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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第五章 王都攻防
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39.初陣



 伯洛(はくらく)は馬の背に揺られながら、ただひたすら数を数えていた。


 ――一、二、三、四


 二十を過ぎたあたりから、何もわからなくなり、また一から始める。

 随分と前から頭は朦朧としていて、何も考えられなかった。


 体を預けている白い馬が、顔を前に向けたまま瞳を動かし、ちらりと鞍に乗る伯洛(はくらく)を見た。

 馬さえも、彼の体たらくに呆れている。伯洛にはそう思えた。


 伯洛は移動する際、大体において馬車を使っていた。

 しかし、戦場に向かうのに馬車に乗るわけにはいかない。

 江邑(こうゆう)から出発するときに、これをと示された白馬に、伯洛は眉をひそめた。


 王子だから白馬なのだろうか。

 そんな目立つようなことはしたくない。


 戸惑う少年に、熟練の馬番はこう言った。


 ――これは白馬ではございません。葦毛(あしげ)が年を取って白くなったんです。人間でいうところの白髪ですな。年を取ると気性が穏やかになって、扱いやすくなりますから。


 初めて戦場に赴く伯洛に、足の強い、気性の荒い馬など乗りこなせるはずがない。

 確かに、妥当な選択だと思われた。


 伯洛は乗馬に慣れていない。

 それでも出発した日は馬上で姿勢を保ち、馬の歩みに合わせて体を上下させ、鞍に落ちる腰の衝撃を和らげることが出来ていた。

 しかし、翌日には鞍を挟む腿に力が入らない。

 腿と言わず、腰、肩、体中が痛みに悲鳴を上げていた。


 腿で鞍を挟み込まなくては、体を支えることができない。

 どうしようもなくただ馬に体を揺られていると、鞍に叩きつけられる体が更に痛む。


 何千、何万という兵士たちが歩き、あるいは馬に乗り北に進む。

 長く伸びる隊列の中、馬の背の上で伯洛はひたすらに休憩の時間を、その日の行程が終わるのを、数を数えて待ち続けた。


 目に入るのはただ人の頭と地面だけ。


 側に付く従者が、大丈夫か、水を飲むかと、あるいはもう少しだと声をかけてくれていたが、伯洛には返事をすることもできなかった。

 ただ、終わりが来るのを待ち続けた。


 一週間を超える苦行が終わり、陣を構える場所に着いた。

 陣地が作られている間、伯洛は横になり、ひたすら眠り続けた。


 兄の命令とはいえ、なぜ体の弱い自分が、戦場にでなくてはならないのか。

 皆の足手まといになっているだけなのに。


 体の痛みに苦しみ、熱にうなされながら、伯洛は兄を恨んだ。




***




 草を渡る風が、熱気を運ぶ。

 六月の日差しは強く、眩しい日向では草いきれに息がつまるほどだった。


 王都冠城(かんじょう)の南を流れる大河、蛇水を見渡す高地に、討伐軍は陣を構えていた。


 蛇水の対岸には、乱賊の拠点が見える。


 陣地の中央に設けられた大天幕に、討伐軍の主だった将が集まった。


 昼とはいえ、天幕の中は薄暗い。

 諸将たちの顔は影に沈みがちだった。


「さて、皆良く集まった」


 上座に座る武信公幹蒙(かんもう)が、朗々とした声を張り上げた。


 総大将である幹蒙は、自ら作戦を説明した。


 正面から王軍三万五千が匪賊を攻め、右翼采侯軍二万がそれを支える。

 左翼烈侯軍三万は予備兵力となる。


 総大将の策に、異議を唱える声は勿論、質問をする者さえいなかった。


 座る兄の背後に立ち、それを見ていた伯洛は、不安を覚えた。

 将たちの顔は良く見えない。

 彼らは兄の策に賛同しているのか、それとも何も言いたくないのか。


 蒸し暑い天幕の中、伯洛の額から汗が流れた。

 それは暑さのためなのか。

 伯洛は、眩暈を感じた。




***




 軍議の後、将たちは大天幕の外で立ち話をしていた。

 それぞれの陣が離れているため、顔を合わせて情報を交換できる機会は貴重なのだ。


 大柄な武人たちが寄り集まり、大きな、ともすれば野卑な声で笑い、肩を叩きあう。

 沈黙ばかりが続いた大天幕での会議とは、打って変わって会話は弾んでいた。


 伯洛は誰か将の話を聞きたいと思っていたのだが、気後れして誰にも声をかけることが出来ないでいた。


 朝廷とはまるで違う。

 肌を焼く日差しの下で、遠慮のない大声で話す武官たちは、あまりにも伯洛から遠かった。


 高い天井の涼しい部屋、あるいは廊下で顔を寄せ合い、声を潜めて話す文官たちに、伯洛は好意を持ったことはない。しかし、余りにも遠い武人たちの姿を見ると、自分がいるべきはやはり文官の世界ではないのか、と思われた。


 朝廷の会議で、なぜ文官と武官たちがお互いに一線を引いていがみ合うのか、伯洛には良くわかった。あまりにも世界が違いすぎる。


 ふと小柄な人物が目に入った。

 大きな男たちに囲まれて、若い女性が笑っていた。

 女としては背が高くても、周りが更に高く分厚い体をしているので、彼女は華奢に見えた。

 しかし、堂々と他の将たちと話をしている。


 征坤(せいこん)将軍、朱苛(しゅか)だった。


 彼らの話が終わるのを待って、伯洛は朱苛に近づいた。

 まだ彼女であれば、気後れを感じなくても良い気がしたのだ。


征坤せいこん将軍、少し良いですか」


文成公(ぶんぜいこう)


 声に振り返り、朱苛は驚きの声を上げた。

 勢いよく黒く長い髪が空を跳ねる。


「もちろんです。何か御用でしょうか」


「その、先ほどの軍議ですが。皆、兄上の策に疑問はないのでしょうか」


 伯洛の問いに、朱苛は少し目を見開いたが、すぐに社交的な笑みを作った。


「無論です。公もお聞きになられたように、皆、異議なしと申しました」


 目の前に壁を感じ、伯洛も薄く笑った。

 当然のことではある。

 なぜ臨王の弟に本当のことを言うだろうか。


「そうですね。詮無いことを聞きました」


 伯洛が背を向けたとき、朱苛が声をかけた。


「公、お体は大丈夫ですか。初陣なのですから、ご無理をなさいませんよう」


 伯洛は振り返った。

 女将軍は、真っすぐに彼を見ていた。

 その目には、いたわりには、偽りがないように見えた。


「ありがとう。熱は下がりました」


「お食事はとられていますか。少しお痩せになられたようです」


 その言葉に母を想いだし、伯洛は苦笑する。


「そう、そうですね。あまり食欲がないのです。体調のせいかもしれませんが」


「戦場であれば、ろくなものは出ませんが、無理にでもお食べになられた方がいい。江邑(こうゆう)は、冠城(かんじょう)とは全く違う料理でしたでしょう。それでもお食べになられていたのですから、戦場の食事も大丈夫です」


 朱苛の言葉に、伯洛は気が付いた。


「そういえば、江邑の料理が口に合わなくて困っていたのですが、いつの間にか、冠城の料理が出るようになっていました」


 やや呆然とそう言った伯洛に朱苛は苦笑した。


「なるほど。誰かが気を利かせたのでしょう。お口に合わなければ厳しいかもしれませんね。御無理はなさいませんよう」


 一礼をして去っていく朱苛の背を見送り、伯洛は眩暈がした。


 なぜ自分はここにいるのだろう。



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