44.戦いの後
斎女の姿が消え、静まり返った城壁の外で、狼奇は叫んだ。
「撤退だ!」
鞭で打たれたように、地にひれ伏していた兵士たちが立ち上がる。
止まっていた時間が一度に動き出した。
退却する狼奇たちを、乱賊が追う。
斎女の奇跡に恐れをなした乱賊たちは、王都を攻撃する意思を失ったが、狼奇を叩き潰すのには何ら遠慮をする必要を感じなかった。
朱苛の馬の鞍に引き上げられた伯洛は、荒い息を繰り返していた。
朱苛は愛馬の足を速めるために更にあおる。
伯洛は振り落とされないように馬の鬣にしがみつくのが精いっぱいだった。
朱苛の愛馬、赫星号は力強い駿馬だった。
だが二人を乗せて走るため、どうしても足が遅くなる。
船着き場では、到着したものから次々に船に飛び乗っていた。
馬ごと飛び乗られた小さな船が、均衡を崩してひっくり返る。
半回転した船は、船底を天にさらした。
乗っていた者たちは、河に投げ出され悲鳴を上げる。
暗闇の中、水に流される恐怖は言葉にしがたいものがある。
歴戦の兵士たちも死を恐れ、動転せずにはいられなかった。
「朱苛! こっちだ!」
比較的大きい船から、狼奇が叫ぶ。
敵の矢を恐れ、船は岸から離れていた。
朱苛は迷いなく手綱を押し、馬ごと河に飛び込んだ。
赫星号は、河を泳いで船に近づく。
二人を乗せたまま力強く足を漕いだ。
「こっちだ! こっちだ!」
船縁に近づいたとき、船から三つ、四つと手が伸びた。
朱苛は伯洛を持ち上げ、船上の手に渡す。
「よし! いいぞ!」
伯洛は船の甲板に崩れ落ちた。
両手を床につき、何とか息を整えると、他の者たちと同じように船縁に駆け寄った。
「朱苛! 上がれるか!」
「赫星号! 上がれ! 蹴れ!」
朱苛の必死の叫び声が聞こえる。
馬の息も荒い。首が上がってしまっている。
船縁にしがみついていた兵が、悲壮な叫びをあげた。
「朱苛様、船が流れています! もう馬はあきらめて、早くお上がりください!」
朱苛は瞬時に叫んだ。
「駄目だ!」
鬼の形相で愛馬を励ます。
「もう一度だ! 上がれ!」
馬の前足が船縁にかかりそうになりながら、また落ちた。派手な水しぶきが立つ。
必死にもがく馬と朱苛に、船からは悲鳴が上がった。
伯洛も震えた。恐怖で見ていることも出来ない。
自分が流されて死んでしまうかもしれないのに。
朱苛が死んでしまうのかもしれない。
馬の嘶きと、朱苛の叫び声が怖いほどに響く。
思わず耳を押さえて甲板に目を伏せた。
「諦めるな! 絶対に諦めるな! 上がれ!」
耳をふさいでも頭に響く鬼気迫る怒声に、伯洛は震えた。
――もう止めてほしい。
――もう、これ以上は。
その瞬間、大きな水しぶきと共に、馬が船に乗り上げた。
大量の水が、馬から、朱苛からしたたり落ちる。
「やった!」
「朱苛様!」
歓喜の叫び声が、船上から、また隣の船からも響く。
虚脱したように肩で息をしていた朱苛が、馬に顔を寄せた。
「良くやった、赫星号、良くやった」
首を叩いて愛馬を労わるその顔は珍しく優しい笑みを浮かべていた。
「良し、揃ったな。陣に戻るぞ」
狼奇の声に、あちらこちらから明るい応答が返った。
伯洛は脱力して甲板に膝をついた。
猛烈な眩暈に、立っていることが出来なかった。
そのまま視界から光が消え、意識を失った。
***
痛みと共に幹蒙は目を覚ました。
矢で射られた肩の失血のために、少し気を失っていたらしい。
後ろでに縛られている手はぴくりとも動かない。
足も同様だ。
目隠しのために、何一つ見えなかった。
ただ、耳だけが外界の音を拾っていた。
ひっきりなしに怒鳴り声や、馬の走る音が聴こえる。
しかし、武器を打ち鳴らすような、戦闘の気配はなかった。
一体、戦いはどうなったのか。
敵に捕らわれた自分を、味方はなぜ助けに来ないのか。
幹蒙は、暗闇のなか、不安と苛立ちでどうにかなりそうだった。
突然、目隠しが外された。
目の前に、巨大な顔があった。
互いの鼻がすれあうほどの距離に男の顔がある。
ぎょろりとした丸い目が、幹蒙の目の奥の奥まで睨みつける。
幹蒙は思わず息をのんだ。
男の真っすぐに目の中の覗き込む刺すような視線に耐えきれず、幹蒙は視線を外した。
その瞬間、男が笑って立ち上がった。
「ふん、大したことねえな。ほんとに王なのかよ」
その途端、周りからげらげらと笑う声が続く。
地に転がされた幹蒙を取り囲んで、三十人ばかりの男たちがいた。
すでにとっぷりと日は暮れている。
松明の明かりが、乱賊たちをより凶悪に照らし出していた。
幹蒙は、乱賊の頭目の巨大さにたじろいだ。
身長は軽く二米を超えるだろう。
胸板の厚さは幹蒙の倍はある。
左頬には大きく深い刀傷があった。
「俺は王だ! 前の王の息子、武信公幹蒙だ。討伐軍の将に訊けばわかる。お前たちの望みは金だろう。王の軍に、俺の身代金を払えと言うといい。お前たちの言い値で払おう」
幹蒙の声に、周囲を取り囲む乱賊たちが一斉に笑った。
「身代金だってよ!」
「金かあ」
「へっへっへ」
乱賊の頭目、魁傑は手にしていた巨大な槍を、地に刺した。
膝をついて幹蒙の目の前に、顔を寄せる。
「お前さんにいい知らせだ。討伐軍は俺たちに尻尾をまいて逃げ出した。連中は南に撤退中だ」
「なんだと?」
驚愕した幹蒙に満足し、魁傑は笑った。
縛り上げたまま幹蒙の襟元を片手でつかみ上げ、地に立たせる。
「まあ、手当ぐらいはしてやるよ。気が向いたら身代金でも取ればいいしな」
魁傑が手荒に矢傷を確認しようとしたとき、鎧の隙間から、重たげな袋が地面に落ちた。
「なんだ?」
瞬間、幹蒙の顔色が変わる。
「触るな! それは俺のものだ!」
必死の幹蒙の様子に、面白そうに魁傑が笑う。
彼の掌で握りつぶしてしまえそうな大きさの布包みを、目の前に掲げて、右に左に振って見せる。
「やめろ! 下賤の者が触れて良い物ではない!」
幹蒙の叫びに、魁傑は気分を害した。
「何だと? 偉そうに」
片手で幹蒙の顎を殴る。
幹蒙は気を失って地に倒れた。
魁傑が荒々しく布袋を破って開けると、そこには巨大な宝玉があった。
松明の火に、七色のきらめきが反射する。
男たちの息を呑む音が、闇に響いた。
声もなく、吸い込まれるように全員が宝玉を見つめる。
「何だ、これ」
魁傑の声が震える。
「陳申! 陳申はいねえか!」
叫ぶ声に、人垣の後ろから答えが返った。
「います! ここにいます!」
背の低い男が、魁傑の側に走り寄った。
「陳申、お前、これ何かわかるか」
魁傑の分厚い大きな掌のうえに乗る光輝く巨大な宝玉に、陳申はわなないた。
「か、魁傑様、銀河大将軍! これは、あれですよ! あれに決まってます! 王を選ぶ宝石です!」
魁傑は眉をひそめる。
「は? 王を選ぶのは斎女だろ?」
「そうなんですけど、そうなんですけど! 宝玉が斎女に王を教えるって話なんですよ!」
王を選ぶときにしか使用されない神玉は、その存在を知らない者のほうが多かった。
「じゃあ、なんでその宝石がここにあるんだ」
「ああ! そうだ!」
陳申は両手を組み合わせて叫んだ。
「何だよ!」
「王を決めるときに、奇跡が起きるんですよ! さっき空に星が爆発したじゃないですか! あれ! 王を選んだんじゃないんですか!」
魁傑も気が付いて、目を見開いた。
「ということは、俺が王ってことか!」
「そうです! 大将軍!」
陳申は首を振り、何度も頷く。
周りの男たちも一斉に叫んだ。
「すげえ!」
「王だ! 魁傑様が王だ!」
歓喜の叫び声が、あたりにこだまする。
「良し! この銀河大将軍を王に選んだこの宝石は『大銀河の星』だ!」
魁傑が宝玉を高々と掲げて叫んだ。
野太い声で叫び、盾を剣を打ち鳴らして、乱賊たちが魁傑を祝った。
陳申は宝石に何か別の名前があったような気がして、首をひねったが思い出せなかった。




