表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第五章 王都攻防
53/81

52.天の川



「将軍! 将軍! 狼奇様! こちらで一杯いかがですか!」


 混雑する街を歩くと、あちらこちらから兵士たちが狼奇(ろうき)に親しげに声をかけた。


「また後でな。あんま飲みすぎんなよ」


 江邑(こうゆう)の七夕祭りを楽しんでいる兵士たちに手を振ると、狼奇は大通りの中作られた臨時のお立ち台に立っている警備の兵に声をかけた。


「よう、どうだ。問題ないか」


 仏頂面で兵士はぶっきらぼうに答えた。


「最悪ですよ。俺の当番はとっくに終わってるはずなのに、いつまで経っても交代が来ないんですから」


 狼奇は苦笑する。


「貧乏くじ引かせて悪いな。もう少し頑張ってくれ」


「手当を弾んでくださいよ!」


「ああ、わかってるって。太守府に何か用意しておくよ」


 今日は太守府は禁酒だと確か姜和(きょうわ)が言っていたが、やはり酒でも用意させようと狼奇は頭をかいた。


 太守府に向かって歩き出したとき、狼奇の視界に見覚えのある顔が入った。


「は?」


 思わず声が出る。

 江邑の者らしき服を着ているが、どう見ても皓之(こうし)だった。

 目立つ金髪を隠すためか、頭に布を巻いていたが、更に目立つ秀麗な顔がそのままなのだから、あまり意味があるようには思えない。


「あれで変装しているつもりか? 馬鹿なのか?」


 しかも、女を連れている。

 人が仕事に励んでいるのに、ずいぶん浮かれたことをしてくれるじゃないか、と狼奇は舌打ちをした。


「どれ、お相手は?」


 連れの女の顔を確かめるために、雑踏を踏み分けて移動する。


「えっ?」


 今度こそ、狼奇は絶句した。

 皓之が連れているのは、朱苛(しゅか)だった。

 女の衣装を着て、化粧までしているが、自分の妹を見間違えるわけがない。


「……あの野郎」


 つい数日前、皓之が公邸に来た時のことを思い出す。

 うかつだった。

 なぜ皓之があんな話を振ってきたのか、考えるべきだったのだ。

 しかもこの動きの早さだ。


「まいったな」


 狼奇は立ち止まって天を仰いだ。

 能天気な祭囃子に、頭痛を覚えた。




***




 とっぷりと日が暮れた後も、祭りは続いていた。

 さすがに街に繰り出す人の数は少なくなっている。


 太守府の広場では当番を終えた兵士たちが、地面に車座になって座り込み、酒を飲んでいた。

 その中で兵士たちと肩を並べて飲んでいた狼奇が、立ち上がった。


「将軍! 将軍! どこ行くんですか!」


「すぐに戻るよ」


 大声で食って飲む兵士たちから離れて、狼奇は時間をかけてぶらぶらと歩き、調理場に顔を出した。


「よお、水くれないか」


 あるだけの食材を使い切って出し切った調理場では、もうやることもないのか、人がまばらだった。


 調理場では、四十すぎの下働きの女が椅子に座り、仕事がなくて手持無沙汰なのか、編み物をしていた。


「そこにあるよ」


 くたびれた服に汚れた前掛けをした女は、水瓶を顎で指し示して、動く気配もない。

 狼奇は自分で柄杓を使って水を飲んだ。

 編み物をする横顔に妙な見覚えがあった。

 たしか、魚売りの女と刃傷沙汰を起こしていた貞固館の調理場の女だ。


「なあ、お前さん、確か王家の貞固館にいなかったか」


 女は面白くないように鼻を鳴らす。


「ふん、まさか将軍様に顔を覚えてもらってたとは思わなかったよ。ここで働いてる連中が祭りに行くんで休むっていうから、あたしが連れて来られたんだよ」


「なるほど。そりゃ悪かったな。お前さんは祭りに行かなかったのか。名前は?」


「あたしはこの土地のもんじゃないし、お祭りなんざ興味ないよ。ここじゃ李負って呼ばれてるよ」


 狼奇は壁にもたれて、腕を組んだ。

 休みなく編み物の手を動かす女を、複雑な目で見つめる。

 使い込まれた太く短い指が動き、かぎ針が動くと、赤い編み物が少しだけ大きくなる。


「李負、お前さん、徴兵で来たのか。家に男がいなかったのか」


「そうさ。徴兵だよ。旦那も息子もとっくの昔に連れてかれたまんまだよ。じいさんはいたけどさ、役人が来たときに逃げ出したのさ。だってそうだろ、じいさんまで連れてかれたら、残ったばあさんとちっこいのはどうやって食っていくんだい。あたしが来るしかなかったんだよ」


「そうか」


 ため息をついて、天上を見上げる。


「そうか」


 狼奇がまっすぐに痛ましく李負を見ると、くたびれた女はわざとらしく笑った。


「なんだい、こんな祭りの夜にしけた面してさ。若い男が一人でこんなところで。不甲斐ないねえ。なんならあたしが相手をしてあげようか」


 狼奇も笑う。

 どうしようもない時には、笑うしかないのだろう。


「そこまで困っちゃいねえよ。これでもさ、若い女の子たちの前を通ればきゃーとか言われるんだぜ」


「どうだか。金髪のかっこいい将軍と見間違えてんじゃなのかい」


「なかなか痛いとこ突くな」


 明るく声を上げて狼奇は笑った。

 そうして、李負をじっと見る。


「なあ、何人産んでどれだけ残った」


「なんだい、突然」


 狼奇は指で編み物を指した。


「それ、石像にかけるよだれかけだろ。俺のお袋も良く作ってたよ。俺には産声を上げることのなかった兄だか姉だかがいたらしい」


 李負が狼奇を見上げる。

 狼奇は静かに笑っていた。

 大きく、李負が一つため息をつく。


「もう二十年前だけどね、生まれてすぐに赤ん坊が死んじまってね。そんとき、よく疸水(たんすい)から魚売りが来てたんだ。悪い噂は聞いていたんだけどさ、安かったからさ、ついつい良く買ってたんだよ。他の赤ん坊はみんな元気だったのに、あの子だけ妙に小さくてね、一目見て、駄目だと思ったよ。可哀そうなことしちまったよ。あたしがあんなとこの魚、食べなきゃよかったんだ」


「そうか。気の毒だったな」


 狼奇は慎重に言葉を選んだ。

 できる限り、人好きのする笑みを浮かべる。


「でもな、それはあんたが悪いんじゃないだろう。なあ、大昔、疸水の魚を食って死んだ奴がいたのは事実だ。でもな、それはもう二百年も前の話だ。江邑は疸水が近いからな。みんな気にせず食ってる。江邑で魚が原因で人が死んだ話は今はない」


「そんなのたまたまかも知らないだろ。大体大人なんか調子悪くなったって大してわかりゃしないんだよ」


 李負は鼻を鳴らして言い捨てた。

 狼奇は穏やかな声で続けた。


「魚売ってる連中も商売なんだ。売らなきゃ食っていけないしさ。疸水の魚売りに来た奴に、喧嘩売る必要はないだろ」


「人に毒盛るような魚売って暮らしてるほうが悪いだろ。そんなの買う方がどうかしてるさ」


 李負の口調はだんだんと鋭くなる。

 狼奇は宥めるように両手を広げた。


「太守府でもさ、色々調べてるわけだ。昔のことがあるからな。でも特に問題ないんだよ。俺もさ、ここで良く疸水の魚を食うけど、なんともないしさ」


「お役所の言うことなんて、誰が信じるんだい。あたしは許さないよ! こうやってよだれかけ編んでても、あの子の顔を思い出すんだ。絶対に駄目だよ!」


 椅子から立ち上がって李負は叫んだ。


「そうか」


 狼奇は静かに笑みを見せた。


「そうか。邪魔したな」


 勝手口から、裏庭に向かう。

 兵士たちが飲んでいる広場に、戻る気にはなれなかった。


 人気のない太守府の裏庭は、静かで、建物から漏れる微かな灯りだけが足元を照らしていた。


 夜空を見上げると、満天の星がまたたいていた。

 月も雲もなく、小さな六等星まで見えそうな澄んだ美しい夜空だった。

 うっすらと白い天の川が天球を流れる。


 狼奇は立ち止まって星を見上げた。


 二十年前に失った子供のことを、昨日死んだかのように嘆く女に、何を言えばいいのだろうか。


 科学的な事実など、何の足しにもならない。


 王都の古ぼけた神宮の片隅で、石像によだれかけを付け、膝をついて祈る母の姿を思い出していた。


 そのとき、小さな流れ星が空を横切った。


 狼奇は思う。

 もし、斎女が、あの銀の髪の巫女が、あの天女のような声で、女を慰めればどうなるだろうか。


 炸裂する巨大な火球。

 動物的な恐怖と畏怖。


 正直なところ、狼奇は斎女の次王の予言を信じてはいなかった。

 迷惑なことだとすら思っていた。


 科学的に言えば、流れ星が落ちる瞬間に、たまたま斎女が王都の城壁にいた、というだけである。


 しかし、彼女はその天文学的確率を引き当てたのだ。

 その運を何と呼ぶべきなのか。

 

 ――君は斎女のことは口を出さない方が良い。


 皓之の忠告がよみがえる。


 もし狼奇が、斎女の肩を持てば、王位に欲があるとみなされるだろう。

 烈侯家の立場は悪くなる。

 下手をすれば、叛意ありとして一族郎党、皆殺しになりかねない。


 それでも、狼奇は思った。


「斎女を代えるべきではない」


 あの少女を見殺しにするべきではない。

 そこに理屈はない。

 ただ一人、そう決めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ