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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第六章 東方内乱
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55.荒れた大地



 荒れ果てた丘陵の上で、万を超える兵士たちが働いていた。

 夏の日差しが容赦なく降り注ぎ、裸の上半身から、滝のような汗が流れる。


 鉄が石を噛む音、指示を出す士官の怒鳴り声がひっきりなしに響いていた。


 兵士たちが溝を掘り、柵を立て、陣を造営しているのを、皓之(こうし)は見回り、声をかけ、ねぎらっていた。


 二十三歳の将軍は、久しぶりに領地に戻った。

 青い目を眩しそうに細め、見慣れた荒涼とした大地を見渡す。

 見覚えのある山脈の影、体が覚えている大地の匂いに帰ってきたと実感がわいた。

 采侯軍の兵士たちも、故郷の匂いに浮足立つものがあるのか、怒鳴りあう声がどこか明るく聞こえた。


 端麗な顔に柔らかい笑みを浮かべ見回りをする皓之の耳に、荒い蹄の音が飛び込んできた。

 振り返ると、供も連れずに黒い髪の友人がやってくるのが見えた。


 身軽に馬から飛び降りると、狼奇(ろうき)はくだけた口調で声をかけた。


「よお、暑いな」


「これはこれは、総大将。わざわざのお越し、どうされました」


 皓之が丁寧にお辞儀をすると、いかにも嫌そうに狼奇は顔をしかめた。

 気を利かせて近づいてきた采侯軍の士官に、狼奇は手綱を渡し、馬を預ける。


「嫌味な奴だな。単にうちの方が兵が多いんだ。根に持つなよ」


 采侯領での戦いとなるのであれば、総大将には臨采侯である皓之が相応しい、という声があったのだ。

 ただ、兵力差はいかんともしがたく、狼奇が総大将に収まった。


「この辺の地理、特にあの山に詳しい奴がいないか。武信公の身柄交渉をする間に、調べておきたい」


「なるほど。それもそうだ。この地方出身の兵を探して君の陣に送ろう」


 二人は連れ立って陣を歩いた。


 共に二十三、背格好はほとんど変わらない。

 しかし、金髪の端然としたいかにも貴公子然とした皓之と、黒髪にだらしなく服を着崩した狼奇は、傍目には水と油ほどの違いがあるように見えた。


「随分と荒れてるな。ここだけ特別なのか」


 狼奇の問いに、皓之は苦笑した。


「いや、残念ながらうちの領内はかなり広い範囲で荒れている。この数年、魁傑(かいけつ)の暴動がひどくてね。あの男、身長は二(メートル)もあるし、横にも太い。十人力どころではない怪力でね。なかなか殺せないんだ。正面から戦ってもこちらの被害がひどくなるばかりでね。実は毒殺を仕掛けたこともある。牛でさえ仕留める毒を使ったんだけど、なんとあの化け物には効かなかったんだ。参ったよ」


「えらい難物だな」


「当人を毒でも始末できないんで、周りを固めている側近連中を狙って、勢力を削った」


「なるほど、まあ、妥当な策か」


 狼奇の評価に、皓之は頷く。


「と思うだろう? 確かに周りの奴らはそんな化け物じゃないから、倒すことはできる。ところが、後から後から領地内の若い男が家を捨てて魁傑の元に行くんだよ。結局、倒しても倒しても、乱賊の数が減らないんだ」


「なるほど」


 疲れた笑みを浮かべて皓之は続ける。


「どうにも連中には乱賊が格好良く見えるんだね。毎日地味に畑を耕すよりは、刀持って弓を担いで、道行く人を襲った方が人生楽しく見えるようだ。力のある若い男連中が乱賊になっていなくなるものだから、里では面倒を見る畑の数を減らすしかない。残された老人や女子供だけでやっていくと、年々収穫高が減ってゆく。放棄する農地が増えるばかりだ」


 亡父に代わり広大な領地を治めることになった臨采侯は、深々とため息をついた。


「確かに田を耕すよりは、盗賊をやるほうが楽かもしれない。しかし、誰が耕やさないと麦も取れない。食料が作れないんだ。私たちはそれぞれ役割を持って生きている。官僚だったり、警察だったり、医者だったり、神官だったりするわけだ。誰かが農家をしないといけないわけで、逃げられても困るんだけどね」


 狼奇は頷いた。


「確かにそうだ」


 そして生まれたときから侯爵子息である金髪碧眼の美男子をちらりと見て笑う。


「だが、お前に言われると、むかつくよな」


「なんだいそれ、酷いな。私たちは似たようなものだろう」


「いや、違うだろ」


 笑いをおさめると、狼奇はぐるりと辺りを見回した。

 士官たちは彼らを遠巻きにしており、特に近づいてくる気配はない。


 一歩友人に近づくと、狼奇は声を落として訊いた。


「なあ、皓之、お前、七夕の祭りで朱苛(しゅか)と歩いていただろ」


 皓之は青い目を見開いた。


「見たのか」


「見た」


 しばし無言で見つめあう。

 狼奇は更に声を潜めた。


「で、首尾は」


 無表情で友人を見返していた皓之は、深く息を吐くと首を振った。


「何もない。何もしてないよ。悪い感じじゃなかったんだけどね。それなのに最近声をかけても滅茶苦茶冷たくあしらわれるんだけど、あれは一体どういうことなのかな」


 苦々しく皓之が吐き出すと、狼奇は満面の笑みで右手をぐっと握りしめた。


「良し!」


「何が良しなのかな」


 憮然とした顔で皓之がぼやく。


「お前は本当に腹黒い奴だけど、(つら)だけはいいから心配していたんだ。朱苛が堅物で助かった」


「心外だな。その言い方は酷くない?」


 友人の抗議もお構いなしに、上機嫌で狼奇は馬に乗って帰っていった。


 見送っていた皓之が、深々とため息をついたのを見て、ひとりの士官が声をかけた。


「将軍、総大将から何か悪い報せでしょうか」


 心配顔の部下を見て、皓之は笑って手を振った。


「いや、そんなんじゃないんだよ。私が女性に冷たくされていることを総大将に笑われただけさ」


 士官は思わず笑いそうになり、慌てて口元を手で押さえた。


「失礼ながら、将軍が女性の扱いに困ることがあるとは思いませんでした」


 皓之は軽く肩をすくめる。


「そう見えるかい。実のところ、私は女性の扱いが上手くないんだ。全く慣れてないというか」


「またまたご冗談を」


 大学にいたころから、皓之の華やかな女性との交際の噂は良く知られたていた。


「嘘じゃないさ。なんていうのかな、私が自分で働きかけるわけじゃあないんだよ。凄く私に声をかけてほしそうな目で、女性が私を見つめるんだ。だから、私は声をかける。ただそれだけなんだよね。それですべてが終わる。だから、こう、明らかに気のない相手に自分から声をかけるっていう経験がないんだよね」


「ははあ」


 かなり呆れた様子で士官が皓之を見上げた。


「我々からすれば羨ましいお話で。まあ、将軍は地位、財産、容色、才能、すべてをお持ちでいらっしゃいますから」


「恵まれているって? まあ、そうなんだろうけど、どんなものにもいい面と悪い面があるものだ。私だってしんどいんだよ」


 皓之は秀麗な顔に寂しそうな笑みを浮かべた。


「悪い面ですか」


「そう。何だと思う? 実はね、誰も私に同情してくれないし、誰も褒めてはくれないんだ」


 不思議そうな顔をする士官に、皓之は笑って見せた。


「例えば大学で私が五歳年上の同級生に足をひっかけられて階段から転げ落ちても、文房具やら小物を盗まれても、誰も可哀そうに、とは言わない。どっちかっていうと、せいせいしたみたいな顔で見られたね」


「まあ、学生は未熟なものですから」


 慰めるように士官は言った。


「そうだね。確かにそうだ。ただね、大学を出て軍を率いるようになっても同じなんだな。非常に状況の悪い戦場があった。地形は味方に不利で、士気は低い、天候も最悪だ。その中で、私は必死に知恵を絞って、味方を叱咤し盛り上げて勝利を収めた。二ヶ月の間、死ぬような思いで必死になってやった。味方の損害も少なく、最上の結果に終わったんだ」


 明るくそういった皓之は、声を落とした。


「でも、誰も褒めたたえてはくれなかった」


 一つ首を振り、深くため息をつく。


「父からは采侯の跡取り息子として、征艮将軍として期待通りの当然の結果だと、そう言われた。どれだけ死力を尽くしても、自分の持てる限界以上の結果を出しても、それは当然のことで、私に期待されていた通りの結果なんだよ」


 どこか投げやりな皓之に、士官はまっすぐに強く言った。


「将軍、共に戦った兵たちは必ずわかっております」


「そうだね、確かに、そうだろう。ありがとう」


 皓之は笑った。

 片手をあげ、一人丘の上へと歩き出す。

 上り坂の途中で、彼は自陣を振り返った。

 蟻のように小さな人影が休みなく動き続ける。

 熱風が顔を洗い、汗が涙のように滴り落ちた。


 誰もわかってはくれない。

 誰もほめてはくれない。


 ただ一人、似たような立場の男がいる。

 狼奇なら、わかってくれるはずではなかったのか。



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