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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第五章 王都攻防
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42.王都城壁



 臨王を総大将とする討伐軍と、魁傑(かいけつ)を頭目とする乱賊の軍勢の戦いは、まだ続いていた。

 すでに日が西に大きく傾いている。


 蛇水の河川敷に沿って、戦線は東西に長く浅く広がっている。

 最も東側、下流にあたる部分では、征艮(せいこん)将軍、皓之(こうし)が指揮をとっていた。


「将軍、上流が押されています。そろそろ日没です」


 沈痛な部下の声に、皓之は苦い笑いを見せた。


「困ったね。どうやら武信公は本当に捕らわれたようだね」


 補給をするにも陣は向こう岸である。

 船で渡るにもそれなりに時間がかかる。

 さて、どうするかと皓之が考えているところに、騎馬が慌ただしく走りこんできた。


征艮(せいこん)将軍に呂馬(りょば)様から伝令!」


「老将軍はご無事か」


「はい!」


 伝令の返事に、皓之は安堵の息をついた。

 呂馬がいるなら王軍も総崩れにはならないだろう。


「撤退を開始するので、援護を願いたいと」


 皓之は一つ眉を動かす。

 部下が馬を寄せて囁いた。


「最後に残るものが最も大きな被害を受けます」


「わかっている。が、誰かが殿(しんがり)を引き受けなければいけないのも事実だ」


 皓之は伝令ににっこりと笑って回答した。


「承知した。当方が受け持つ東側の戦線から可能な範囲で援護しよう。ただこちらも日没までに撤退する必要がある。上流の端までは援護できない。我々の船は下流にあるからね」


 反論を許さない笑顔に、伝令はひきつった顔で頷き、引き返していった。




***




 蛇水の上流に船が四隻浮かんでいた。

 下流に行き過ぎないように、時折(かい)を漕いで上流に戻ることを繰り返して三時間は経っている。


「撤退を始めているな」


 狼奇(ろうき)は望遠鏡を妹に投げた。


「どうしますか」


 朱苛(しゅか)は片手で受け取ると、片目を望遠鏡に当て、首を振った。


「船がつまってますね。撤退にはかなりの時間がかかりそうです」


「船着き場から、補給を冠城(かんじょう)に運び入れる。お前は、手勢を連れて先に上陸して輸送路を確保しろ」


「わかりました」


 短く答えると、船縁に片手をかけ、朱苛は隣の船に身軽に飛び移った。


 小ぶりな一艘が船着き場に向かうのを見送り、狼奇は残りの三隻の船頭に指示をだした。


「行くぞ! 戦闘はまだ続いている。気を抜くな」




***




 撤退しようと背を向ける討伐軍を、乱賊たちはここぞとばかりに攻め立てていた。

 身を守りながらの撤収は難しく、王軍にはかなりの犠牲が出ていた。


 乱賊たちは逃げる獲物を追うのに気を取られていたので、船着き場から上陸した狼奇たちに気が付いていなかった。

 荷車ごと船から下ろし、手早く馬をつないで冠城の城門の前まで補給物資を運ぶ。

 南の大門の前で、狼奇は叫んだ。


「開門! 開門を願う! 江邑(こうゆう)からの補給だ!」


 日は暮れ始め、あたりは薄暗い。

 城門の上を守る兵士たちは顔を見合わせるばかりで、動こうともしなかった。


「何をしている! 急げ! 乱賊に見つかるかもしれないだろう!」


 狼奇の叫びに、城壁から怒鳴り声が返った。


「嘘をつけ! さっきも味方だと偽って乱賊がこの門を開けさせようとした! もうだまされんぞ!」


 音高く狼奇は舌打ちをした。


「俺たちは乱賊じゃない! 烈侯軍だ! この印がわからないのか!」


 隣にいた騎兵が持っていた旗を奪って、狼奇は指し示した。


「馬鹿にしてんのか! お前等、王軍の鎧も、烈侯軍の旗も拾って使っているじゃないか! だまされないぞ!」


 狼奇は烈侯軍の旗を投げ捨てた。


「いいから開けろ! ああ、もう沈約(しんやく)はいねえのか! 沈約(しんやく)呼んで来い!」


 自分が征乾(せいかん)将軍であると名乗ろうとも思ったが、城壁の上の兵士たちがそれを信じるとも思えない。狼奇は頭を掻きむしった。


 日は刻一刻と暮れてゆく。


 そのとき、警戒に向かっていた朱苛が蹄の音も高く、駆け込んできた。


「兄様! 敵が来ます!」


「くそ! 見つかったか!」




***




 伯洛はくらくは、自分が今どこにいるのかがわからなかった。

 周りには護衛の騎兵が四騎いた。

 つい先ほどまでは六人いたはずだった。


 大半の兵が上陸した後に、安全を確保しながら伯洛は岸に上がった。

 昼過ぎだったように思う。

 しかし、安全だと思っていたのもつかの間、すぐに兄が敵に捕らわれたという知らせが入った。


 驚愕する間もなく、味方たちが押され始め、皆必死になって応戦を始めていた。

 殺気だった大人たちに囲まれ、伯洛は馬に乗ってじっとしているのが精いっぱいだった。


 周りで何が起きているのかがわからない。

 どこに行って何をすれば良いのかがわからない。


 恐ろしい雄たけび、断末魔の悲鳴、銅鑼や太鼓、馬の蹄、武器や馬具の衝突音。

 何も聞こえなくなるほどの大音量に体がすくむ。

 血の匂い、何かが焼ける匂いに吐きそうになった。


 どれだけの時間が経ったのか、今自分が向かっている方角はどちらなのか、伯洛には何もわからなかった。


「文成公、しっかりなさってください。もうすぐ城壁です。ここから対岸へ帰る船に戻ることは難しいので、冠城(かんじょう)に入りましょう。もうしばらくこらえてください」


 護衛の兵士の声に、伯洛は真っ青な顔で頷いた。


 夕闇が容赦なく辺りを青く暗くする。


 敵味方の判別が難しく、王軍は目の前に迫る相手に剣を打ち下ろすことをためらった。

 一方、乱賊はなんらためらうことなく手当たり次第に武器を振るう。

 王軍の兵が徐々に減ってゆく。


 薄暗がりの中、伯洛の白い馬はあまりにも目立った。

 ちょうど良い標的に見えたのか、矢が次々と飛んでくる。

 伯洛が見る目の前で、馬の首に深々と矢が付きたった。


 それでも馬は二、三歩前に進んだが、更に飛んできた矢が尻に刺さり、首に刺さった。

 白馬は口から泡を吹いて横倒しに重く倒れた。


 伯洛は鞍から地に投げ出され、体が二転、三転転がってようやく止まった。


「あれは! 文成公か!」

「兄様! 私が行きます!」


 叫び声が遠く聞こえた。




***




 突然、城壁の上でどよめきが起こった。

 地上の兵たちがつられて城壁を見上げ、そのまま息を呑んで固まった。

 驚愕が、動揺が、さざ波のように広がってゆく。

 狼奇も見上げたまま、息を忘れた。


 城壁の上に、一人の少女がいた。


 手には身の丈を超える金の錫杖(しゃくじょう)、聖職を表す白い衣装、そして高名な銀の髪はなぜか顎ほどの高さにまで切り詰められていた。


 笑みもなく恐れもなく、無感動に彼女は戦場を見渡した。


「斎女様だ」

「あれが……」


 王軍の兵士も、乱賊たちもただ城壁上の少女を見上げた。


 青い闇を切り裂いて、鋭く声が響いた。


「王都は聖宮が守る! 天が我らを助け、(よみ)したもうこと、露ほどの疑いもなし! この王都に害を加えんとする者は、必ずや天罰を与えられん!」


 少女は、地上の兵たちを見、そして更に見えない暗闇の向こうを睨みつけた。


 その瞬間、東の青い夜空に激しく輝く燃える月が忽然と現れた。


 巨大な月は夜明けのごとく東の空を輝かせ、南に向かって矢より早く流れた。


 天の頂点から、燃える輝きが冠城に向かって落ちる。

 見る間に膨れ上がる炎に、その場にいた者たちは一斉に地に伏せた。


 瞬く間に近づいた火球は、王都に落ちると思われたその刹那、音もなく破裂四散し、地上のすべてを光に包んだ。


 目がくらむ激しい光が消えた後、恐る恐る顔を上げた者たちが見たのは、微動だにせず無表情に空を見上げる斎女だった。


 原始的な恐れに震えながら人々が城壁を見上げた瞬間、轟音が辺りに鳴り響いた。

 空から体を震わせる衝撃音が叩きつけられる。


 今度こそ、悲鳴があがった。

 戦場からも城内からも人の叫ぶ声が聞こえた。


 恐怖にすべての者がひれ伏す中、狼奇は膝をつき、顔を上げた。


巫宮(きねのみや)! 王都に食料をお持ちしました。門をお開けください!」


 その叫びに、少女が顔を向ける。

 濃い夕闇の中、狼奇はなぜか斎女が彼が誰であるかを認めたと感じた。


「門を開けよ」


 斎女の声に我に返った門番たちが、大門を押し開いた。

 狼奇の合図で、荷車に満載された物資が大門の向こうに運び入れられる。


 乱賊たちは呆然とただそれを見守った。


「冠城の民二十万、城に籠りすでに三ヶ月を過ぐる」


 静かな、しかし遠くまで聞こえる声が響いた。

 狼奇が城壁を見上げると、斎女の緑の目が、彼を刺し貫いた。


「ゆめ見捨てたもうな」


 その声と共に、大門は閉じられた。



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