はどちらにいらっしゃるかわかりましたか」


「残念ながら」


 皓之の答えに、媚白は両手で顔を覆った。


昭蝉(しょうぜん)様が、お気の毒で、本当にお気の毒で。もう見る影もなくおやつれになって。王と馮英(ばえい)様がお亡くなりになられて間もないのに、今度は幹蒙かんもう様が亡くなられたばかりか、伯洛(はくらく)様まで行方知れずだなんて。なんとお慰めしたらよいのか、もう、私」


 媚白は先王の后、昭蝉を母のように慕っていた。

 馮英と内密に婚約をしていた彼女にとっては、昭蝉は未来の母であり、王や王子たちは未来の父であり弟だった。


「姉上」


 かけるべき言葉も見つからず、皓之はただ姉の肩を抱いた。


 しばらく泣いていた媚白が、顔をあげた。


「昭蝉様は、王に嫁がれて三人もの男のお子様に恵まれて、とても幸せな方だと、この国で一番幸せな女性だと思っていたのです。つい先日まで。それなのに、今はすべてを無くされてしまった」


「確かに、ひどい運命ではあります。お気の毒というよりほかはない」


 皓之は姉に頷いてみせた。

 媚白の透き通る青い瞳から、静かに涙があふれて落ちた。


「皓之、私はどうなるのでしょう」


「どう、とは」


「婚約をしていた馮英様はお亡くなりになりました。本当ならば、七年前に私は嫁いでいたはずなのです。今頃、とっくに一人か、二人か子供を産んでいたはずなのに」


 皓之は目を見張った。

 姉の苦悩をようやく理解した。


「馮英様が王太子となるのを七年待っている間に、私はもう二十五になってしまいました」


 力なく媚白は弟を見上げた。


「皓之、私は誰に嫁ぐのでしょう。これから、何人子供を産むことができるのでしょう」


 皓之は力を込めて、姉の手を握った。


「姉上、もう王家に嫁ぐ必要はありません。もういいのです。お好きな方とご一緒になられるといい」


 弟の手を振り払い、突然媚白が叫んだ。


「好きな人と? 今更? 王家に嫁ぐためだけに、私は育てられたのではないのですか! そのために屋敷の外にも出さずに、男の方と出会わないように私を育てたのではないですか!」


 皓之は、これほどに怒りを見せる姉を始めて見た。


「姉上、申し訳ありません。失言でした」


 激情は一瞬で過ぎ去り、弱弱しく媚白は答えた。


「いいえ、いいえ。私が悪かったのです。私をどのように育てるかを決めたのは父上で、貴方ではありません」


 皓之は姉の手を両手で強く握った。


「姉上に相応しい縁談を必ず用意します。どうぞご安心ください」


 媚白は静かに微笑んで立ち上がった。


「いいえ、もういいのです。貴方に聞いてもらえたから、心は晴れました。私のことはもう気にしないでください。それよりも貴方です。臨采侯としてご立派にお勤めを果たされていますが、何かとお疲れでしょう。早く貴方を支えてくれる奥方を迎えてください」


 姉の気遣いに、皓之は微笑んだ。


「ああ、そうですね。ありがとうございます。私自身も片付けなければいけませんね。実は烈侯家から朱苛(しゅか)を迎えようかと」


 何気なく皓之が言った言葉に、媚白は目を見開いた。


「まあ、皓之、貴方」


「どうしました」


 皓之は不思議に思って姉に訊く。

 媚白は痛ましく弟を見上げ、首を振った。


「私にはわからない朝廷でのお立場や、政治の問題はおありでしょうが。皓之、貴方ぐらいは政治を離れて、ご自分のお心のままに、お好きな女性を、美しく優しい奥方をお迎えください」


 姉の去った扉を、皓之はしばらく見つめていた。


 打算なのだろうかと、自分に問う。

 確かに、朱苛が美しく優しいという話はない。


 最も美しい女を妻とする男が、最も強い男である、という太古の昔からの暗黙の了解がある。

 要するに男の沽券の問題なのだ。


 長椅子から立ち上がり、窓から星のない夜空を見上げた。

 思い出すのは、七夕の夜、満天の星。

 握りしめた手に、滑る汗。

 真っ赤に染まった耳とうなじ。


 ふと、皓之は懐に手を入れた。

 てのひらに取り出したのは、光り輝く透明の金剛石。


 書卓の灯りを受け、神玉はきらめく光を放った。

 この宝玉を見ていると、不思議と心が安らいだ。

 時間を忘れて、ただ輝きの奥を見つめる。


 金剛石は地底奥深く、何億年もかけて美しい結晶となる。

 その輝きは百億年経とうと変わらない。


 皓之は神玉を光に透かせた。

 神々しい輝きがてのひらからこぼれ落ちた。


 我知らず笑みを浮かべた。


 たかだか十年、二十年しか持たない女の美しさなど、何の意味があるだろうか。




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