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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第四章 西域会戦
37/81

36.日の当たる場所



 のどかな昼下がり、青い芝生に二人の貴婦人がいた。

 初夏の日差しに、白を基調とした涼しげな美しい衣装が映える。


 穏やかに言葉を交わし、笑いあう声が、鳥の鳴き声とともに整えられた庭園に響いた。


 姉を迎えに来た皓之(こうし)は、思わず立ち止まった。

 まぶしい太陽に、目を細めて手をかざす。


 視線の先で、王后、昭蝉(しょうぜん)と采侯の娘、媚白(びはく)が楽しそうに言葉を交わしていた。


 ところどころで渦を巻き波打つ媚白の長い金髪が輝きを放ち、真っ白な卵型の顔がかげりのない微笑みをつくっていた。自分の姉ではあるが、美しいものだと改めて皓之は感心した。


 ふと視線を感じて顔を動かすと、離れた木陰に少年がいた。

 本を片手に、静かに椅子に座っている。


文成公(ぶんぜいこう)、このようなところでいかがされましたか」


 皓之は近づくと会釈して少年に声をかけた。

 十四になる王子、伯洛(はくらく)は穏やかに笑みを作った。


「母上のご機嫌伺いに来たのですが、ずいぶん媚白(びはく)と話がはずんでいるようなので、邪魔をしてはいけないと思いまして」


 伯洛と皓之は、日向の芝生にいる貴婦人たちに目を向けた。


「なるほど」


 そう頷き、皓之は伯洛の側の木陰に入ると、口を閉ざした。

 母親に良く似た線の細い白い顔の王子は、思慮深い薄い鳶色の瞳で貴婦人たちを見守っていた。

 長いまつげが、顔に影を作る。


 この王子は、二人の兄とは随分と毛色が違う。

 皓之は興味深く九歳年下の王子を見た。


 長男の倫在公(りんざいこう)馮英(ばえい)は、聡明で気が強く才気走った男だった。

 自らの非を決して認めない馮英が姉の夫となることに、皓之は一抹の不安を抱いていたものである。


 次男の武信公幹蒙(かんもう)も、やはり大変に気が強い。

 すべて自分の思い通りに進めなければ気が済まない男である。


 王家に生まれた者であれば、幼いころから叶わない願いはない。

 王子たちが自制を知らず、自分の正しさを強く信じているのも仕方のないことだろうと、皓之は考えていた。


 しかし、この文成公伯洛には、気の強さが全くない。

 不思議なことではあった。


 そのとき、後ろから荒々しい足音がした。


 伯洛と皓之が振り返ると、武信公幹蒙(かんもう)が大股で貴婦人たちのほうに歩いていくところだった。


 幹蒙は、伯洛と皓之に気が付くと足を止めた。


「なんだ、お前たち、そんなところで」


 広々とした気持ちの良い日のあたる芝生があるのに、ひっそりと木陰に隠れる二人に幹蒙は眉をひそめた。


 何を思ったのか、幹蒙は伯洛に近づいて言い放った。


「そうだ、伯洛、お前に言っておくことがあった」


「なんでしょうか」


 兄に礼儀を示し、椅子から立ち上がった伯洛が小首を傾げた。


「次の戦にはお前も出ろ、準備をしておけ」


 伯洛が息をのむ。


「えっ、そんな。私は戦場に出たことがありません」


 頭一つ背の低いか細い弟を見下ろし、幹蒙は大きな声で言った。


「だからこそだ。お前も一人前の男として、戦の経験をするべきだ。しっかりとその目で戦闘を見ろ。会議で座っているだけではなく、自分の言葉で自分の意見を言え。本を読んでいるだけで、公爵として重責を果たすための能力が身につくと思うな」


 一理ある。

 真っ青になった伯洛を横目に、皓之はそう思った。


 (きびす)を返し、幹蒙は母、昭蝉に向かって歩いて行った。


「公、お座りになられては。お顔の色が優れません」


「ありがとう」


 皓之の言葉に、伯洛は夢から覚めたように呆然と答え、椅子に腰を下ろした。


「僕が戦場に行って何ができるのでしょうか」


 動揺している少年を、皓之は少し気の毒に思った。


「武信公はなにも文成公に剣を取れとおっしゃっているわけではないでしょう。戦というのはどんなものか、その目でご覧になるだけで良いのではありませんか」


 そういえば伯洛が剣を持っているところを見たことがないと、皓之は改めて気が付いた。


「そう、そうですね。王家の男であれば、戦いに向かうことは当然です。それは始祖高元が定めたこと。しかし、その、私は子供のころから体が弱かったので」


 だんだんと小さくなっていく声は途中で途切れた。


 皓之は思い出した。

 確か昔、三男の王子は病弱で成人はできないだろうと言われていた。

 今、こうして生きているだけでも、運が良かったのだろう。


「戦いを知らなければ、政治はできないのでしょうか。それならば、私などはいっそ公位を辞して僧籍にでも入るべきでしょう」


 少年の暗い声に皓之は驚く。


「公、そこまで思いつめられることはありません。私なども学生の頃は、貴族のお坊ちゃまに軍の指揮などとてもできないだろうと、さんざんに陰口を叩かれたものです。ところがどうして、今やこうして征艮(せいこん)将軍を名乗っています」


「陰口を? 将軍の?」


 伯洛は目を見張って皓之を見上げた。


 臨采侯、皓之は優しく微笑んで王子を見返した。

 すらりとした長身、金髪碧眼の美貌の貴公子は、確かに一見、軍を率いる将軍には見えなかった。


「まあ、このような(なり)ですので、自分で言うのもなんなのですが、大学にいたころは随分と女性に人気がありましてね。そのうち公もお分かりになるでしょう。もてない男のひがみとは恐ろしいものなのです」


 皓之は軽く片目をつぶってみせる。

 伯洛は小さく笑い声を漏らした。


「しかし、将軍は私と違って堂々と自信がおありです。征艮(せいこん)将軍は剣術に優れていると聞いたことがあります。その自信が、気迫があればこそ、軍を率い戦に出ることができるのでしょう。羨ましいことです」


「さて、(まつりごと)を行うに武人である必要はないでしょう。公のお父上も、兄上の倫在公も滅多に戦場にはいらっしゃいませんでした」


 皓之の慰めに、伯洛は静かに首を振る。


「平和な時代であればそれも許されるでしょう。今は、戦乱のときではないのですか」


「確かに、世は乱れていますね。おさめるにはおそらく、英雄が必要でしょう」


「英雄ですか。私には無縁の言葉です」


 伯洛は年に似合わない苦い笑みを浮かべた。

 諦めの良すぎる少年を皓之は見下ろした。


「公はご存じでしょうか。歴史上、超越的英雄(カリスマ)と呼ばれる者がいます。人をひきつけ、熱狂させる、いわゆる神の賜物を与えられた者たちです。その例は、軍事的英雄だけではないのです。宗教的な力であったり、人を魅了する弁舌であったり、超人的な様々な才能を持つ者たちです」


 座ったまま見上げてくる伯洛に、皓之は笑って見せた。


「たとえ力が劣っていても、剣をふるうことができなくとも、他の方法で人を魅了し、導き、率いることはできるでしょう」


 ふっと自嘲の笑みを浮かべる。


「まあ、それは私が私自身に言い聞かせていることなのですけれどね」


「なぜ」


 不思議そうに伯洛が訊いた。


狼奇(ろうき)ですよ。あの男だけでなく烈侯家には朱苛(しゅか)もいますしね。軍事力だけを比較すれば、私はまるで敵わない」


「そんなに征乾(せいかん)将軍は、烈侯家は強いのですか」


 伯洛は驚いた。

 二大侯家の軍事力は拮抗していると思っていたのだ。


「強いですね。残念ながら、私よりもずっと」


 軽くそう答えると皓之は苦笑をもらす。


 伯洛はやや呆然と、薄い笑みを浮かべた皓之の横顔を見上げた。

 それは苦い事実を受け入れ、それでもまだ諦めていない者の微笑みだった。


 強さとは、剣をふるう力のことではない。


 伯洛にもそれだけはわかった。


 そのとき昭蝉(しょうぜん)媚白(びはく)と話していた武信公幹蒙(かんもう)が、彼らを振り返った。


 大股で足早に近づいてくると、皓之の腕を取る。


「将軍、こちらに来い、話がある」


 礼儀のないことだと内心思いながらも、にこやかに笑いながら皓之はそれに従った。


 庭園の片隅で、幹蒙と皓之は向きあった。


「媚白を妻にしたい。この戦乱が終われば俺は王だ。媚白は王后となり、子が生まれればお前は次の王の叔父となる。悪い話ではないだろう」


 笑みをつくったまま皓之の顔が固まった。

 遠からず、その話はあると思っていた。

 しかし、心の準備が足りていなかった。


 幹蒙は更に顔を寄せて囁いた。


「采侯家に烈侯家の領土をやろう。猪狄(いてき)さえ倒してしまえば、烈侯家に用はない。王軍と采侯軍が力を合わせればあいつらを殲滅(せんめつ)できる」


 皓之の秀でた額に冷や汗が浮く。

 当然同意するだろうという顔で幹蒙は、皓之を見つめていた。


 全くこの事態を想像していなかったわけではない。

 しかし、自分の覚悟が足りていないことを、この瞬間に皓之は思い知らされていた。



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