05.凶報
兵士に急を知らされ、母のもとに走った伯洛は、驚いて立ちすくんだ。
母后、昭蝉の私的な居間は、殺伐としていた。
毛足の長い絨毯が隙間なく敷き詰められ、天井から下がる硝子の燭台からはきらめく灯りがおちる。芳しい香りが満ちる美しくも豪華な部屋に、いつものように女官たちがいる。
しかし今は険しい顔をした次兄幹蒙をはじめ、場違いな多くの文官、武官たちが詰めかけていた。
「何があったのですか」
伯洛は、部屋の中央にある豪奢な寝椅子に顔を伏せている母のもとに走り寄った。
「お母様、どうなさいました」
伯洛が絨毯に膝をつき、震える母の手を取ると、青ざめた顔を上げた昭蝉が彼の手をきつく握り返した。
「ああ、伯洛、伯洛。どういたしましょう」
後ろから、次兄の大きな手が伯洛の薄い肩を掴んだ。
「お兄様、一体なにが」
「伯洛、ちょっと来い」
力強い兄の手に半ば引きずられるようにして、伯洛は部屋の片隅に向かった。
次兄幹蒙はこの年、二十四歳。
すらりとした体形の長兄や、か細い伯洛とは異なり、がっしりとした筋骨逞しい男だった。
幹蒙は肉厚の両手を伯洛の細い肩に置き、良く日に焼けた顔を近づけた。
「よく聞け。落ち着けよ。陵墓で父上と兄上が襲われた」
「そんな!」
「逃げ出してきた奴らに聞いても安否がわからん」
伯洛は絶句した。
一体誰が王を襲ったのか。
「数人の手勢ではない。相当の数の軍に襲われた。猪狄に違いない。お二人の伴をしていた采侯の無事もわからん」
苛立ちを隠さない兄の声に、伯洛は驚いた。
「采侯? 陵墓は西方、烈侯の領地内にある王家直轄の飛び地です。なぜ烈侯ではなく、采侯が伴をしていたのですか」
思わず声が高くなった伯洛をたしなめるように、幹蒙は声を潜め、太い眉を眉間に寄せた。
「伯洛、立太子式を忘れたか。父上、兄上が烈侯に伴を許すと思うか」
伯洛は薄い唇を噛んだ。
父王は、立太子式が中断されたことに激怒していた。
それだけではなく、烈侯の息子狼奇に斎女からの預言が与えられたことにも、怒り狂っていたのだ。
そのとき、戸口の衝立の後ろで、数人が押し問答をする声が聞こえた。
「いけません、お控えください!」
「退け! 今をなんと心得る!」
荒々しく人がぶつかる音が聞こえ、衝立から鎧に身を包んだ壮年の男が姿を現した。
その後ろにはやはり武装した将兵が三人続いていた。
「王后陛下、ご用意はいかがか」
烈侯梁桀だった。
鷹を思わせる鋭い眼差し、野太い声には有無を言わせぬ力があった。
「ああ、烈侯、どうしても、どうしても王都を出ないといけませんか」
長椅子に上半身を預け、悲壮な顔を上げた王后昭蝉に、烈侯は厳しく答えた。
「すでに敵軍は王都より西、四十二公里まで進んでおります。一刻も早く冠城から離れるべきです」
烈侯から母を守るように、間に立った伯洛が声を上げた。
「王都を出てどうするのですか」
鋭く尋ねる十四の少年に、五十近い烈侯が礼儀正しく答えた。
「我が息子、狼奇が南都江邑に一軍とともにあれば、まずはかの地に身をお寄せください」
「王都には、二十万の民がいます。それを捨てよというのですか。冠城の城壁は堅固であり簡単に落ちるものではありません。門を閉ざし籠城をするべきではないのですか」
伯洛の言葉に、烈侯は片方の眉をぴくりと動かした。
「籠城は外部から救援がくる前提があってこそ可能なこと」
ぴしゃりと言われ、伯洛は唇を噛んだ。
彼は軍を率いたことがない。
救いを求めるように武勇を誇る兄に視線を送ったが、難しい顔をした幹蒙は弟から目をそらして腕を組み無言のままだった。
「まず御自らが冠城の外に出、軍勢を整えその上でこの王都を救うべきです。ご安心めされよ。猪狄は始祖高元が建国以来の宿敵、攻め込まれたことも、我らが攻め込んだことも一度や二度ではございません。必ず今回も打ち払えましょう」
堂々とそう述べる烈侯の声に、反論をする者はいなかった。
「陛下、どうかお早く」
再三の督促に、昭蝉はようやく腰をあげた。
伯洛が彼女の手をとり、ふらつく体を支える。
そのとき鎧を音高く鳴らしながら、兵が部屋に飛び込んできた。
「も、申し上げます! 街道を進む敵軍、長槍の穂先に、首が! 王、倫在公、並びに采侯の首を掲げているとのこと!」
「ああ!」
ひと際高い悲鳴を上げ、昭蝉がその場に倒れ伏した。