29.正面攻撃
夜明けの平原を、万の騎兵が横一線に進む。
ほの暗い朝日が、武装した人馬と、林立する旗を影絵のように黒く映し出す。
見渡す限りに続く馬の列が一歩足を進めると、大地が沈み重く揺らいだ。
火の手が迫る自陣から燻し出され、取る物も取り敢えず逃げ出した猪狄の兵たちにとって、それは絶望的な光景だった。
しかし、敵の姿に武人としての矜持を奮い立たせて立ち上がる者たちもいた。
夜襲のために混乱に陥った猪狄には統一された指揮がない。
それでもそれぞれの小隊が、隣接する部隊たちと声を掛け合い、わずかな時間の間に敵を迎え撃つ準備を整えようと、必死の努力が行われた。
大急ぎで武具をまとい、馬を引き出した猪狄たちは勇猛な雄たけびを上げて、逆茂木を内から蹴り飛ばして陣の外に出る。
次々と騎馬軍団が飛び出し、その数は千を超えようとしていた。
ようやく陣容らしきものができ始めたとき、烈侯軍の中央から無慈悲な号令が響いた。
「突撃!」
征乾将軍狼奇の声に、野太い男たちの歓声が上がる。
合図の鐘が中央から、右へ、左へ滝の水が落ちるように伝播する。
雄たけびを上げる烈侯軍の騎兵が、横一線で猪狄に襲い掛かる。大地は揺れ、わめき声と金属音が響き渡る。
乾坤山脈から吹き下ろす風が、陣を焼く炎を容赦なく煽り、むせるような煙と人馬を焼く異臭が戦場に満ちあふれた。
「一兵たりとも逃がすな! 殲滅しろ!」
突撃の勢いに押され、猪狄が総崩れとなる、そう思われた瞬間だった。
先頭に立って猪狄の騎兵を切り捨てていた烈侯軍の兵が、駆け寄った騎馬の男に一刀のもとに切って落とされた。
その赤い鎧の男は瞬時に馬の首を巡らし、次々と烈侯軍を切り捨てる。
止まることなく滑らかに動き続ける長槍が、四方に血を振りまいた。
馬から投げ出され、地にもんどり打って倒れていた猪狄の兵が、その男を見上げて歓喜の声を上げた。
「赤虎将軍!」
「しっかりしろ! まだ勝負はついていない! 立て!」
兵を一喝すると、赤い鎧の男は獲物を求めて更に馬を駆り立てた。
「将軍だと? その首を取れ!」
烈侯軍の騎兵たちが色めき立つ。
敵大将の首を取れたら大手柄である。
「赤虎将軍、ご健在だぞ! 皆集まれ! 陣を整えよ!」
猪狄の騎兵たちが喉をからして叫ぶ。
敵味方が入り乱れ、雄たけび、叫び声が響き渡る。
土煙と火煙に恐ろしいほど視野が狭まる。
戦いはまだ始まったばかりだった。
***
丘に造られた急ごしらえの物見櫓から、戦場を見下ろしていた武信公幹蒙が怒声を上げた。
「どういうことだ! 烈侯軍ですべてを終わらせるつもりか!」
側に控えていた歴戦の老将軍呂馬は、白い髭を片手でしごきながら、苦笑した。
「征乾将軍は、良く攻めています。終わるかどうかは猪狄次第ではございますが、出来ないことはないでしょうな」
二十四歳の臨時の王は、怒りに身を震わせた。
「ふざけるな! 総大将を烈侯に譲ってやっただけでも、眠れないほどに口惜しいのに、この上、武勲までをもすべて取る気か! 猪狄を倒し、王都を解放するのは、王であるこの俺であるべきだろう!」
力任せに櫓の手すりを蹴りつける。
丸太の骨組みだけで作られた櫓が、大きく揺れた。
老将軍こそは顔色を変えずに立っていたが、他の従者たちは顔を青くして手すりにへばりついた。
「今すぐに烈侯に伝令を出せ! 猪狄の軍勢をこちらに押せと。奴らの息の根を俺が止めてやる!」
睨みつけられた従者の一人が、声まで青くして承知しましたと叫び、櫓から飛び降りるように走り出した。
***
更に離れた丘から、臨采候である征艮将軍皓之が、部下たちと共に戦場を見渡していた。
「征乾将軍、お見事ですな」
部下の声に、皓之は苦笑した。
「本当にね。強いね」
同じ年に大学を出てそれぞれの領地で戦ってきた。
皓之は初めて、狼奇が戦うところを自分の目で見たのだ。
「まいったな」
その声は小さく、部下たちの耳には届かなかった。
「王都の門が開いたときに逃げ出した者の一部が東に向かったとか」
部下の一人の声に、皓之は振り返った。
「本当か、それはまずい」
「はい、采候領の反乱軍がかなりこちらまで迫っています。下手に東に行けば、連中にとらわれるかと」
「南に逃げてくれるといいんだけどね。魁傑の勢力内に入ると、私がこう言うのはなんだけど、どうしようもない」
采候領内では、様々な反乱軍がそれぞれの勢力範囲を主張して戦いを繰り広げている。その勢力圏内に入ってしまえば、采候軍ですら手を出せないのだ。
近年、魁傑という頭領を得た集団が力をつけている。
連中を鎮圧しようと激戦をしていた最中に、皓之は父の訃報を聞いたのだった。
戦いを副将に任せて、江邑に向かったのは間違いではなかった。
しかし、残された者たちはどうなっているのか。
やりきれない思いを抱えたまま、皓之は戦場を見下ろした。
混乱から抜け出れない敵を、烈侯軍は整然と陣形を保ったままに攻め立てる。
長大な戦線ではあるが、厚みが十分にあり危うげなく見えた。
時間はかかるが、そのまま押しつぶすかと思われた。
皓之たちが見守る先で、敵陣の奥から突然ごく小さな騎兵の集団が現れた。
皓之が息を呑む。
「望遠鏡を」
手渡された望遠鏡を皓之が構えようとする間にも、事態は動き続けていた。
騎兵の集団は敵陣西奥から、東手前まで斜めに走り抜けようとしていた。
数万の軍勢が蠢くなか、わずかに三百で何ができるのか。
「朱苛!」
覗く望遠鏡の向こうに小集団の先頭を走る朱苛を見て、皓之は絶句した。
なんと無謀な。
突然背後から襲いかかられた猪狄軍の狼狽は激しかった。
ようやく夜明けから続く混乱から立ち直ろうとしていた、そのときに自陣から襲われたのである。
必死になって立て直したばかりの陣形を斜めに突き破られ、更には正面から横一線に並んだ烈侯軍の圧力を受け、猪狄の軍は完全に指揮系統を喪失した。
混乱を極める戦場は、敵味方が入り乱れていた。
組織的に戦うことは難しくとも猪狄たちはそれぞれの兵が武勇を見せようと奮戦した。
敵陣を斜めに突破しようとする朱苛に、猪狄たちが襲い掛かる。
一人が馬の足を狙い、一人が鞍から引き落とそうとする。
足を取られた朱苛の姿が、望遠鏡の像から消えた。
皓之が息を呑む。
やられたかと思った瞬間、猪狄たちは朱苛の左右を固める騎兵たちに踏みつぶされた。
鞍から片足を残して落ちそうになっていた身を器用に引き上げ、朱苛は鐙に両足を踏ん張り立ち上がった。
馬に立ち上がった朱苛の姿と、左右に上がる征坤将軍の旗に、前線の烈侯軍の兵士たちが雄たけびを上げた。
油に火を放ったように士気が燃え上がるのが、遠くにいる皓之たちにも良くわかった。
「やあ、これは大した戦女神だ」
皓之はそういうと、抑えきれない笑いをもらして首を振った。
まったく、この兄妹はどうなっているのか。
そのとき、丘の下から、馬が駆けつけてきた。
「征艮将軍に申し上げます。総大将烈侯より伝令。臨采候軍、全軍を率いて王軍の後ろを守られたし」
王軍は烈侯軍の東に展開している。
さらにその後ろということは東側が突破される可能性があるのか。
「確かに承った。臨采候軍、王軍の背後に移動する」
皓之は鋭く答えると、天を見上げた。
日はまだ中天に届かない。
長い一日となりそうだった。
***
目に染みる汗に眉をしかめ、狼奇は槍をふるいながら、ひっきりなしに左右に叫び続けていた。
「飛び出すな! 隣と合わせろ! 退くな!」
戦端を開いてすでに四時間、まだ陣形を保てていることが奇跡的だった。
疲労が激しい兵を交代させるよりは攻め切ったほうが早い。
もう一度、全軍に発破をかけようとしたときだった。
「伝令! 征乾将軍に伝令です!」
狼奇に向かって伝令の騎兵が駆けつける。
将軍旗が周囲に上がってはいるが、良くこの戦場で伝令相手を見つけることができたなと、狼奇は妙に感心した。
「ここだ! なんだ!」
周囲の騒音に負けないように叫ぶ。
「総大将、烈侯より伝令! 猪狄の軍を東に押し出し、王軍に向かわせるようにと!」
伝令も声を大にして叫ぶ。
こうなると機密も何もあったものではない。
「ふざけんな! こっちが終わらせようとしてるのに何寝言言ってやがる!」
狼奇は、瞬間的に、目を見開き口汚く罵った。
伝令は、将軍の怒気を浴びて縮こまった。
それを見た狼奇は大きく息を吐き、天を見上げる。
全力で槍を地に突き立てた。
伝令を振り返る。
「わかった。やろう」
将軍の怒りに固まっていた伝令は、安堵の表情で頭を下げ、引き返した。
狼奇は部下を呼び寄せる。
いつものように、軽く笑って見せた。
「西を先頭に前線を横一線から、斜めに組みなおす! 猪狄を東に流すぞ!」
烈侯軍に合図の銅鑼が鳴り響いた。




