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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第六章 東方内乱
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59.陰謀



 (しゅん)国王都、冠城(かんじょう)にも、暑い夏が来た。

 南方に位置する江邑(こうゆう)ほどのじっとりとした湿気はないが、強い日差しに道ゆくものは皆、滝のような汗をかいていた。


 敵襲により籠城を開始してすでに四カ月が経過していた。

 城壁を取り囲む敵兵たちはすでにいなくなって久しい。

 だが兵士崩れの盗賊が、集団となって街道をゆく人たちを手当たり次第に襲っていた。

 城内の避難民が自宅に帰ろうとして、盗賊に殺される例が後を絶たなかったため、基本的に門はすべて閉じられていた。

 通行証を持った商人たちだけが、時折、門から出入りする。


 冠城は、東西南北、五公里(キロメートル)四方の広大な街だ。

 城壁の外に出なくとも、閉塞感はないはずだった。

 しかし、街に閉じ込められた人たちには、言いようのない不安と、不満が鬱積し、苛立たしく怒鳴りあう声が、あちらこちらの路地から毎日のように聞こえた。


 冠城の南の端には、低所得層が肩を寄せ合って暮らしている。

 そのうちの一角、北にある胡北地方から出稼ぎにきて住み着いた者たちが集まる長屋があった。


 安普請(やすぶしん)の長屋の一部屋で、赤毛の少女が、老婆に悲鳴のように高い声で叫んだ。


「なんでわからんのん!」


「蘭々、そないな大きい声、出さんと」


 板間に座った老婆は、腰が曲がっており背を伸ばせない。

 顔だけあげて孫を見上げた。

 蘭々と呼ばれた赤毛の少女は、板間に膝をつき、祖母のしわしわの手を取って、涙ながらに訴えた。


「皆、皆、騙されとるんよ! よう考えて。三月に敵が来た時、王宮にいた王子様とか、貴族や役人はみんなさっさと先に逃げよったんやで。斎女様だけ冠城に残りよるはずないで」


「蘭々」


「あの斎女様は偽者なんや!」


 老婆は周りを見回し慌てて首を振った。

 長屋の部屋の壁は薄い。

 いつ隣から人が入ってくるか知れたものではなかった。


「そんな恐ろしいこと言われん」


 声を落としてたしなめる祖母に向かって、蘭々はきっぱりと警告した。


「お婆ちゃん、騙されたらあかん。役人なんか嘘ばっかり言うんや。ほなけんど、ほんまのことがわかってる人やっておるんや。そういう人の言うこと、よう聞かんといかんの。お婆ちゃん、あたしがおらんでも、しっかりしてや」


 強く祖母の両手を握ってそう言うと、蘭々は身をひるがえして部屋から飛び出した。


「蘭々! どこ行くんで!」


 老婆は立ち上がろうとして、膝の痛みに床に両手をついた。

 戸口から、同じ長屋の住人達が顔をだした。


「婆ちゃん、大丈夫か」


 家族同然の仲間に声を掛けられ、老婆は顔をくしゃくしゃにして泣いた。


「ああ、蘭々、どないしたらええんで。母親が、黄雀が死んでから、一つも言うこと聞かんようになってもうて」


 戸口の集まった住人たちは顔を見あわせて頷いた。


「蘭々、最近、学校に来とらんて、うちの子がゆうとった」

「ほんまか」

「どこ行っとるんや」

「さあ」


 中年の男が、老婆に声をかけた。


「せや、婆ちゃん、明日の朝、聖宮の礼拝に一緒に行かんで。わしが、背負ってやるけん」

「それが良いわ」

「婆ちゃん、わしも行くわ」

「ああ、ええんで。ありがたいことや」


 長屋の住人達は、毎日早朝に行われている聖宮の礼拝に老婆を連れて行き、蘭々が元の良い孝行娘に戻るように祈ることにした。




***




 冠城の南西の端は、開発が放棄されて久しい荒れ地だった。

 定住する家を持たない者が、勝手に板を集めて住まいらしきものを作っている。

 今は城外からの避難民の天幕もあちこちに建てられていた。


 住む者がいないあばら家の中で、蘭々は一人の男と向きあっていた。

 ぼろぼろの板壁から日が差し込み、暗い部屋に幾筋もの白い線を描いていた。


「これを使うの?」


 囁く声が震える。

 背が高い痩身の男は、細長い顔に笑みを浮かべた。

 大きな口が三日月のように薄く開く。


「そうだよ。良く見て」


 猫なで声で男は言うと、手にしていた小さな刀を鞘から抜き出した。

 男のてのひらにすっぽり収まる小刀は、刃の中央に溝が彫られていた。


「この溝にね、毒が埋められている。ねちゃっとしたのが入ってるのがわかるかな。それだけじゃなくて、この刃全体に薄く毒が塗られているから、絶対に触ってはいけないよ」


 蘭々はごくりと唾を呑んだ。


「深く刺す必要はないんだ。薄く肌をそぐように切るだけ。力は全く入れなくていい。この溝がね、肌の下の血管に触れるようにすればいいんだよ」


「わかった」


 震える手で蘭々は男から小刀を受け取った。

 男は優しく微笑んで、蘭々の肩を抱いた。


「蘭々、君のような勇気のある子が味方になってくれて本当に良かった。ありがとう。感謝しているよ。私の言うことを信じてくれる人がなかなかいなくてね。普通の人は都合の悪い事実とは向かい合いたくないんだよ。誰だって、昨日と同じ今日を暮らしたい、自分だけはいつものように食って寝て、平和に暮らしたいから嫌なことから目を背けてしまうんだ」


 男は心から、世界を憂いているように首を振って、悲しみを顔に浮かべた。


「君のように賢く優しい子にこんなことを頼むしかない自分が嫌になる。本当にごめんね。偽の斎女はいつでも神官たちに周りを囲まれているからね。私ではとても近づくことができないんだよ。君なら、あの斎女と顔見知りだからね、きっとすぐそばまで行けると見込んでね」


 蘭々は頷いた。

 多分、できる。

 最後に会った時、偽の斎女は、晶瑛(しょうえい)は、彼女に何かを話しかけようとしていた。

 声をかければ、近づくことが出来るはずだ。


「大丈夫、私はやれるから」


 男は薄い手袋を蘭々に手渡した。

 固く思いつめた表情で、蘭々は小刀と手袋を握りしめた。


「この手袋を使って。君の勇気が、世界を救うよ」


 あばら家の隙間からさす光が、男の痩せた長い顔の右半分を照らした。

 大きな口が三日月のような笑みを描き、白く光った。


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