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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第五章 王都攻防
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46.玉座の囁き



 高熱によって臥せっていた文成公(ぶんぜいこう)伯洛(はくらく)が、朝廷の会議に出る。

 その知らせは、たちまちのうちに高官の間に広まった。


 江邑に帰還してから二週間、全く姿を見せない十四歳の臨王に不安を募らせていた多くの者が、胸をなで下ろした。


 武信公に続いて、文成公も失われるのか、と口に出すのも不吉な恐れを抱いていたのである。




***




 貞固館の廊下で、伯洛は足を止めた。

 息が乱れる。

 それほど歩いてもいないのに、全身にずっしりと重い倦怠感が圧し掛かっていた。


「文成公、椅子をお持ちいたしましょうか」


「大丈夫です」


 できる限り息を整えて伯洛は答えた。

 すでに官吏たちを待たせている。

 早くいかなくては、と思うのだが、足は思うように進まなかった。


 長い長い廊下を経て、ようやく巨大な会議場に入る。

 正面の扉の前、左右に控えた下官たちが、伯洛を認めて扉を大きく開いた。


「臨王、文成公、ご入来!」


 高々と下官の声が響く。


 広く暗い室内にいた官吏たちが、一斉に立ち上がった。

 百官が揃って頭を下げる中、伯洛はゆっくりと正面の最奥に進んだ。


 数段高くなっている高座の上には、荘厳な椅子が置かれていた。

 背もたれやひじ掛けにびっしりと彫刻が施された玉座だった。


 つい先日まで兄が座っていたその椅子に、伯洛は静かに腰を下ろした。


 脇に控える官吏に頷く。

 官吏の合図により、居並ぶ官吏たちも席に着いた。


 顔を上げた伯洛は目の前の光景に、息をのんだ。

 一筋の乱れなく、整列した頭が見渡す限りに並び、彼に向かって礼を示している。


 ふいに胸の高鳴りを感じた。


 何度も、兄の横から見てきた光景のはずだった。

 しかし、今、自分が首座に、玉座にいる。

 心臓が大きく鼓動し、熱い血が全身を巡る。

 ひじ掛けに置いた指が、微かに震えた。


「では本日の朝議を始めます」


 宰相である宋義(そうぎ)が声を上げた。


「まずは文成公のご快復、心よりお喜び申し上げます。臣ら一同、お健やかな龍顔を拝謁できましたこと、大変に嬉しく存じ上げます」


 白髪頭が恭しく、伯洛に向かって下がる。

 伯洛は小さく頷いた。

 息の苦しさもあり、何も言えないというのが実際ではあったが、伯洛のある意味愛想のない反応も、まったく誰も咎める気配はなかった。


 宋義の指示により、様々な議案が提示され、すべては結果が定まっていたかのように決せられていった。

 体調の悪さもあり、伯洛は彼らの口にしていることの半分も理解できなかった。


 不思議な思いがした。


 先の戦場で、伯洛はこの上ない足手まといだった。

 彼は何一つ他人の役に立つことはできず、多くの人にかばわれ、守ってもらいながらようやく帰ってくることができた。しかも熱で倒れるというおまけつきだ。


 病床の中、伯洛は自分の無力さ、惨めさに打ちのめされていた。

 二年も前に成人し、公位を持つのに、何一つ自分だけでは満足にできない。

 自分の病弱な体を呪った。


 それなのに今、彼は朝廷の首座にいる。

 まるですべてが彼の一存で決めることができるかのように。


「さて、次は江邑太守府からの上申です。江邑では例年七夕に大祭を執り行う。これを本年も実施すべく、夜通しの公道、公地で踊り歩き、宴会を行うための各種規制の一時停止を願うとのこと」


 祭り、というわかりやすい単語に伯洛はぴくりと顔を上げた。


「さて、この国難のおり、祭りとはいかがでしょうか」


「いかにも。今、冠城(かんじょう)で祭りができると思いますか。同じ国の者として、少しでも苦難は分かち合うべきです。江邑の住人はどうにも能天気でいけません」


 深刻そうに官吏たちがそう受ける。

 誰もが、祭りに反対しているようだった。

 伯洛はふと心づいて口を開いた。


「江邑の民にも楽しみが必要でしょう。一晩であれば良いのではありませんか」


 ずっと黙っていた伯洛が発言したことに、多くの者が驚いた。

 すぐに驚きは笑みによって覆われた。


「なるほど、ごもっともです」


「確かに、民の心を慰撫することも君主の勤めでございます」


 明るい声が一斉に響いた。

 にこやかな笑みが伯洛に向けられる。


 つい先ほどの深刻な顔はどこにいったのだろうか。

 てのひらを返す、という言葉の意味を伯洛はようやく知った。


 これが、玉座の力なのか。


 伯洛は別に祭りについて何ら思い入れがあるわけでもない。

 江邑の住民のことを考えたわけでもない。

 ただ気まぐれに口を出してみただけなのだ。


 彼は今、この場を、百人の官吏を、江邑を、(しゅん)国を支配しているのだ。


 胸の高鳴りに息が苦しくなる。


 伯洛が自失している間に、議題は次々と変わっていった。


「さて、最後にわたくしから」


 すっと三十ばかりの背の低い若い官吏が立ち上がった。

 宋義(そうぎ)の部下、董辰(とうしん)だった。


「武信公を連れ去ったと思われる乱賊に先般より接触を試みております。しなしながら、連中はこれまでの拠点を焼き払って移動をしている最中の模様で、いまだ交渉がかないません」


 自信に満ちた笑みを浮かべる男は、抑揚豊かに、歌うように話を続ける。


「早々に武信公がご帰還されること、これが最善であり臣ら一同強く願うものではございますが、交渉も、戦も相手があってできること。何が起きるか凡夫たる我々に予知することは叶いません。思いがけずご帰還まで時間がかかる可能性もございます。また歴史を遡れば、敵の捕虜となり異国の地に没した皇帝もございます」


 不吉な例に場がざわめく。

 董辰は穏やかに笑みを作りながら、官吏たちを見渡した。


「すでに江邑に玉座をお移しして三ヶ月。冠城付近には未だ乱賊だけではなく猪狄(いてき)の残兵も集団で出没しております。この際、都自体を、冠城から江邑に移して、政治の安定を図るべきです」


 冠城に親族、友人知人を残している者は多い。

 ざわめきが抑えきれないほど大きくなった。

 董辰はそれを意に介さず、高らかに告げた。


「この江邑にも大神官がおります。江邑の大神宮にて改めて巫宮(きねのみや)を立て、文成公にご即位いただくことが良いかと」


 ざわめきが低い悲鳴にとって代わる。

 部屋の方々で立ち上がる官吏がいた。


董辰(とうしん)殿は何をおっしゃっているのですか! 巫宮(きねのみや)は終身のもの、代替わりはお亡くなりになったときのみ。そもそも神玉は冠城にあるのです! どうやって王をお立てするのですか!」


 中年の女官吏の神経質な高い声に、多くの者が頷いた。


 伯洛は目を見張った。

 斎女を代える。

 この男は何を言っているのだろうか。


 ふいに怒りが伯洛の中にわいた。

 浅い呼吸を繰り返し、我知らず、ひじ掛けを強く握りしめていた。


 この男の官籍を削ればいいのではないか。

 そうすれば、この顔を二度と見ることもない。

 いや、罷免しなくとも、どこか遠くの地に赴任させるだけで十分だ。

 今の自分が誰かに囁けば、それが叶えられるのではないか。


 騒然とした議場に、若い男の声が朗々と響いた。


巫宮(きねのみや)は先日、星を落とす奇跡を起こした。それを代えるとなると、民衆に納得させるにはそれ以上の奇跡が必要なのではないか」


 臨烈侯、狼奇(ろうき)だった。

 一瞬で、場に沈黙が落ちる。

 

 董辰は余裕のある笑みを浮かべて応じた。


「これは臨烈侯、重要なご指摘をいただきありがとうございます。仰せのことは、乱賊との戦いのときの火球のことでございますね。あの輝きはここ江邑からも見ることができました」


 愛想よく笑顔を周りの官吏、すべてに振りまく。


「皆さま、良くご存じのように夜空には流れ星が流れます。時々には、その流れ星が地球に向かって落ち、大気圏に衝突するときに大きな光と衝撃音を出すものです。これは火球と呼ばれます。大変に珍しい事象ではございますが、古くより度々目撃されており、科学的にもなんら不思議のあるものではございません」


 滔々(とうとう)と、流れるように抑揚豊かに董辰は続けた。


「大災厄の世紀より、多くの貴重な科学と技術が失われました。しかし、我ら官吏は残された英知を受け継ぎ、国を発展させ支えよと、また大衆には巫宮(きねのみや)、聖宮により導きと安心を与えよと、これ、始祖高元のお言葉にございます。まことにこの叡慮(えいりょ)、深く優れたること比類ございません」


 合理性を持ち、科学的であること。

 それは統治をおこなう者に求められる資質であり、(しゅん)国の大学においては強く叩きこまれることであった。


 官吏たちは居心地悪く、席に座りなおす。

 董辰は声をぐっと低め、ゆっくりと囁いた。


「それとも、臨烈侯はご自分を次王に指名した巫宮(きねのみや)を代えることには不都合がある、ということでございましょうか」


 狼奇はぴくりと片方の眉を上げた。


「まさか。あれは巫宮(きねのみや)の勘違いだ」


「そう、そうでございますね。左様でございましたね」


 狼奇と董辰は、社交的な笑みを浮かべ、お互いを見かわした。


 他の者は口を開かず、それを見守る。

 ぎこちない空気の中、その議題は、また時期を見て検討することとなった。


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