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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第四章 西域会戦
34/81

33.王子と浮浪児



 五月が終わろうとしていた。

 江邑(こうゆう)の風は熱く、早くも夏の訪れを感じさせた。


 大きく開け放たれた窓から、伯洛(はくらく)は青い空を見あげた。


 討伐軍は、兄たちは、今どこにいるのだろうか。

 戦は終わったのだろうか。

 王都冠城(かんじょう)で籠城を続けている民は無事なのだろうか。


 なにより、聖宮の斎女は。


文成公(ぶんぜいこう)、いかがされましたか」


 声をかけられて伯洛は正気に返る。

 顔を窓から正面に立つ老人に戻した。


「失礼しました、博士。講義を続けてください」


 博士と呼ばれた腰の曲がった老人は、いかにも人が好い笑みを見せ、目尻に深い皺を作った。


「本日はもう三時間もお話をしておりますな。そろそろ終わりにいたしますか」


「いえ、大丈夫です」


 生真面目な少年の言葉に、老人が片目を見開いたとき、扉を叩く音がした。


 少し開いた扉から侍女が顔を出す。


「失礼いたします、公。その、例の少年が参っておりますが、いかがいたしましょうか」


 老博士はしわがれた声で高く笑った。


「ご友人がいらっしゃいましたな。良い頃合いです。時に良く学び、また良く遊ぶことです」


 伯洛は苦笑した。


「そうですね。では、博士、続きは明日お願いします」


「はい、確かに承りました。それではまた明日お伺いいたしましょう」


 痩身の老人は、にこにこと笑うとゆっくり部屋から出ていった。

 入れ替わるように、扉から黒っぽい栗毛の頭がのぞく。


「入ってもいいの?」


 甲高い少年の声に、伯洛は笑った。


「いいですよ。弧張(こちょう)、どうぞ中に」


 良く日に焼けた、そばかすの散った少年が、部屋に入ってきた。


「本がいっぱいだね。勉強中だった?」


 ぱたぱたと足音を立てながら近づき、伯洛の座っている書卓を覗き込む。

 伯洛は微笑んだ。


「休憩したいところだったので、ちょうど良かったのですよ」


 気まぐれにふらりと遊びに来るこの少年を伯洛は気に入っていた。

 王子であり、公爵でもある伯洛に、気後れすることなく、好奇心のまま飾り気なく弧張は話しかけてくる。


「すごいね。この本、全部読むの?」


 机に積み上げられた分厚い二十冊ほどの書物をあきれたように弧張は見た。


「私は大学に行っていないので、その分、きちんと勉強をしないといけないのです」


「へえ、大変だね。何書いてるのかさっぱりわかんないや」


 座ったまま伯洛は、不思議そうに弧張を見上げた。


「そうですか? この字とかは小学校で習いませんか?」


「だって俺、学校行ってないし」


「えっ、なぜ。子供は学校に通わせないと親が罰せられるでしょう」


「そんな親いないし」


 伯洛は驚いた。

 何と聞くべきかためらいながらも確認する。


「その、ご両親がいなくて、住むところなどは問題ないのですか」


 親から何か資産が遺されているのだろうか。

 粗末な服装を見るにつけ、とてもそのようには思えなかった。


「家なんてないよ。でも似たような仲間はいっぱいいるし。大体城壁の穴とかに皆でまとまって住んでるよ。江邑(こうゆう)は冬でも凍死したりしないし、使い走りして小銭を稼げば食ってける」


 あっけらかんとそういう弧張に、伯洛は二の句を継げなかった。


 孤児がいることは知っている。

 浮浪者がいることも知っている。

 王家は、為政者はそういった恵まれない哀れな民が出ないように善政を布かなければならない。

 そう伯洛は教えられてきた。


 伯洛の知る哀れな民とは、悲しみ深く、暗い顔をして救済を待つ者だった。

 目の前で明るく元気に笑っている少年は、伯洛の理解の外にあった。


「すいません、私は何も事情を知らなくて。その、いつも弧張が笑っているからそんなところに住んでいるとは」


「だって笑顔でいないと仕事がもらえないんだよ。一緒に住んでる仲間でも、すんごく暗い顔して、大人の悪口ばっかいう奴いるけど、そういう奴は使いっ走りの小銭稼ぎの仕事をもらえないんだ。笑ってるほうが可愛がってもらえるんだよ」


 返事もできない伯洛に構わず、弧張は背中に背負った荷を下ろした。


「あ、そうだ。頼まれたの持ってきたよ。これでいいのかな」


 荷物を包んでいた布を開くと、小さな木箱と、丸められた紙の束が現れた。


「ああ、良い紙ですね」


 手にした伯洛は、笑みを漏らした。

 紙を一枚広げ、左右の端を本で押さえる。

 木箱を開け、木炭を一つ手に取った。


「あ、すごい。上手いね」


 伯洛の手が滑るように紙の上を動く。

 見る間に描かれる絵に、弧張は感嘆の声を上げた。


「絵を描くのは久しぶりです。道具がなくて困っていました。弧張、何かお礼をしたいのですが」


 自分の気晴らし、遊びのための道具を侍女に言って用意させるのは気が引けた。

 王都が敵に襲われ、兄たちは闘いの最中にいる。

 それで、伯洛は弧張に画紙と木炭が手に入るかと訊いたのだ。


「いいよ、そんなの。夫曽(ふそ)の旦那が王子様が欲しいって言ってるって言ったらさ、代金はいらんって。これを王子様にお渡ししろって。はい」


 仰々しく夫曽(ふそ)の屋号とうたい文句が記された名刺を弧張は伯洛に渡した。


夫曽(ふそ)の旦那はだいたい何でも扱ってるけど、大体なんでも適当だからまあ適当に便利だよ」


 それは良いのか悪いのか。

 良くわからずに、伯洛は名刺を手にしばし考えた。


「あっ、そうだ。一つ教えてほしいことがあるんだ」


「何ですか」


「趣味の良い服ってどうやって選ぶの? 伯洛様の服、なんかいつみても格好いいなって」


 伯洛は小首を傾げた。

 どう考えても弧張が自分の服を選ぶことに困っているとは思えない。


「それは誰が着る服なのですか。その、やはり服は男性、女性で当然全く違います。同じように年齢が違っても、あるいは仕事、役職、身分によっても相応しいものが変わってしまうのです」


「あのね、狼奇(ろうき)様の服なんだけど」


征乾(せいかん)将軍ですか」


 思わず伯洛は片手で口元を押さえた。

 なるほど、確かに服の趣味が良いとは言えない。


「なるほど。少し考えてみましょう」


 笑い含みに伯洛はそう言った。

 弧張を話し相手に送ってくれたのも狼奇だ。

 彼の役に立てるのであればそれも礼になるだろう。


「この鳥、見たことないや。冠城(かんじょう)にいるの?」


 弧張が画紙を覗き込み、首を傾げた。


「いいえ、いません。この鳥は渡渡鳥(ドードー)というのですが、どこにもいないのです」


 伯洛は寂し気に微笑んだ。


「なんで? 想像の鳥?」


「いいえ、本当にいたのですよ。昔は」


 伯洛は窓から空を見上げた。


「とても遠い海の中にある島にこの鳥は住んでいたのです。実はこの渡渡鳥(ドードー)は飛べなくて、地面をのんびり歩いて餌を食べます。その島には人間がいなかったので、それで問題はなかったのです。ところがあるとき、難破船がその島に打ち寄せて、初めてその島に人間が入りました。そして、その人間たちはあっという間に渡渡鳥(ドードー)を食べつくしてしまったのです」


 時代遅れで、間抜けな、愚か者を渡渡鳥(ドードー)と呼ぶ慣習があった。

 進化に取り残された哀れな生き物。

 それでも人がやってくるまでは、楽園で繁栄していたのに。


「へえ、初めて聞いた。この鳥、肉が多そうだし、美味しそうだね」


 明るい弧張の声に、伯洛は弾かれたように振り返った。

 弧張は何の疑問もない目でまっすぐに伯洛を見返した。


「そう、そうですね。そうかも知れません」


 震える声で、伯洛は呆然とそう答えた。



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