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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第四章 西域会戦
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31.転機



 烈侯梁桀(りょうけつ)は、小高い丘に設けた本陣から戦場を見下ろしていた。

 見るからに逸品とわかる豪華な鎧、左右に林立する旗は、彼が総大将であることを示していた。

 鷲のように鋭い目が、じっと戦場を見つめる。

 口元には薄い笑みが浮かんでいた。


 総大将として、満足のいく状況だった。

 烈侯軍は、奇襲によって動揺した猪狄(いてき)を正面から叩き、大きな損害を与えた。

 敵軍は今、東に控えていた王軍に死に物狂いで襲い掛かっている。


 後は敵将を討ち、数を大きく減じた猪狄(いてき)兵をできる限り撃ち殺していくだけだ。

 日が暮れるまでに片が付く。


 すべてが目論見通りに動いている。


 息子と娘の将軍としての働きにもこの上なく満足していた。

 どうにも朝廷での立ち回り、論戦に長けていない兄妹ではあるが、武将としては十分すぎる力がある。

 二人ともまだ若い。年とともに自然と権謀術数にも慣れるだろう。


 泰然として構えていた烈侯の元に、急使の馬が駆けつけた。


「臨采侯より総大将に申し上げます!」


 太い眉を烈侯は寄せた。

 臨采侯皓之(こうし)は、王軍の更に東に付かせている。

 猪狄(いてき)が王軍を突破した場合に備えているはずだった。


「東、王都冠城(かんじょう)方面より、多数の武装兵が接近中。采侯領内で近年暴れている乱賊、魁傑(かいけつ)の軍団と思われます!」


「多数とはいかほどだ」


 いささかも動揺を見せず、烈侯は訊いた。


「えっ、あっ、その数千かと。いや、万に達するかもしれません」


「随分とあいまいだな。臨采侯はその魁傑(かいけつ)とやらを知っているのか」


「はい、それはもう。何度も領内で戦っておりますので」


 使者はまだ若く、ずいぶんと動転しているようだった。


「で、臨采侯はどうすべきと言ったか」


「い、いえ、その烈侯にご報告しろとしか」


「使えんな」


 短く烈侯は言った。

 側近の一人が馬を近づけた。


「梁桀様、この者を返しても埒があかないかと。こちらより使者を出しましょう」


「いや、わしが行く。臨采侯と直接策を決めた方が早い」


 勝利が目前にあり、もうすぐにこの掌に落ちようとしていた。

 考え抜かれた作戦を乱す闖入者(ちんにゅうしゃ)の忌々しさに烈侯は軽く舌打ちをした。




***




 側近十人ばかりと、馬を進めていた烈侯梁桀(りょうけつ)は、王軍と猪狄(いてき)の交戦地域の近くにまで来ていた。


 万全を期して戦場を回避し、南に大回りをしていくには時間が惜しかった。

 水を引き入れたまま放置された農地の畔道(あぜみち)を縫うように進む。


 戦場の喧噪を聞きながら、梁桀は馬を急がせた。

 突然、農地の間に放置された小さな雑木林から、突然、歩兵が二十人ほど飛び出してきた。


 決死の叫びをあげ、兵士は烈侯たちの馬の脚、体に次々と切りかかる。

 側近たちが即座に応戦し、あっという間に歩兵たちは切り殺されていった。


 そのとき、烈侯の馬が目の前に飛んできた剣に驚き、畔道から足を踏み外した。

 田の泥に足を取られた馬がどうと横に倒れる。

 烈侯が田に投げ出された。


 日にきらめく豪華な鎧は明らかに大将のもの。

 大手柄を求め、雄たけびをあげて、猪狄の兵が走り寄る。

 泥を飛ばし、少しでも前に出ようと必死に走る。


 泥に投げ出された烈侯は、横倒しになった馬に下半身を取られ、抜け出すことが出来なかった。

 側近たちが馬を降り、叫びながら駆け寄ろうとするが、やはり泥に足が止まる。


 動けない烈侯に、猪狄の刃が襲い掛かった。




***




 急報を受け駆け付けた狼奇(ろうき)は、(むしろ)に横たわった父と、その隣に項垂れひざまずく妹を見た。


「親父」


 声まで蒼白にして、狼奇は駆け寄る。

 地に膝をつき、顔を覗き込むと、生気の失せた目がぎょろりと狼奇を見上げた。


「狼奇か」


「ああ、俺だ。どうしたんだ」


 死にゆくもののかすれた声に負けないほどに、狼奇の声も乾いていた。

 父のどす黒い顔は、もう時間がないことを示している。


 思いがけず、梁桀の手が動いた。

 息子の胸倉をつかむと、力強くぐっと引き寄せる。


 狼奇の耳に、梁桀は唇を寄せた。


「逃げるな、王となれ」


 かすれきった小さなその声に、狼奇は雷に打たれたように硬直した。


 すぐに胸倉をつかんでいた手が落ちる。

 大きな目が焦点を失い、光を失った。


 朱苛(しゅか)が父の手を握り、顔を伏せて肩を震わせた。

 妹の小さな嗚咽が、やけに遠く聞こえた。




***




 不測の事態で総大将を失った(しゅん)国討伐軍は、将軍たちの合議により、軍を取りまとめ江邑(こうゆう)へ引き上げることと決した。


 王都からの脱出者を襲い、金品を巻き上げることに味を占めた乱賊が、東からなだれ込んできている。猪狄(いてき)を掃討しようとすると、東西から挟撃されることになる。それよりは、南に退却することで、乱賊と猪狄にお互いを攻撃させた方が良い。


 撤退する(しゅん)国討伐軍は、王軍三万八千、烈侯軍七万六千、采侯軍二万。

 それぞれ一万二千、四千、二百を失った。


 対する猪狄(いてき)は、総勢五万五千のうち、三万の骸を戦場に残した。

 采侯領からやってきた乱賊との乱闘の後、残兵は乾坤(けんこん)山脈の奥に消えた。


 軍が消えた戦場は、その後しばらく、近隣の住民が歩き回っていた。

 王都冠城(かんじょう)内に逃げなかった民衆が、死体の間を歩き回り、鎧、剣はもちろん、小銭などの金目のものを拾って歩いた。


 日が暮れると、烏や野犬が死体を食い荒らす。

 広大なかつて草原だった荒れ地に凄惨な光景が残された。



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