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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第五章 王都攻防
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43.暗闇の囁き



 晶瑛(しょうえい)は、兵士に先導され城壁の内部の真っ暗な階段を降りた。

 扉の外に出ると、一面ひれ伏す民がいた。

 大門に通じる道という道に人々が集まり、地に額を押し付けていた。


「皆、顔を上げてください。敵は退きました。心配は無用です」


 晶瑛の良く通る声にも、顔を上げる者はおろか、身動きをする者もいない。

 晶瑛は付き従ってきた神官たちに合図を送った。

 本来、聖宮を出ることのない斎女が外に出ることに不安を抱いていた神官たちは、安堵の表情を浮かべて馬車の戸を開ける。


 そのとき、通りの向こうから悲壮な叫びが上がった。


「お待ちください! 斎女様! 少しだけ、お待ちください!」


 薄闇の中、うずくまる民たちを踏みつけないように右に、左に縫うようにして近づく聖職者の男の顔を見て、晶瑛は小さく息を呑んだ。


 その頬のこけた顔に見覚えがあった。

 大神官の亡骸に弔いの祈祷を捧げていた神官だ。

 神官は晶瑛の目の前にくると、膝を地についた。


「私はこの王都の最南部の神宮を預かっております。最北の聖宮で毎朝斎女様が執り行っている礼拝に行きたいのに、足が悪いために行けない者たちがおります。どうかその者たちのために、私の預かる最南の宮にお運びいただいて、祝福を与えてはくださいませんか」


 晶瑛は、胸の痛みを感じた。


「貴方の宮は近いのですか」

「はい、もうすぐそこに」


 一つ頷くと、晶瑛は微かに微笑んだ。


「行きましょう」

「あ、ありがとうございます!」


 聖宮の神官たちを伴い、晶瑛は小さな古ぼけた宮に入った。

 数歩を開けて、ぞろぞろと大勢の民衆が後ろに続く。


 門をくぐった晶瑛は、神宮の荒れた有様に驚き、足を止めて辺りを見回した。

 土塀はあちらこちらに穴が開き、神宮の屋根は一部が崩れてた。


「これはどうしたことですか」


 晶瑛の問いに、神官は身を小さくした。


「お見苦しい様をお見せして申し訳ありません。その、この神宮にくる住人はお金に余裕がありませんので、補修のための浄財を募ることもためらわれまして。その、私の怠慢ではございますが」


 この宮の神官は清廉な人なのだと、晶瑛は理解した。

 葬儀でも、多くの金を取ることはないのだろう。

 だからこそ、長屋の住人が行倒れの見知らぬ男にも葬儀を上げることが出来る。


「見た目を気にする必要はありません。祈りさえ本物であればいいのですから」


 神官を見上げ微笑んだ晶瑛は、その背後、草が生い茂る土塀の足元に石像があることに気が付いた。

 大小十体近くもあり、うずくまった人間のようにも見えた。


「あれは何ですか」


「あっ、これは! 申し訳ございません!」


 晶瑛の問いに、宮の主である神官は慌てふためいた。


「あの、その、かなり昔から続いておりまして、その聖宮の教えにはないのですが、異郷の風習と思われるのですが。幼くして死んだ子供を憐れむ母親たちがあれを拝みます。その、子供の代わりなのです。大目に見てやっていただけますと」


 石像の首元には、よだれかけと思われる赤い布が幾重にも巻かれていた。


「そうですか。大丈夫です。私は見ておりません」


 晶瑛は静かに答えると、後ろに従ってきた聖宮の神官たちに視線を送った。

 明らかに規則に違反しているが、聖宮の神官たちも黙然と頷いた。


 心からほっとした様子で、神官は晶瑛に頭を下げると、彼女を神宮に導いた。


 小さな礼拝堂には二十人も入れない。

 古ぼけた神宮の敷地内に人が殺到した。

 堂を取り囲み、少しでも中を見れないかと、入り口や窓に近づこうと、声を殺して押し合い圧し合いをする。


 蝋燭の明かりでぼんやりと照らし出された礼拝堂で、晶瑛は宮と信者たちの祝福を祈った。

 歌うような滑らかな祈祷が堂の外にも漏れ出す。

 斎女の声を聞き逃すまいと、皆息をひそめ、頭を下げ、身動きもせずに祈った。


 晶瑛が古ぼけた礼拝堂の外に出ると、神宮の敷地いっぱいに詰めかけた人々が、その場で膝をついた。

 自然と人垣が割れ、門までの道が作られる。

 薄ぐらい夕闇の中、金の錫杖を手に晶瑛はゆっくりと神宮の門へ進んだ。


 門の手前で晶瑛は足を止めた。

 門の側で膝をついて彼女を見上げる赤毛の少女を、晶瑛は知っていた。


 ――蘭々


 ほとんどの者が頭を下げ、地を見ている。

 視線を左右に振り、素早くそれを確認すると、晶瑛は懐に片手を入れ、小さな紙包みを取り出した。


 ゆっくりと歩み、最も近づいたとき手を差し伸べる。

 暗闇の中、蘭々の顔は影に隠れてわからない。

 つられるように、蘭々は両手を上げた。

 その手を握るようにして、晶瑛は紙包みを蘭々に押し当て、手を引いた。


 気づかれないようにまたゆっくりと前に進む。

 人目があるので、言葉をかけることは難しい。

 本当は、彼女に何か優しい言葉をかけたかった。


 先日、聖宮での早朝の礼拝に蘭々を見つけてから、晶瑛はどうすればよいかと思い悩んでいた。

 とっさにお守りのようにしていつも懐に忍ばせている伯洛が贈ってくれた砂糖菓子を、手渡したのだ。

 蘭々のことを忘れてはいないのだと、彼女の母のことを今でも思っているのだと、伝えたかった。


 大勢の人に見守られながら、斎女が馬車に乗って聖宮に帰っていった。

 馬車が見えなくなると、声を押さえていた人々は、たがが外れたように一斉に大声で話し出した。

 歓喜の叫びをあげる者までいた。


「すげえ!」

「見たか! 俺、斎女様と目があったぞ!」


 早朝、城壁のすぐ近くで討伐軍と乱賊の戦闘が始まった。

 その噂は、瞬く間に城内に伝えられた。

 戦いが終わらずに、半日経過した時点で、王都には様々な流言と恐怖が蔓延していた。

 助けを求めて、聖宮にも人が押し寄せていた。


 夕方、斎女が城門に向かったという噂が流れ、人が城門に殺到した。

 そして、夕空にあの火球が炸裂したのである。


 興奮冷めやらぬ老若男女の人々が、道のそこここで話続けている中、一人の赤毛の少女が古い神宮の門に寄りかかって立っていた。


 騒ぎ立てる人たちを妙に冷めた目で見つめていた。

 てのひらに収まる小さな紙包みを開くと、花の形をした桃色の塊が見えた。


 斎女を褒めたたえる声が、四方八方から聞こえる。


 蘭々は紙包みを地面に投げ捨て、花を踏みにじった。

 目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 一体これが何なのだろう。

 斎女が奇跡の力を持つなら、星を破裂させるほどの力があるなら、なぜ母は死ななくてはいけなかったのか。


 名状しがたい怒りが彼女に押し寄せていた。


 そのとき、門の後ろからひそやかな声が聞こえた。


「お嬢ちゃん、斎女様とお知り合いなのかな?」


 人好きのする笑みを浮かべた中年男がそこにいた。

 妙に機嫌を取るような柔らかい声だった。


「別に」


 不愛想な蘭々の答えを気にする様子もなく、細い長身の男は続ける。


「何か斎女様にもらっていたよね。あれは何?」


「知らない」


 怒りを隠せない蘭々の声に、男はますます笑みを深くした。


「君は斎女様と知り合いなんだね?」


「だったら何」


 男は慎重に蘭々に近づいた。

 声を潜めて、ゆっくりと囁く。


「ねえ、お嬢ちゃん、もしかしてね、斎女様が何かおかしいと思っているんじゃないかな」


 驚いて蘭々は目を見張る。

 慌てて周りを見回すが、門の周りには彼女と男しかいなかった。


「実はね、おじさんはね、すごい秘密を知っているんだ。普通の人たちには絶対に言えない本当の秘密なんだけどね、お嬢ちゃんは賢そうだから、特別に教えてあげたいんだ」


「何のこと」


「あの斎女様はね、実はね、偽者なんだ」


 蘭々の心臓が大きく跳ねた。


「もちろん、すごい秘密だからね、誰にも言ってはいけないよ。普通の人に言ったら、どんな恐ろしい目にあわされるかわからないよ」


 目を見張って男を見る。

 男は口の前に指を立て、静かにと合図を送る。


「偽者の斎女様が、こうやって皆をだましているのが許せないと思わないかい?」


 蘭々は怒りに震えた。

 偽者だから、長屋に来た時に身分を明かさなかったのか。

 偽者だから、母を救うことができなかったのか。


「……許せない!」


 闇の中で、男が嬉しそうに微笑んだ。



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