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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第六章 東方内乱
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57.不穏な噂 (1)



 江邑(こうゆう)の夏はうだるように暑い。

 灼熱の太陽が地上を焦がし、朝夕の通り雨が残した水たまりをたちまちのうちに蒸発させる。

 鮮やかな橙と緑の瓦が日光を反射し、見た目にも暑さをいや増していた。


 じっとりと湿った熱風が街を漂い、人も獣も日がある間は、屋内や日陰で熱波をやり過ごすのが常だった。


 江邑の中央にある歴史ある宿舎では、定刻通り、きっちりと冠城の服を着込んだ官吏たちが集まっていた。

 どれほど暑くとも、風通しのよい江邑の服を着ることはありえない。

 それが王都から来た官吏たちの常識だった。


 貞固館の大会議室に高官たちが集まっていた。

 外は強烈にまぶしいが、室内は暗く、高い天井のおかげで多少の涼しさを感じられた。


 床から三段高い玉座に座る伯洛(はくらく)の額から、汗が流れ落ちた。

 顎に汗が伝うのをそのままに、ぼんやりと議論をする高官たちを眺めていた。

 十四の少年にとって玉座は少し大きく、うっかりすると足が宙を泳ぐ。

 そのときも伯洛はぶらぶらと動きそうになる両足に気づき、慌ててつま先を地につけた。


 週に一度の休日を除き、毎朝この大会議室で会議が行われる。


 宰相である宋義(そうぎ)がその日に何を議論するかを取り決め、参加者たちの意見を促し、結論を定めてゆく。


 時折宋義から、よろしいでしょうか、と許可を求められる。

 良くわからないままに伯洛は頷くだけだった。

 わからない言葉を確認したり、疑問を口に出したりすると、伯洛の知識と経験の不足が衆目に明らかになる。

 わからないまま黙っているほうがまだましなように感じられた。


 内容を理解できない議論を聞いていると、時間が経つのが恐ろしく遅く感じられる。

 もう一時間たっただろうと思っても、実際には十五分も経過していない、ということがままあった。

 何もせず玉座に座っているだけでも、伯洛は異様な疲れを感じていた。


 宋義が会議の終わりを宣言した。

 ようやくその日の苦行から解放された伯洛が玉座から立ち上がろうとすると、宋義が片手をあげ、彼を押しとどめた。


「公、しばしお時間を頂戴できましょうか」


 そうして後ろを振り返り、高官たちに退出を促す。

 広々とした大会議場に、伯洛、宋義、そして宋義の腹心の部下である董辰(とうしん)の三人だけが残った。


 宋義と董辰は、(きざはし)を上がり、少年に顔を近づけた。


「乱賊の討伐に向かっている将軍、呂馬(りょば)から便りがございました」


 伯洛は目を見開いて宋義を見上げた。

 乱賊の捕虜となった兄、幹蒙(かんもう)は無事なのか。


「兄上の消息ですか」


 残念そうに顔を歪め、宋義は首を振る。


「残念ながら、未だ武信公のご無事を確認できておりません」


「そうですか」


 ため息をつくように、小さくそういった伯洛に、宋義は更に顔を近づけた。囁くほどの声で、ゆっくりと告げる。


「総大将である臨烈侯狼奇(ろうき)に、不穏の気配あり。玉座を狙っているのではないかと」


「まさか!」


 伯洛は思わず立ち上がって声を上げた。

 宋義は両手を広げ、柔らかく少年を押しとどめ着席を促す。


「お声が大きい」


 力なく玉座に座った伯洛は首を横に振った。


「何の根拠があって、証拠があって、呂馬はそのようなことを言っているのですか」


 白髪まじりの宋義は五十を超えている。

 自分の息子よりも更に若い伯洛に、諄々(じゅんじゅん)説聞(ときき)かせるように彼は続けた。


「文成公、この手のことでは紙といった、証拠になるようなものは残さないものです。客観的に間違いがない根拠が揃うまで何もしないとなれば、玉座が奪われるその瞬間まで、何も対策ができないこととなります。それではあまりにも遅い。危険極まりないことでございます」


 微笑みさえ浮かべながら、優しく宋義は伯洛に提案した。


「しかし、公正であろうとする公の御姿勢はまこと王者としてふさわしいものです。そのお心こそ尊いものでございますが、臣としては一重に御身のご安全を憂慮しておるのでございます。しかるに、こうするのは如何でしょうか。例えば、全く違うところから同じような話が聴こえてくれば、相当に怪しむべきでしょう。そのときこそ臨烈侯を捕縛するべきかと存じます」


 伯洛は宋義を見上げた。

 したり顔で微笑む宋義と、その後ろでやはり笑みを見せている董辰を無言で見上げた。


「考えておきます」


 一言、そう残すと、伯洛は立ち上がって大会議場を後にした。


 残された宋義と董辰は、お互いの顔を見合わせ、浅ましい笑みを作った。




***




 翌日、自室で歴史書を開いていた伯洛は、一瞬気が遠くなり、椅子の上で体が崩れた。


「文成公、お疲れですかな。休日はやはり休まれたほうがよろしいのではありませんか」


 心配顔の老人が、脇から伯洛を覗き込む。


「いえ、博士、講義を続けてください。臨王となってから、勉強の時間があまり取れなくなっていますから。休日ぐらい、しっかりとやらなくては」


 生真面目に答える伯洛に、老人は苦笑した。


「それでは、少しだけ休憩いたしましょうか。お茶を」


 博士が壁際に控えていた侍女に目をやると、彼女は頭を下げ、音もなく部屋から出て行った。

 開け放された窓から扉に流れた空気が、わずかに冷気を感じさせる。

 まぶしい戸外からは、人の声も、鳥の音も聞こえなかった。


 老博士は、背もたれのない小さな丸い椅子に腰をかけ、柔らかく伯洛に訊いた。


「会議はいかがですか。ご興味のひく政策はありましたか」


 大きな書卓の前に座った少年は、苦く笑い首を振る。


「わからない言葉ばかりです。勉強不足を痛感しています」


「なに、じきにわかるようになりましょう」


 安請け合いする老人に苦笑し、ふと伯洛は表情を消して低く問うた。


「博士、なぜ私が臨王なのでしょうか」


「これは異な事をおっしゃる。先の国王の御子息であり、兄君ご不在の今、文成公が長子であらせられます。臨王であることに何の不思議がありましょうや」


 博士の答えに、伯洛は歪んだ笑みを返した。


「つまり血統だけですね。国を統べるための知識、経験、器量、重責に耐える健康な体、私にはその全てがありません。もっとふさわしい人に、譲るべきではないでしょうか」


 博士はまっすぐに伯洛を見据え、やがて頷いた。


「愚かな者が思いがけず玉座を得れば、有頂天になるものです。しかれども、公は、その責任とご自分の器量を真摯に懸念していらっしゃる。誠、賢者となる素質をお持ちです」


 伯洛の目の更に奥を見つめる博士は、静かに続けた。


「臣が敢えて分を超えて申し上げましょう。今、文成公が臨王から退かれると、舜国は内乱となるでしょう」


 伯洛は唾を呑む。


「舜国は、王家と二侯家、すなわち烈侯家と采侯家の三家に依って立つ国です。王家が消えれば、二侯家のどちらかが国を統べることとなるのが自然です。ところが、今、烈侯家には征乾(せいかん)将軍狼奇(ろうき)があり、采侯家には征艮(せいこん)将軍皓之(こうし)がおいでです。どちらも同じ年、実績、器量も大きく変わるものはございません。王家が押さえなければ、必ず争いとなるでしょう」


 博士は深く息を吐いた。

 天井を見上げ、どこか遠くに話しかける。


「長子相続というのは不思議ですな。長子が最も賢く、健康で、人の上に立つ器量を持つとは限らないのです。それなのに、なぜすべての子を比較して跡継ぎを定めず、長子を後継者と当然にされているのかお分かりでしょうかな」


 博士の視線を受け、伯洛は首を振る。


「内紛を、相続争いを防止するためです。たとえ、長男が次男より劣っていても、親が死んだ後に兄弟相争って自滅するよりは、よほどましなのです」


 静かに老人は話し続ける。


「かつてもう少しで世界すべてを征服できるところまでいった帝国がありました。あともう少し、というところで皇帝が崩じて、後継者争いが始まり、領土分割により世界統一帝国を打ちたてるという偉業を果たせなかったのです」


 ふと博士は笑った。


「先の烈侯は(したた)かな方でしたな。二人の子女、狼奇様、朱苛(しゅか)様、どちらも後継者として不足なく並び立つところであり、傍目には跡目争いが起きると思われておりました。ところがあっさりと狼奇様を後継に指名され、他家が介入する隙を見せずに、決着をつけました。お見事でした」


 博士は死者への賛辞を、窓の向こうの青空へ送った。


「誰にとっても一日は二十四時間しかなく、私たちが毎日使える知力も体力も限られております。内輪の争いに時間と力を取られてしまえば、外の敵と戦う時間も余裕もございません。内乱はなんとしても避けねばならぬのです」


 力を込めて、老人は話を終えた。


「博士の仰ることはごもっともです。さてしかし、私の見るところ、朝廷は内部での権力争いに忙しいようです」


 伯洛の指摘に、老人はまいったと笑って手を額に当てた。


「いや、痛いご指摘ですな。まあ、現実はその通りでして。遠く、姿の見えない外敵よりは、毎日顔を突き合わせる出世争いの相手が気になるものでございますよ。誰しも人間ですからね」


 伯洛もわずかに笑う。


「内乱を起こさないためとはいえ、器量のないものが王となると、結局のところ苦労をするのは民衆です」


 博士は何度も頷いた。


「仰せの通りでございます。言ってしまえば血統、長子相続は統治者の都合でございます。公におかれましてはすでにご存じかもしれませんが、太古の、聖代のお話をいたしましょう。王には三人の息子がおありでした。瑞兆があり王は三男に跡を継がせたいと考えました。しかし、三兄弟の前でそれは言えなかったのです。すると、兄二人は父の意向を察し、何も言わずに国から出て行ってしまったのです。南の国に行き、二度と戻らない決意を示すため、その地方の刺青を身に刻んだとか。三男が後を継ぎ、長くその国は栄えました」


「なるほど。三男だけではなく兄二人にも徳があったのですね」


「左様でございます。まあ聖人の時代のお話でございますから」


 そのとき、扉を叩く音と共に、茶の支度を終えた侍女が部屋に入ってきた。

 多少不安そうな顔で、主人を見る。


「あのう、文成公、そのう、ご友人が」


 空いたままの扉の隙間から、暗い栗色の髪の少年が顔を出した。


「やっほう! 遊びに来たよ!」


 伯洛が目を見開く。


弧張(こちょう)


 弾むような足取りで入ってきた少年に、博士が声を上げて笑った。


「はっはっは、元気なご友人ですな。今日の講義はここまでといたしましょう。茶はご友人とお楽しみください」


「しかし、博士、予定の半分も進んでおりません」


 伯洛に片手をあげ、老人は首を振った。


「そんなこと、お気になされますな。公は、臨王となられてからご無理をされているとお見受けいたします。無理を続ければ必ず反動があります。どうぞ、十四のお年のままに楽しむ時間を大切になさいますよう」


 博士の背を見送って、弧張は伯洛に訊いた。


「ごめんね、なんか邪魔した?」


 そういって弧張は、顔いっぱいに申し訳なさそうな渋面を作る。


「いや、気にしないで。お茶をどうぞ」


 伯洛が微笑むと、弧張は一瞬のうちに明るい笑顔になった。


「良かった!」



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