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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第六章 東方内乱
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54.棄山



 (しゅん)国の東方を占める(さい)侯領は、東を海に面し、西は王都を擁する王家直轄領に接する。


 王都冠城(かんじょう)から東五十公里(キロメートル)ほどの地点に、九万の軍勢が集まっていた。


 棄山(きざん)と呼ばれる岩山に逃げ込んだ乱賊を討ち滅ぼし、捕虜となった武信公幹蒙(かんもう)を取り戻すためである。


 棄山(きざん)を望む砂利が目立つ小さな丘に、若い男がいた。

 危うげなく馬を操り、丘の頂上から向かいの山を見る。


 日に焼けた肌、黒い髪、均整良く鍛えられた身体を首元を大きく開けた軽装に包んでいた。


 七月の容赦ない日差しが、目を眩ませる。

 狼奇(ろうき)は馬上で目をこすり、汗をぬぐった。


 眼前には、荒涼とした大地が広がる。

 緑は少なく、でこぼこに荒れた白く赤茶けた地肌に、時折へばりつくように低木が生えていた。

 点在する里の防風林の外には、刈り入れの終わった麦畑がわずかにあった。

 麦畑の外には、放棄された耕作地が広がっていた。


 巨大な岩を無造作に積み上げたような棄山(きざん)には、緑がない。

 背の高い樹木はおろか、低木まですべて切り倒され、使い尽くされていた。


 面積だけを見れば、采侯領は烈侯領に劣らない。

 しかし、税収は烈侯領の半分しかない。

 その理由が、目の前にあった。

 狼奇(ろうき)がその歳に似つかわしくない深いため息をついたとき、遠くから叫ぶ声がした。


「将軍! 軍議が始まります! 皆様お集まりです!」


 首を巡らせ、丘の下の兵士を確認すると、狼奇(ろうき)は叫んだ。


「今行く!」


 片手で手綱を引き、軽快に丘から駆け下りた。




***




 諸将が集った軍議場は、四方に挿した柱で、頭上に日よけの布を張っただけのものだった。


 壁となるものはなく、風が吹けば涼しく快適なはずだった。

 だがその日漂う風はじっとりと暑く、弱かった。


「お待たせたした」


 朗々とした若い声が響き渡った。

 二十人余りが居並ぶ軍議場の真ん中を足早に突っ切り、狼奇は諸将に向かい合う上座に座った。


 臨烈侯狼奇を総大将に頂く討伐軍は、征坤(せいこん)将軍朱苛(しゅか)が率いる烈侯軍四万、臨采侯皓之(こうし)が率いる采侯軍二万、将軍呂馬(りょば)が率いる王軍三万の合計九万となる。


 総大将が席に座ると、その場にいた諸将は自然と背筋を伸ばし、威儀を正した。

 最前列に座る朱苛が口火を切る。


「総大将、この場に陣を張って一週間となります。棄山に乱賊の頭目である魁傑(かいけつ)が逃げ込んでいることは確実です。攻めますか、包囲をしますか」


 妹の声に、狼奇は穏やかに笑みを作り場を見渡した。


「まず諸将の意見を聞きたい」


 周りの反応をうかがうように、男の低い声が聞こえた。


「攻めるべきです。山は完全に包囲をすることは厳しく、どうしても逃げ道ができてしまいます」


 すぐに大きな声が反駁した。


「馬鹿な! 隠れるところもなく、ろくな道もない岩山だ。攻め手が圧倒的に不利だ。相当な犠牲がでる!」


 狼奇は頷くだけで、視線を流す。

 それを受け、他の者が声を上げた。


「魁傑がすべての元凶だ。奴を逃すべきではない。とにかく彼奴らの退路を断たねばならん」


 将がそれぞれに思うところを主張した。

 様々な案が出され、どれも決め手に欠くと思われた時、突如、太く低い声が轟いた。


「諸将らはお忘れか! かの魁傑の元には、武信公が捕らわれておいでである。何よりも公のご無事を期さねばならぬ。まず、魁傑と交渉を行い、公のお身柄を確保せればならん!」


 老将軍、呂馬りょばの怒声にその場が凍り付いた。

 敢えてそれを口にすることを、皆が避けていたのである。


 武信公が無事に帰還し、再び臨王となり、最終的に王となった場合、この国はどうなるのか。

 臨王としてただひと月、ふた月、玉座に座っていた間だけでも、武信公は驕慢と暴虐の片鱗を見せていた。


 ――魁傑が武信公を殺してしまえば。


 多くの者が密かにそれを期待しているのである。

 もちろん、それを口にすれば、自分の首が飛ぶ。

 だから誰も何も言わない。

 しかし、その思いは言葉もなく諸将の間に共有されていた。


 場に重い沈黙が降りる。

 首座の狼奇は、軽く笑みをつくった。


「老将軍の仰ることはごもっともだ。まず交渉を行おう。諸将には長丁場に備え、陣を整え、油断なく変事に備えてもらいたい」


 総大将の合図とともに、軍議が終わった。

 一斉に立ち上がる諸将たちの表情は険しい。

 離れたところに立っていた朝廷から派遣された官吏たちが、あからさまに安堵の表情を見せていた。


 狼奇と朱苛は目を見かわした。

 二人は連れ立って、馬の繋がれているところに向かった。




***




 馬を走らせていた狼奇と朱苛は、陣を振り返って足を止めた。

 護衛の騎兵たちも、距離を置いて馬を止める。

 誰もいないことを確かめ、朱苛が口を開いた。


「上手くないですね」


 狼奇は苦く笑う。


「わかっていたことだがな。魁傑を倒すだけなら、烈侯軍と采侯軍だけで十分だ。老将軍が、王軍が付いてきたのは武信公のためだ」


「不思議です。彼らは本当に武信公を取り戻したいのでしょうか」


 心から疑問に思っているような妹を見て、狼奇は声を上げて笑った。


「そうだな。そうだよな。俺たちはそう思うけどな。やっぱりさ、老将軍には王家が絶対なんだろうな。王家を守るための臣下である! ってやつだ」


 狼奇は遠くの棄山(きざん)を眺め、懐かしげに続けた。


「昔さ、俺は老将軍に用兵を習ったんだ。餓鬼だった俺にとって、老将軍はかっこよかったよ。立派な心から敵わないと思えるような大人をさ、ほとんど初めて見たわけだ。謹厳実直、どんな兵士も尊敬のまなざしで見上げるんだ。老将軍が親父だったら良かったのにって思ったもんさ」


 朱苛は無言で、兄を見た。

 彼女は、用兵を学ぶためにどこかの将軍に預けられたことはない。

 父はいつでも狼奇を跡継ぎとして大切に育てていた。


「もし親父が生きていたら、上手いこと言って、老将軍を丸め込んで棄山を攻めるだろうな。あのおっさんは王家とか、臣とか言わないさ。頭が固くはなかった」


「父上を見直しましたか」


 朱苛が笑みを浮かべながら兄に訊く。


「まさか」


 狼奇はいかにも嫌そうに吐き捨てた。

 朱苛は笑った。


 敵の陣取る山を見上げ、馬を並べた若い兄妹は同じことを想った。


 ――父ならば、どうしたのだろうか。



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