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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第七章 王都解放
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65.空の玉座



 八月、江邑(こうゆう)に王軍、采侯軍が戻った。

 街に入った長い隊列を、大勢の住民たちが物陰に隠れるように息をひそめて見守った。


 隊列の中、八人の兵が二本の(ながえ)を担ぎ、屋根のつけられた輿(こし)を担いでいた。


 臨王であった武信公幹蒙(かんもう)の遺体を丁重に運ぶために、郊外で遺体を輿に乗せ換えたのである。


 悪名高い乱賊を倒したとはいえ、捕虜となっていた武信公は亡くなってしまった。

 これからこの国はどうなるのかと、江邑の住人たちは顔を寄せて囁きあった。


 現在の臨王である文成公(ぶんぜいこう)伯洛(はくらく)が行方不明となったことは、まだ知られていない。




***




 翌朝、江邑の中心にある王家が接収してる貞固館に、文武の高官たちが集まった。

 その数、約百名。


 盛夏とはいえ、朝はまだ過ごしやすく、外気は爽やかだった。

 しかし、高官たちが集まる部屋は、暗く、重く、空気は完全に淀んでいた。


「さて、臨采侯、呂馬(りょば)将軍はじめ、皆さまがご無事に戻られたこと、何よりに存じます」


 宰相、宋義(そうぎ)が立ち上がって、場を見回した。

 暗い部屋に左右に分かれて向かい合って座る高官たちは、皆、神妙に宰相を見上げた。

 部屋の中央奥に据えられた金色に輝く玉座には、誰も座る者がいなかった。

 全員の視線を受け、満足そうに宋義は頷いた。

 良く手入れされた口ひげが上下に震える。


「先にご連絡した通り、誠に遺憾ながら、この玉座におられるべき文成公のお姿がありません」


 左右に座る高官たちの間、中央の空間を、宋義はゆっくりと歩いた。


「先月の半ば、公は朝議の後、体調を崩され、高熱のために床におつきなりました。まずは療養が第一と、ご安静にいただき、政務諸事は我々が預かっておりました」


 高らかな声で、滔々(とうとう)と宋義は続けた。


「一週間ほどたったある日、侍女が朝食のご用意をして寝室に伺うと、忽然とお姿が消えていたのです。すわ、不心得者に拉致されたのかと、館中を、また江邑の街中を密かにお探し申し上げましたが、影も形もございません。また、お部屋を拝見しても、どこも乱暴狼藉の後が見当たりません」


 息を切ると、声を落とす。


「気まぐれにお散歩にでも出られたのかとも考えましたが、警備の者に見つからずに出ることはまず不可能です。誘拐であるならば、未だに下手人から何ら要求が来ないことが不自然です」


 場は、塵が落ちる音さえ聞こえるほどに静まり返った。

 更に宋義は声を低くする。


「残された可能性を考えますに、公が御自ら出奔されたのではありますまいか。十四歳の文成公に多くのご負担をおかけしすぎたのではないかと、私は自らの至らなさが情けなく、誠に穴があれば入りたいと恥じ入る次第でございます」


 悲痛な声で顔をしかめると、宋義はしらじらしく袖を目に当てた。


「さて、文成公のお戻りを待つにしろ、一時的にでも玉座に座るお方を我々はいただく必要がございます。痛恨の極みではございますが、先の国王燕亥(えんがい)様の三名の御子息方は、二人が他界し、一人が消息を絶ちました」


 その場をゆっくりと宋義は見渡した。


「私はここで皆様にご提案いたします。三代国王の子孫である恵伯家の玄羽様をお迎えすることを」


 瞬時に部屋が騒めいた。

 先の国王燕亥えんがいは舜国六代目の王である。

 三代目の子孫となるとかなりの遠縁となる。

 玄羽は伯とはいえ、朝廷での公職も持たない田舎貴族である。

 宋義の思い通りになる、傀儡(かいらい)の王となるのではないか。


 高官たちの動揺に気がつかないふりをして、宋義はもっともらしく続けた。


「王家の血を引く方で、もっとも近い、ふさわしきお方が玄羽様でありましょう」


 そのとき、明るく爽やかな声が、部屋の淀んだ空気を吹き飛ばした。


「宋義殿、私の意見を言わせてもらえるかな」


 そういって立ち上がったのは、金髪碧眼、長身の貴公子である。


「これは臨采侯、勿論、何の触りがありましょうか。どうぞどうぞ」


 恭しく答えると、宋義は礼儀正しく、皓之(こうし)に場を譲って着席した。


 部屋の中央に立った皓之は、穏やかな笑みを浮かべ、場を見回して軽く両手を上げた。


「さて、諸氏、諸君、宰相のおっしゃることはいかにもごもっともです。我々は早急に新たな王を戴く必要があります」


 ゆっくりと歩く皓之は、朗々と話し始めた。


「舜国はその武勇と知恵を歴史に残す偉大なる始祖高元に始まり、六代の王を経ました。先の国王燕亥(えんがい)様は治世二十年に及び、全土に繁栄と安寧をもたらしました。ここに座るすべての者が、燕亥様よりその地位を与えられたはずです。この私も、先王より征艮(せいこん)将軍の号をいただきました。また、宋義殿が宰相におなりになったのも燕亥様のご指名によるものです」


 人好きのする笑みを秀麗な顔に浮かべ、辺りを見回す。


「国の繁栄、我々自身の地位と名誉、それはすべて王家により与えられたもの。臣下たるもの、その芳恩にすべてをかけて報いるべきでしょう」


 言葉を切ると、声をひと際高くした。


「不運にして先王、ならびに長男倫在公(りんざいこう)が我が父淳于(じゅんう)と共に猪狄(いてき)の手に倒れました」


 高く片手を上げる。


「我々は国難を救うべく、次男武信公を臨王としていただき、敵と戦いました。なぜならば、武信公は、王家の最年長の子息でいらっしゃったからです」


 余裕のある美しい笑みが聴衆に向けられる。


「武信公は勇猛果敢にして、自分自身の考え、鉄の意思、炎の情熱をお持ちでした。公の(まつりごと)の経験は浅くとも、十年にわたり宰相を務めていた宋義殿のお力により、朝廷はなんら問題なく動いていました。そうでしょう」


 鉄の意思、炎の情熱という言葉に、多くの者が苦笑した。

 武信公の思い込みの激しさ、自分勝手な憤怒には誰もが苦い思いを抱いていたのである。


「不幸にも武信公が乱賊に捕らわれた後、我々は遅滞なく三男文成公をお立てしました。公が王家の最年長の子息となったからです」


 優しく何かを思い出すように皓之は続ける。


「文成公は心優しく思慮深く、出すぎることのない方でした。公は(まつりごと)の経験が全くなかった。しかしやはり、十年にわたり宰相を務めていた、宋義殿のお力により、朝廷はなんら問題なく動いていました」


 出すぎることのない、という指摘は厳しかった。

 そう、文成公は何もできなかったのだ。

 ただ、宋義の言うことに従うことしかできなかったのだ。


「さて、今、宋義殿は、王家の最も近い血を引く恵伯家から王を迎えようと仰る。王家の血の貴いこと、異論はない。だが、我々はもう少し時間をかけて、文成公をお探しするべきではないのでしょうか」


 場は静まり返った。


 明らかに、皓之は宋義を糾弾している。

 その上、王家の血を引く恵伯家から王を迎えることに反対をしている。

 しかし、それを明言していないために、あからさまに反論をすることは難しい。


 多くの者が考えた。

 誰が王になるにせよ、宋義が宰相であれば、同じことの繰り返しになるのではないか。


 宋義は顔を青くし、唇を震わせて皓之を見上げていた。

 誰か、皓之に反論する者はいないのか。

 気の利く部下である董辰(とうしん)を振り返った。


 頼りの部下は何かを考え込んでいるのか、顔を伏せ、宋義と目も合わせなかった。


 舌打ちをして、宋義は前に向き直り、皓之に顔を向けて立ち上がった。

 自分自身で何とかするしかない。


 その背後、薄暗い闇の中で、董辰(とうしん)がゆっくりと深い笑みを口に浮かべた。



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