表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第四章 西域会戦
36/81

35.煙か土か、食い物か



 狼奇(ろうき)は脱いだ上着を、草むらに投げ捨てた。

 そのまま自分自身も草の上に倒れこむ。


 青い空は眩しく、地平の彼方に夏らしい入道雲がわいていた。

 うっすらとかいた汗で、額に髪が張り付いている。

 日を浴びた葉が青臭い草熱(くさいき)れを放つ。


 じりじりと焼かれる肌を感じながら目を閉じていると、そのまま寝入ってしまいそうだった。

 この数日、ほとんど眠れていない。


 父が戦死し、烈侯を継いだ。

 今や狼奇は臨烈侯だ。

 臨采侯となった皓之の例があったので、あっさりとそれは決まった。

 臨時とはいえ、(しゅん)国二大侯家の一つ、烈侯家の主となったのだ。

 未だに信じがたいことだった。


 一方、戦乱は終わっていない。

 王都を解放するために、また次の出陣の準備をしなくてはいけない。


 考えるべきこと、やるべきことが山とある。

 それなのに、思考は空転する。


 ――なぜ俺なんだ。

 ――どうして俺がやらないといけないんだ。

 ――できるわけがない!


 どうしようもなく、腹立たしい。

 一体この(いきどおり)りを誰にぶつければよいのか。

 父がいたときは、好きなだけ父に文句を言えば良かった。

 どんな馬鹿げた文句だって、遠慮なくぶつけられた。


 一家の、一族の主となった今、誰に何を言えるのか。

 十万の兵、七百万の領民。

 その命をなぜ自分が背負わないといけないのか。


 ――逃げるな、王となれ


 父の声が蘇る。

 胸が苦しい。眠れない。


 体を半回転させ、うつ伏せになる。

 狼奇が深く息を吐き、草むらに突っ伏していると、明るい男の声が降ってきた。


「ここにいらっしゃいましたか。狼奇様、お探ししましたよ」


 草の上で半回転して空をあおぐと、狼奇はいかにも嫌そうに声の主を見上げた。


姜和(きょうわ)か。何の用だ」


 苛立たしさを隠さない狼奇を、姜和は笑った。


「何の用ではございませんよ。ほら、もうお父上の、梁桀(りょうけつ)様を焼き上げるお時間です。最後のお別れに皆さま集まっておりますよ」


 柔らかく答えて姜和は草むらから上着を拾った。

 服についた草を丁寧に払う。


「そうか」


 気のない声が返る。

 動く気配のない狼奇の横に姜和は座った。

 ふてくされたように横になっている主人を見て笑い、青い空と白い雲を見上げる。


「ねえ、狼奇様。お聞きになりましたか。老将軍の部下のこと」


 やけにしみじみとした姜和の話しぶりを不審に思いながらも、狼奇は短く返した。


「いや」


「先の論功行賞の会議で、老将軍の、呂馬(りょば)様の勲功を認めてほしいと主張した彼は、投獄されたそうですよ」


 弾けるように狼奇は上半身を起こした。


「なぜだ」


「お分かりでしょう。武信公の功であるべきものを呂馬様のものだと主張したからです」


 狼奇は黒い目に狼狽を見せた。


「いや、それは事実だ。老将軍が王軍の戦線を指揮して支えたんだぞ。武信公は突撃しただけだ」


 姜和は優しく笑った。


「ええ、そうですね。王軍の兵たちもそう言っています。街の酒場で私は実際聞きました。しかし、狼奇様、武信公にとってそれは事実ではないのです。よろしいですか、王軍を指揮したのは、戦線を維持したのはすべて武信公の勲功なのです」


 狼奇は何かを言おうとして、口を閉ざした。

 両手で髪を掻きむしり、顔を覆う。


「老将軍のその勇気ある部下は、おそらく死を(たまわ)るでしょう」


 姜和の声は穏やかで優しかった。

 狼奇は頭を抱えたまま、何も言えない。

 荒い息を吐き、空を見上げた。

 青い空が、まぶしかった。


「ねえ、狼奇様。私はあなたに拾っていただいた後、王都冠城(かんじょう)を離れ烈侯領に行って、驚いたのです。この国に、まだ腐っていないところがあったのかと。まだ希望を持って良いのかと」


 姜和は淡々と話した。


「この国は、王朝は腐っています。始祖高元より六代、二百十余年。国としては長くもっているほうです。しかしまあもう寿命です。組織も社会制度もあちらこちらでガタがでて、方々(ほうぼう)(かび)のように腐敗がわいてこびりついてしまいました」


 若かった自分自身を思い出し、姜和は苦く笑う。


「力のない役人一人が誠実に仕事をしようとしても、何もできないのです。世の中を良くしようともがいている同僚を見ても、手伝ってはいけないのです。自分の命を守るためには」


 痛ましく姜和を見る狼奇に、姜和は陰りのない笑みを見せた。


「老将軍の勲功を主張した部下を、呂馬様自身が見捨てたように」


 優しい笑みで姜和はまっすぐに主人を見た。


「ねえ、狼奇様」


「言うな」


 狼奇は即座に部下を止めた。

 今は聞きたくはない。

 恐ろしいその期待を、国を背負えというその声を。


 十歳ほど年上の部下は、主人を見て微笑んだ。


「そうですね、わかりました。さあ、上着をどうぞ。皆さまお待ちです」


 烈侯梁桀(りょうけつ)の遺体を焼き上げる前の儀式が始まる。




***




 喪主としての役割を終えると、逃げるように狼奇はまた空き地に向かった。

 異臭を放つ火葬場は、街中に置くことができない。

 しかし、多くの人が暮らす街には必ず必要な施設であるため、江邑(こうゆう)からほど近い野山の丘陵に火葬場があった。


 誰もいない草むらの中で、ようやく少し心が落ち着く。

 後ろを振り返って、煙を見上げた。

 あの煙の下で、父が焼かれている。

 (しゅん)国、随一の重臣が、煙となって消えてなくなろうとしていた。

 

 人は誰しも死んでしまえば、焼かれて煙となるか、あるいは土に還るのだ。

 武人である狼奇たちには、もう一つ可能性がある。

 戦場に(しかばね)をさらし、犬か烏に食われるか。


 煙か、土か、食い物か。


 どれほど栄華を極めても、結局最後はそれなのだ。

 何のために生きているのか。

 やけに不思議な気持ちで、父親の煙を見上げていると、暑そうな喪服の上着をきっちりと着込んだ朱苛(しゅか)が近づいてくるのが見えた。


「こちらでしたか。皆さま、向こうで飲んでいますよ。兄様はよいのですか。父様はお体が大きいので、あと二時間ほどはかかりそうです」


「酒が飲みたい気分でもない」


 どこか疲れたように見える妹も、良く眠れていないのかもしれない。


 父を亡くした兄妹は草むらに並んで座り、煙を見上げた。

 夏の風が辺りを抜ける。

 烏の鳴き声が、やけに禍々しく聞こえた。


「たまたま親父の運が悪かっただけだ」


 つぶやくように狼奇は言った。


「はい。次は私たちがあの煙になっていてもおかしくはありません」


 淡々と朱苛は答えた。

 戦いに出れば、いつどこで死んでもおかしくはない。


「兄様」

「ん?」

「父様は、最期になんとおっしゃったのですか」


 答えるのに、狼奇は一瞬ためらった。


「逃げるなと」


 ただそれだけを伝えた。


「そうですか」


 朱苛はそれ以上を訊くことはなく、口を閉ざした。

 しばらくして、また兄に訊く。


「兄様は臨烈侯とおなりです。父様を烈侯領の墓所に改葬した後、御母堂の遺骨を隣に改葬されてはどうですか。王都の一般の墓地に納められているとききました」


 狼奇は驚いた。


「いや、それはお前の母親が許さないだろう」


 狼奇の母は、父の正式な妻ではない。


「母は私が説得します。烈侯の母である方が粗略に扱われているのはおかしなことです」


 狼奇はしばらく考え、ため息をついた。


「実際のところ、それがいいのか、俺にはよくわからん」


 朱苛は不思議そうに兄を見た。


「お袋が死ぬ1年前だったか、俺は親父が別の家庭を持っていることを知ったんだ。それまでは、出張の多い仕事だと思ってたのさ。親父を許せなくて、俺は何度もお袋に言ったんだ。愛人なんてやめて、あんな野郎は捨てて、冠城(かんじょう)から出て行こうと、俺が稼ぐからと」


 母親の面影は年々薄れていく。

 忘れることなどあるはずがないと、少年の頃は思っていた。

 今となっては、はっきりと思い出せるのはただその温かさだけだった。


「お袋ははだいたい曖昧に笑うだけだった。結局、お袋は親父に惚れていたんだな。あんな野郎に」


 半分吐き捨てるように狼奇は言う。

 憎しみや、苛立ちは時を超えても昨日のことのように生々しく鮮やかだった。


「俺にわかるのはそれだけだ。俺には、お袋の、女の気持ちなんてわかんねえんだよ」


 苛立たしく首を振る。


「なあ、朱苛」


 妹を振り返った。


「死んだあとでも好きな男の側にいたいものか」


 突然の問いに、朱苛は目を見開いた。


「そう、ですね、おそらく人によって違うのだとは思いますが」


 珍しく朱苛は即答せず、すこし口ごもって答えた。


「私なら、骨になっても側にいたいと思います」


 妹の顔を無感動に狼奇は見た。


「そうか」


 どうせ自分にはわからないことだと、そう思う。


「じゃあ、改葬しよう。悪いが、お前のお袋さんに話通しておいてくれるか」


「わかりました」


 兄妹はしばらく並んで、青い空に父を見送った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ