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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第一章 王都黒風
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02.七年遅れの立太子式 (2)



 (しゅん)国王都冠城(かんじょう)は、北は山、南を河に守られ、さらに四辺を堅牢な城壁に囲まれていた。

 都の北端には王宮と聖宮がある。


 王宮には王家一家が住まい、舜国を治めるための各種の政庁がある。

 黒い御影石で作られた王宮は、地上の権力の象徴だった。


 聖宮には斎女さいじょと呼ばれる巫女を頂点とした、神官たちが暮らしていた。

 白い大理石で作れらた荘厳な大聖堂を守るように、八つの高い尖塔がそびえている。

 柱や門、屋根には天上の神々を模した華麗な彫像が飾られていた。


 天上の栄光を象徴するその聖宮に、舜国の貴族、高官が集まっていた。

 次の王となる、王太子を定める儀式が、聖宮で執り行われるのだ。


 聖宮に向かうために、伯洛はくらくは母と一緒に馬車に乗った。

 王宮の隣ではあるのだが、なにしろどちらも敷地が広大なため、歩いては日が暮れる。


 車寄せで降り、母の後について大聖堂へ向かった。


 伯洛の三倍は高い巨大な扉を、神官たちがうやうやしく押し開く。

 薄暗く巨大な広間が、母と伯洛の目の前に広がった。


 大聖堂の中央にある大礼拝室の通路を、王后昭蝉(しょうぜん)がゆっくりと進んだ。

 赤い絨毯を踏むと、昭蝉の髪を飾る繊細な金細工がさらさらと音を立てて揺れ、天井からの光を反射した。


 三歩遅れて伯洛が歩く。

 大礼拝室には、貴族や高位官僚たちが序列に従って並んでおり、王后と伯洛がそばを通るに従い、頭を下げて礼を取った。


 三月であるにも関わらず底冷えのする空気に、伯洛は軽く身震いをした。


 大礼拝室の高い天井は十(メートル)を超え、大きな半球状の色鮮やかな硝子(がらす)がはまっている。通路の赤い絨毯におちる幾何学模様の赤や青、黄色の影を伯洛は踏んだ。


 母の背中を見ながら通路を歩いていた伯洛は、突然足を止めた。

 通路のすぐ左に空きがあったのだ。

 国事の式に遅れる不埒者がいる。

 自分が式を欠席しようとしていたことを忘れ、伯洛は眉を寄せた。


 最前列となる王家のすぐ後ろになるこの列は、舜国最高の貴族である二大侯家の席のはずだ。


 伯洛が通路の右を見ると、金髪の目が覚めるような美男子が、柔らかい微笑みを浮かべて頭を下げた。

 二大侯家の一つ、采侯(さいこう)の長男皓之(こうし)だ。


 では、この左の席は、烈侯(れっこう)の長男、狼奇(ろうき)のものか。

 噂にうとい伯洛でさえ、狼奇の素行の悪さは知っていた。

 いわく、礼儀知らず、まともに役目もこなさない、と。


 その空席の隣にはあからさまに不機嫌な男がいた。背が高く、どっしりと横にも大きい。精悍な彫りの深い顔にうがたれた切れ長の黒い目が、苛立ちをあらわに天井を睨んでいた。

 烈侯梁桀(りょうけつ)だった。

 二大侯家の一つ烈侯は舜国建国時から代々の権門であり、西方国境に接する広大な封土を持つ。


 その隣には、二十歳ばかりのすらりとした男装の娘が立っていた。

 女としては長身であり、一つに括った長い黒髪の他は男の姿と変わらない。

 切れ長の涼やかな黒い目が伯洛を捕えた。

 人を寄せ付けない固く冷たい表情のまま、娘は姿勢正しく頭を下げる。

 烈侯の息女、征坤(せいこん)将軍朱苛(しゅか)だった。


 伯洛が最前列の空席に収まると、それを待っていたかのように聖宮の八つの尖塔の大鐘が一斉に鳴り出した。不揃いな大きな音が、屋根の向こうから響きわたる。列席者たちは、始まりの合図に背筋を伸ばし、前へ向いた。


 七段ある階段の上に作られた聖壇に、列席者の視線が集まる。

 無数の燭台と金銀で飾られた聖壇は、薄暗い大礼拝室で神々しく輝いていた。


 聖壇の影にある扉がゆっくりと開いた。


 飾り一つない真っ白な装束をまとった神官に導かれ、華麗な正装に身を包んだ中年の男と、若い男が現れた。

 国王燕亥(えんがい)と、長男の倫在公(りんざいこう)馮英(ばえい)である。

 国王の頭上には、巨大な碧玉、紅玉、金剛石で飾られた黄金の王冠が輝いていた。

 二人は、神官に先導され聖壇へと足を進めた。


 伯洛は、最前列から父と長兄を見守った。

 七年前に王太子となるはずだった馮英が、ようやく今日、王太子となるのだ。

 一体なぜ、七年も延期されたのか、十四歳の伯洛は理由を教えられていたなかった。

 自分が頼りないからだとわかってはいたが、面白いことではない。


 父王と長兄が聖壇の正面に立つと、小さく鈴が鳴った。


 静かな大礼拝室が、わずかにざわつく。

 咳払いの声、服がこすれる音が、大きな空間にこだました。


 誰も動かない。

 おそらくはほんのわずかな時間だったのだが、伯洛には永遠とも思える長い空白だった。


 突然、聖壇の奥から、白い少女が現れた。

 表情のない白い顔、腰に達する長い銀の髪、薄く透けるような白い祭服。

 聖宮の主、斎女と呼ばれる巫女だった。


 室内の空気がぴんと張り詰め、温度が一度に下がった。


 聖壇の周りに並ぶ二十人の神官たちが一斉に膝を地につけ、頭を下げる。

 大礼拝室に並んだ貴族、高官たちも立ったまま頭を下げた。

 国王燕亥でさえも、慣れない様子で堅苦しく頭を下げた。


 少女は眉毛ひとつ動かさず、大きな緑の瞳で、大礼拝室を無感動に見回した。

 十四、五にみえる少女がわずかに首を振ると、長い銀髪が胸に背に音もなく流れた。


 感情の見えないその顔は透き通るように白く美しく、あたかも人形が動いているかのようだった。


 その小さな白い(てのひら)に乗る信じがたい大きさの金剛石(ダイヤモンド)に、大礼拝室にいるすべての者の目が集まった。


 ほの暗い大礼拝室の中、金剛石は天井からのかすかな光を受け、それ自体が光を放っているかのように輝いていた。中空に浮かぶきらめきに、声にならない感嘆がこぼれる。


 斎女の手にある金剛石は王権を象徴する神玉だった。

 神玉は、次の王を斎女に教えるという。

 この舜国で神玉を手に取ることが許されるのは、斎女ただ一人。


 聖壇の上部に立った斎女はまっすぐに前を向いて動きを止めた。

 聖壇の下から王と王子が七段の(きざはし)を上る。

 少女の前で二人は膝をつき頭を垂れた。


 聖壇の脇から、真鍮(しんちゅう)の油壺を頭上に捧げ持った神官が近づき、膝をついた。


「我、次なる王に聖油を注がんとす」


 銀の鈴のように良く通る斎女の澄んだ声が大礼拝室に響いた。


 左手に神玉を持った斎女が、油壺に右の指を入れる。

 目の前に(ひざまず)く王子の額にその油を塗ろうとしたそのとき、薄暗い大礼拝室に鋭く明るい光が差した。


 弾かれたように斎女が顔を上げ、遠く正面の扉を見る。

 驚いた王や列席者も一斉に大礼拝室の入り口を振り返った。


 細く開いた扉の隙間から、一人の若い男がするりと中に入った。

 すぐに扉は閉められ、室内は再び薄暗くなった。

 視線という視線が集中していることに気づき、男は軽く笑って頭を下げた。


「失礼、遅れました」


 黒髪、黒目の良く焼けた顔に、どこか斜に構えた笑みを浮かべていた。

 言葉のわりには恐縮した様子もなく、男は堂々と通路を歩いて烈侯梁桀の隣におさまった。


「狼奇、いい加減にしろ。これ以上わしに恥をかかせるな」

「すまん、親父、悪気はなかったんだけどさ」

「悪気があったら絞め殺しているわ」


 烈侯と男は声を低く抑えていたが、あまりにも室内が静かなために、その会話は筒抜けだった。

 二人の隣で、男装の娘が首を振り小さくため息をついた。


 列席者たちがざわめきながらも、姿勢を正した。

 王や王子、神官たちも聖壇に向き直った。

 儀式の再開をその場にいる全員が待った。


 それなのに、斎女は正面を向いたまま身動きもせず固まっていた。

 呼吸を忘れ立ちつくす少女の顔は、真っ青だった。


「宮、聖油を」


 小さな声で油壺を捧げ持つ神官が囁いた。

 聖宮の主である斎女は正式には巫宮(きねのみや)といい、それを略して宮と呼ぶ。

 銀髪の少女は唇を震わせ、眉を寄せて目を閉じた。


 尋常ではない様子に神官たちがうろたえる。


「宮、いかがなさいました」


 目を閉じたまま、大きく何度か息を吐くと、斎女は決然と緑の目を見開いた。


「できぬ」


「えっ」


 少女の澄んだ声が室内に響き渡る。

 思いもかけない言葉に驚く神官には目もくれず、彼女は続けた。


「立太子はならぬ」


「宮、それは」


 (ひざまず)いていた王と王子が目を見開いて立ち上がった。

 驚愕のざわめきが波のように押し寄せる。

 浮足立った参列者たちが、それぞれ隣の者と顔を寄せて囁きを交わす。


 斎女は聖壇の上から、真っすぐに烈侯の息子、狼奇を見つめた。


(なんじ)、神玉に選ばれし者よ」


 一瞬にして大礼拝室が凍り付いた。


「神玉は汝の手に与えられん」


 鈴のごとく玲瓏(れいろう)とした声が、鋭く響き渡る。

 その言葉に多くの者が硬直した。

 神玉を手にするものは、すなわち王となる者。


「されど未だ時は満たず」


 狼奇は驚きに口を開けたまま、斎女を見上げていた。


 烈侯と朱苛が顔色を変えて、斎女と狼奇を交互に見た。

 狼奇は顔を動かすどころか、息をすることもできず、ただ斎女の緑の目を見つめていた。


「我、神玉と共にその時を待たん」


 そう言い放つと斎女は身を翻した。

 白い祭服の裾が宙を舞う。


 神官たちが血相を変えて押しとどめようとしたが、斎女は一顧だにしなかった。

 その姿が消えた途端、凍り付いていた室内の空気が弾けた。


「どういうことだ、狼奇、お前何をした」


 烈侯が息子の胸倉をつかんだ。


「いや、何もしてないって」

「ではなぜ宮がお前にあのように仰せになる」

「俺だって知らねえよ」


 大礼拝室の中は、蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。

 貴族や高官たちが顔をよせ、王家と烈侯家を見て囁きあう。


 最前列にいた伯洛は、聖壇に立ち尽くす父王と、長兄馮英が怒りに震えているのを見た。

 隣に立つ母の手をそっと握ると、冷たい手がきつく彼の手を握り返した。

 母の爪が手に食い込む。

 その強さに、嵐の到来に、伯洛は唇を噛んだ。




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