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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第四章 西域会戦
29/81

28.夜襲



 深夜二時半、夜明けまではおよそ二時間。

 下弦の月が細く夜空にかかる。


 乾坤(けんこん)山脈の中腹に、四百余騎の武人がいた。

 山肌を拭き下ろす風が松明の炎を激しく揺らす。


 峻厳な山脈を南北に抜けるための道がいくつかある。

 あまりの滑落事故の多さに数十年前に使用を禁止された道を彼らは登った。

 音を出さないように、人は口に布を含み、馬には板を噛ませている。


 切りたった崖の上に、朱苛(しゅか)は愛馬と共に立っていた。


 道は細く、馬を二頭並べることはできない。

 一頭ずつが縦に並び、暗闇の道に潜んでいた。

 馬の鼻からもれる荒い息遣いがあちらこちらから響く。

 蹄に蹴られた小石が崖を落ちる音が、不気味に聞こえた。


「鹿と火を」


 女将軍の言葉に、部下が頷いた。

 手足を縛られて人に担がれていた四頭の牡鹿が、慎重に道に下ろされる。

 興奮する鹿をなだめつつ、それぞれに距離をおき、角に松明を括りつける。


 指示を出していた男が、朱苛を振り仰いだ。


「将軍、よろしいですか」


「やれ」


 短く朱苛は答えた。


 押さえつけられていた鹿が放たれた。

 山手から人間に恫喝され、怯えた鹿は崖の下に逃げる。


 崖の上から見ると、垂直に落ちるような恐ろしい崖を、鹿は駆け下りた。


 途中で、二頭が足を踏み外して転げ落ちる。

 残りの二頭は地上にまで無事に降り立った。

 その角の松明の光跡を、崖の上の武人たちが必死に追う。


「見たか! 道は二つ! 行くぞ!」


 朱苛は叫ぶや否や、愛馬をあおった。


赫星(かくせい)号、行くぞ!」


 主人の鋭い声に応え、赤毛の馬は崖に身を躍らせた。


「将軍に続け!」


 垂直に落ちる恐怖を振り払い、彼らは雄たけびを上げ、馬の首にしがみつき次々と頭から駆け下りた。


 後ろからは銅鑼が鳴る。

 岩から足を踏み外した人馬が宙を飛ぶ。

 言葉にならない叫び声をあげ、朱苛たちは地上に降り立った。


 途中で滑落した味方には目もくれず、馬に括っていた松明を持って敵陣に火を放つ。


 烈侯軍精鋭三百余騎が、猪狄(いてき)の陣、最奥に乗り込んだ。




***




 背後を険しい山に預け、前面を防護柵となる逆茂木(さかもぎ)で守っていた猪狄の兵たちは、健やかに眠っていた。というのも、陣を布いてからすでに二週間、昼に敵と前方でにらみ合うだけで戦いもなく、緊張感が薄れていたのだ。


 突然の雄たけび、銅鑼の音、馬の(いななき)きに、猪狄の兵たちは飛び起きた。

 真夜中の陣が、放たれた火で赤く照らしだされている。


 まだ空は暗く、襲撃者の総数を把握することもできず、山肌にこだまする怒声に彼らは相当の多くの敵に襲われたと思い込んだ。


 自分の鎧を取り違え、人の馬を引き出し、武器も手当たり次第に探しあてる。間違いを指摘する者、それを蹴り倒す者で、陣中は騒然とした。


 そうする間にも、火の手は広がる。

 慌てて天幕から飛び出した者は、騎乗した敵に立ちどころに切り殺される。


 阿鼻叫喚の叫び声が、陣中に響いた。


 薄ぼんやりと夜空が明ける。

 崖の上には、数えきれないほどの旗と、松明が見えた。

 一体どれだけの敵兵に襲われたのか。


 燃え上がる人馬の悪臭が辺りに広がる。

 肌を炎に焼けつかせながら、朱苛たちは喉をからし、声を限りに叫び続けた。

 わずかに三百余騎、五万五千の敵をいぶりだすために、とにかく火を広げ続ける。


 武具をまともに身にまとう暇もなく、猪狄の兵たちは、火から、襲撃者から逃れるために、雪崩を打って南に走り出した。


 走るもの、馬を駆るもの、とにかく敵から逃げることを優先し、組織だった抗戦がまるでできていなかった。


 最奥に布陣していた軍は、そもそも精鋭ではなく予備兵力に近い。

 戦う心構えも薄く、浮足立つと規律を取り戻すことはできなかった。


 一方、前面に近い位置に布陣していた猪狄(いてき)の兵たちは、夜襲に立ち向かうべく、上下の指揮を保ちながら、反抗の準備を整えていた。


 しかし、敵に立ち向かおうとした兵は、逃げ出してきた兵に足を取られ、押し流される。


「しっかりしろ、引き返して戦え!」


「ふざけるな、殺す気か!」


「味方に槍を向けるのか!」


 襲撃者に立ち向かうために、陣の奥に進もうとする兵と、逃げ出そうとする兵の間で、小競り合いが起きる。


 その間にも、火の手は左右に広がり続ける。

 崖の上からは、ひっきりなしに銅鑼が鳴り続ける。


 浮足立った兵たちの一群が、ついに陣の前面にしかれた逆茂木を押し倒して、外に逃げ出した。


 一部が逃げると、後は抑えがきかなくなる。


 防護柵は、内側から人馬に押し倒されて無効化された。


「いかん、押さえろ、陣を組め! 整えろ!」


 猪狄(いてき)の士官たちは、上官の指示を待たずにそれぞれが部下を統率するべく、叫び続けた。




***




 草原の夜が明ける。

 東から空が赤く染まり、静かにそのときを待っていた大軍を照らした。


 八万の軍を率いる征乾(せいかん)将軍、狼奇(ろうき)は、敵陣の奥から火の手が広がるのを、じっと眺め続けていた。部下たちのまだかまだかという視線を三十分以上跳ねのけていた彼は、ようやく手を挙げた。


「よし、行くぞ」


 軽くそう言うと、狼奇(ろうき)は馬上で笑った。



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