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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第五章 王都攻防
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50.七夕



 七月七日、江邑(こうゆう)の住民が指折り数えて待ち望んでいた七夕の祭りが始まった。


 早朝から晴れ渡った青空のもと、特別な祭りの衣装に身を包み、老いも若きも、男も女も街という街に繰り出した。


 隊列を組んで楽器を鳴らし、踊り歩く者たちが、所狭しと大通りを、小さな路地を通り過ぎる。


 飲み食いをするための店の従業員の他に、仕事をするものなどいない。

 誰もが、年に一度の祭りを楽しんでいた。




***




 太守公邸の自室で、朱苛(しゅか)は立ち尽くしていた。

 目の前には、大きな全身を映す鏡がある。

 そこに映る像に、あまりにも見慣れない女の衣装を着た自分の姿に絶句していた。


「朱苛様! お似合いです!」

「やはり御髪をもう少し上に結いましょう!」


 侍女たちが目を輝かせ、鳥がさえずるように高い声でそういうと、朱苛の周りを飛び回った。

 頭痛を感じ、なぜこのようなことになったのかと、朱苛は頭を抱えたい気分になった。


 事の始まりは、昨日、会議の後、皓之(こうし)に声をかけられたことにある。

 少し時間が欲しいと言った皓之は、誰もいない控室の小部屋で、姉の失言について彼女に真摯に謝ったのだ。


「いえ、その、顔を上げてください。お謝りいただくようなことではありません。私は気にしておりませんので」


 予想外のことに動転する朱苛に、皓之は彼女の目を真っすぐに見て礼を述べた。


「そう言ってくれるとありがたい。本当に申し訳なかった」


 様々な思いが朱苛の胸を通り過ぎ、何か肩が軽くなったように感じた。

 皓之はにっこりと笑い、明るい声で朱苛に訊く。


「ところで明日、七夕の祭り、よければ一緒に見物をしないかい。江邑の祭りなんて初めてだからね、面白いんじゃないかな」


「は? 視察をされるのですか?」


 突然のことに驚いて、朱苛は目を瞬く。

 皓之は朗らかに声を上げて笑った。


「いや、仕事じゃなくてね。ちょっと遊びに行きたくて。一人では面白くないからね」


「臨采侯が街を歩かれると、道行く人にすぐに見つかって大騒ぎになりますよ」


 首を振り、朱苛は呆れて言った。

 皓之は大変な美男子であり、目立つ金髪もあって江邑でも有名人なのである。


「そうか。じゃあ、頭は布を巻いて隠した方がいいな。それに江邑の住人らしき服を着ればわからないだろう」


「本気ですか」


 祭りの日、街がどれほど混雑するのか、朱苛にも予測がつかない。

 大丈夫なのだろうか、と少し不安を感じた。


「そうだ、朱苛も江邑の女ものの衣装を着ればどうだろう。誰にも私たちとはわからないんじゃないかな」


「えっ」


 目を見開く朱苛に、皓之は顔を近づけて優しく笑った。


「いいだろう?」


 皓之の誘いを断れる女がいるなら教えてほしい、と朱苛は思った。




***




 呆然と鏡の前に立ち尽くす主人を、侍女たちは熱心に飾り立てた。

 常に男装で過ごす朱苛が、何を思ったのか突然、お忍びで女の服で祭りに行くと言ったのだ。

 こんな機会は二度とないかもしれない。


「朱苛様! 完璧です!」

「はい! どこから見ても江邑の娘です!」


 甲高い侍女たちの声に頭痛を覚えながら、朱苛は低く言った。


「ありがとう、下がっていいから」


 心から嬉しそうな笑みを見せる侍女たちを送り出し、朱苛は椅子に座った。

 一度に疲れが押し寄せる。

 すでにもう後悔で胸がいっぱいだった。

 なぜ自分は皓之の誘いを断らなかったのか。


 ため息をついて、立ち上がり鏡の前に進む。

 見知らぬ女がそこにいた。

 江邑の服を着て、化粧をした二十一の娘。


 女の衣装を着るのは、大学以来だった。


 今からでも断りの連絡を入れようか。

 誰か人を走らせて。


 往生際悪くそう考えもしたが、朱苛は諦めて首を振った。

 鏡に映る仏頂面があまりにも酷い。

 無理やり笑おうと試みた。


 すると鏡にひきつった赤い口紅が映った。


 禍々しくひきつった赤い口。

 母親の声が、姿が脳裏によみがえる。


 朱苛は目を見開き、慌てて紙で口元をぬぐった。

 癇性に何度も何度も繰り返し、口紅を削り取る。


 困惑の中、胸の片隅には少しだけ浮かれた気持ちがあった。

 その楽しい予感が、鏡を前に完全に叩き潰されたこのときになって、自分がそれを楽しみにしていたのだと気が付いた。


 自分は女なのだと、今更に思い知る。

 ずっと昔からわかっていたはずなのに。




***




 侍女の手引きで目立たないように太守公邸を抜け出し、朱苛は一人、喧噪の街を歩いた。


 あちらこちらで太鼓や笛を鳴らし、また歌いながら踊る集団が練り歩く。

 それを見物し、歓声を上げる人たちで大通りも、路地もいっぱいだった。


 人にぶつからないように歩くのだけでも難儀する。

 歩きなれない服の裾を踏まないように気を付けながら朱苛は進んだ。


 待ち合わせた店先に、皓之がいた。

 人目を引く金髪は頭に巻いた布で隠されていた。

 しかし、すっきりとした目元、均整の取れた長身はあからさまに目立っており、通行人の目を引いていた。

 連れ立って歩く娘たちが、皓之を見て、黄色い声を上げては恥ずかしそうに行き過ぎる。


 やはり、引き返そうか。


 戦場では一度として覚えたことのない臆病な躊躇いが朱苛の胸をよぎる。

 立ち止まると、後ろから人がぶつかってきた。


「何突っ立ってるんだよ!」


「あ、ごめんなさい」


 混雑を極める道で立ち止まるのは危険だった。

 仕方なく前に進むと、皓之がこちらに顔を向けた。

 あ、と思う暇もなく、皓之は朱苛を認めて笑みを浮かべた。


「お待たせしまして、申し訳ありません」


 朱苛は観念して表情を消し頭を下げた。

 気にする素振りも見せず、屈託なく皓之は微笑みかけた。


「いや、待った甲斐があった。良く似合っている」


 顔に朱が昇るのを感じながらも、何も言えない。


「向こうに行こう。なんでも毎年一等を取る踊りの集団がいるらしい」


 明るく言うと、皓之は朱苛の手を取って歩き出した。


 人込みを縫うように、前に進む。

 前に行こうとする人たちと、後ろに行こうとする人たちが無秩序に入れ違うため、一歩歩いては人に当たるような状態だった。


 皓之に握られた手に、汗がにじむ。

 汗を知られたくなくて、朱苛は手を引こうとした。

 しかし、抜け出ようとした手に気づいた皓之は、もう一度しっかりと握りなおす。


「大丈夫かい? 離れないで」


 間近から見つめる青い目を、見返すこともできずに朱苛は俯いた。



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