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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第四章 西域会戦
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34.論功行賞



 それは奇妙な隊列だった。


 遥か地平の彼方から、急ぐでもなく、止まるでもなくぞろぞろと人馬が続く。

 塊になって規則正しく進む部隊もあれば、ぽつんと一人、また一人ととぼとぼと歩く者たちもいる。


 街道の周りにある田畑では、農民たちが手を止めて兵士たちを見つめていた。


 高い城壁の上にみっしりと人が押し寄せていた。

 一人が隊列を見つけて手を挙げて叫ぶと、見る間に叫び声が伝播する。

 城壁の外に大勢の人が飛び出した。


 その歓声を耳にした兵士たちが顔を上げる。

 急に元気を取り戻し、半ば走るように城壁へ向かった。

 喜色を浮かべ、名前を叫ぶ者がいる。

 誰もが見知った顔はないかと、声をあげ、手を振った。


 討伐軍が、江邑(こうゆう)に帰ってきた。

 敵を、猪狄(いてき)を大いに打ち破り、華々しい戦果を上げた。

 興奮と歓喜が城内を満たした。


 だがその戦果には、歓喜には傷があった。

 敵将の首は取れず、総大将を失った。

 二十万が住む王都冠城(かんじょう)は未だ籠城を続けている。




***




 明くる朝、晴れ渡った江邑の大路を、大勢の武官、文官たちが歩いていた。

 街には前日の興奮が薄く残っていた。

 細い路地のあちらこちらには、酔いつぶれた兵士たちが転がっている。


 すべての重荷を下ろし、警戒心のかけらもなくいびきをかいて寝ている兵を見て、狼奇(ろうき)は片方の口角を上げて笑った。


「いいな、俺ももうひと眠りしたいところだ」


「ご冗談を。起こす身にもなってください」


 馬を並べて進む朱苛(しゅか)が冷たく答えた。

 ぴんと伸ばした背筋が馬上に映える。

 彼女はだらしなく鞍に乗る兄を見た。


「お酒の臭いがしませんね。意外です」


 狼奇は笑った。


「いくらなんでも論功行賞の会議に二日酔いで行くわけにはいかんだろ。親父もいないことだしな」


「そうですね。兄様が一族の長です」


 深くため息をついて、狼奇は妹に訊いた。


「なあ、朱苛。俺がヘマこいたらどうする」


 間髪いれずに答えが返る。


「一族滅亡でしょう。ご安心を。ご一緒します」


「勘弁してくれ」


 狼奇は苦い笑みを漏らした。

 先の戦いで華々しい武勲を立てた兄妹の顔は暗い。


 狼奇はこの年、二十三歳となる。

 烈侯家の一族、その領土、領民の命運が彼の肩に掛かっている。

 そのありえない重みに全身が押しつぶされそうになっていた。


 十二で母を亡くし、烈侯家の跡継ぎとして迎えられた。

 この日がいつかは来るとわかっていた。

 しかし、いつかはいつかであり、今すぐだとは思っていなかったのだ。

 できるのならば、妹に譲ってしまいたいとさえ考えていたのに。

 狼奇は自分の甘さを否応なく思い知らされていた。


 昨夜は、一睡もできなかった。




***




 貞固館に、臨王である武信公をはじめ舜国の重臣が集まった。


 北の上座に武信公、文成公を迎え、左に烈侯家、王家に属する武官たち、右に采侯家及び朝廷の文官たちが、向かい合って座っていた。


 すべての扉を閉ざした部屋は薄暗く、温くよどんだ空気に満ちていた。


 狼奇は無意識に、襟を片手で引いて緩めた。


 向かいに座っている皓之(こうし)は、ごく自然な態度で、涼しげな顔に薄く笑みを浮かべている。

 采侯家を背負って立つ同い年の友人を、複雑な思いで狼奇は見た。


 目が合うと、皓之は青い目を細めて笑って見せる。

 狼奇は一つ息を吐くと、片方の眉を上げて笑い返した。


 昔から誰に笑われようとも、ぼんくらな跡継ぎだと言われようとも狼奇が気にしたことはなかった。

 しかし、皓之に度胸がないと、小心であると思われたくはなかった。


 そう、笑うしかない。

 どんなときでも、余裕があるように見せなければいけないのだ。


「皆々様、お揃いでございますかな。それでは詮議を開始いたしましょう」


 宰相である宋義(そうぎ)が立ち上がり、百名あまりの参加者を見渡して宣言した。

 初老の男は、慣れた風情で朗々と抑揚豊かに話し始める。


「まずは卑しき猪狄(いてき)を大いに打ち破ったこと、御目出度き仕儀にございます。御帰還された皆様にお喜びを申し上げます。また、烈侯はじめ図らずも命を落とされた将及び兵の無念はいかばかりかと愚臣の心も痛まぬところはございません。次こそは敵を殲滅し、王都が解放されること、間違いなしと信じてやみません」


 そこで一息つくと、宋義は場を見渡した。


「さて、この戦においての功績をいかようにして定めるべきか、皆さまのご意見を伺いましょう」


 すぐに立ち上がった文官がいる。

 

「第一には、何よりも武信公の名をお挙げすべきです」


 やや甲高いその声が、部屋に響く。

 四角い顔に、やや離れた目が左右に動くその男は、宋義の部下、董辰(とうしん)だった。


猪狄(いてき)の軍を率いる赤虎将軍をお討ちになられた勲功はもとより、烈侯軍よりもはるかに多くの兵を失う死闘を繰り広げられた王軍の将である武信公こそが第一の功労者でございましょう」


 笑みを浮かべ、それが万物の真理であるかのように堂々と述べる姿に、その場の者たちは思わず飲み込まれそうになる。


 臨王である武信公幹蒙(かんもう)は、太い腕を組んだまま、笑みを浮かべ真っすぐに前を睨んでいる。


 この董辰の言葉に反論すれば、臨王の不興を買うことは明白だった。


 静寂が大広間を支配する。

 顔を下に向け、密かに何人かが目を見かわすが、誰も声を上げなかった。


「赤虎の首はない。未だ生死は不明だ」


 沈黙を狼奇の鋭い声が破った。

 十万の兵を率いる将軍の声は、張り上げる必要もなく、悠々と部屋中に響いた。


 出席者、百名あまりの視線が狼奇に集中する。

 自然体で椅子に座った烈侯家の跡継ぎは、無表情に臆することもなくその視線を受け止めた。


「我が烈侯軍が猪狄と正面からぶつかり、戦いの趨勢を決めたことは、戦場にいたお歴々には明らかだろう」


 狼奇は董辰をまっすぐに見た。

 横顔に、武信公の怒りの視線を感じたが、あえて顔は動かさなかった。


「何ゆえに先陣が武人の名誉かご存じか」


 狼奇の隣から高い女の声がした。

 征坤(せいこん)将軍、朱苛である。


「先頭を切る者は最も危険であり、死を覚悟して名誉を求めるもの。私を信じて闇夜に崖を駆け下り、敵陣真っただ中に降り立つ危険を冒して生き残った我が軍、我が部下に名誉と勲功を与えずして、私は将軍を名乗れません」


 更に征艮(せいこん)将軍、皓之が口を開いた。


「死者を以て勲功を図るのは常道とは言えない。我が采侯軍は、今回の戦いでほとんど戦死者を出していないが、総大将に課せられた役割は十二分に果たしている。それが用兵というべきもの。正当に評価いただかなくては、我が軍が出陣した意味がない」


 戦場で兵を率いる将軍たちに畳み込まれ、董辰は言葉を失った。

 ひきつった笑みを浮かべながら宋義に視線を送る。


 宋義も笑みを浮かべながら、内心では冷や汗をかいていた。

 いかに武官が戦おうと、その評価は文官を交えて行う。

 大体において武人は口が上手くない。

 ゆえに論戦で武官を黙らせること、文官が考えたように話を進めることは簡単なはずだった。


 しかし、この三人の将軍たちは二大侯家の子女であり、全く文官に、董辰の弁にひるむ様子がない。

 思いがけない困難に直面した宋義は、武信公を振り返った。


 怒りに顔を赤らめている武信公を見て、宋義は悟った。

 武信公にこの場で、自らの功を論じさせるのは上策ではない。

 怒りに任せて怒鳴りちらすのが落ちだろう。

 慌てて、宋義はわざとらしい咳ばらいをした。


「なるほど、皆さまの仰せ、ごもっともでございます。しからばいかがでございましょうか。武信公、征乾(せいかん)将軍征坤(せいこん)将軍、征艮(せいこん)将軍の四方を等しく武勲ありといたすべきかと」


 そのとき、部屋の隅で立ち上がる者がいた。


「あの、その」


「何か。しっかりと申せ」


 宋義が年若い武官を叱咤する。

 ためらっていた武官は、覚悟を決めたのか、立ち上がって声を張り上げた。


「王軍を統率し、奮戦された呂馬(りょば)様の功は低からぬもの。どうぞ先の将軍方と同様に勲功をお認めください」


 呂馬の部下だった。

 その場にいた誰もが呂馬を見た。

 歴戦の老将軍は、腕を組んだまま前を見つめ微動だにしなかった。


 宋義が促す。


「呂馬殿、将軍、いかがか」


 白い髭をひとつ撫で、割れた声で呂馬は答えた。


「王軍を率いられたのは武信公。私の功ではございません」


 若い武官は将軍を驚きの顔で見た。

 その場に、重い沈黙が降りた。




***




 会議が終わり、自室に引き上げた武信公幹蒙(かんもう)は、椅子を蹴り倒した。

 手近にあった花瓶をひっつかんで壁に投げる。

 派手な音を立て、陶器が砕け散った。


 怒りに肩で息をすると、血走った目で周りを見回す。

 怯えた従者たちが部屋から逃げ出した。


 誰もいなくなったことを確かめ、扉に鍵をかけると、幹蒙は部屋の奥にある棚から小さな箱を取り出した。


 慎重に太い指で箱を開けると、その中から光り輝く巨大な宝玉が現れた。


 荒い息で、美しいきらめきを見つめる。

 透明の金剛石の奥に、うっすらと赤い星が光る。

 目を瞬く度に、赤い輝きが右に、左に幻のように揺れ動いた。


 ――俺が王だ。


 その確信が幹蒙を落ち着かせる。

 彼は冷静に考えた。

 何が悪かったのか。


 そう、烈侯家、采侯家と二つあるのが良くないのだ。

 王家と二大侯家では、二対一の構図になる。

 どちらかをつぶせばよいのだ。


 光り輝く宝玉を片手に、幹蒙は薄く笑みを浮かべた。



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