表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第四章 西域会戦
28/81

27.敵陣を望んで



 青い大平原を、五月の風が渡る。

 まだ丈の短い草が風にあおられて波打ち、ざわめいていた。

 小高い丘陵から、馬に乗った武将たちが北を望んでいた。


 見渡す限り続く広大な平野は、突如垂直に立ち上がったような険しい岩山に遮られる。

 天に届く屏風のように大草原を南北に隔てるこの峨峨(がが)たる山々を、乾坤(けんこん)山脈と呼ぶ。


 王都、冠城(かんじょう)から十三公里(キロメートル)の西、乾坤山脈を背後に猪狄(いてき)の軍、五万五千の布陣が見えた。


「王都からは何と」


 赤毛の馬に乗った朱苛(しゅか)が鋭く尋ねた。


 二十一の女将軍は、赤い縁取りの黒を基調とした軍装に身を包んでいた。

 背筋がぴんと伸び、頭頂部で一つに括った長い黒髪が、馬の尻尾のように揺れる。


沈約(しんやく)はまた冠城(かんじょう)の門を閉めたぞ。最低限の補給はできたがな。門を開けるや否や、逃げ出す準備をしていた貴族や商人たちが大門に殺到するものだから、城内の民衆が浮足立ってたまらんとな」


 単眼の望遠鏡で敵陣を見ていた烈侯梁桀(りょうけつ)は、軽く笑ってそういうと、娘に望遠鏡を投げた。どっしりとした体で危うげなく馬を操っている。


 馬上の上体を崩すことなく、朱苛は飛んできた望遠鏡を受け止めた。


「で、親父、作戦はどうする」


 烈侯の隣に馬を寄せた狼奇(ろうき)が父に訊いた。

 二十三歳の息子は、暗い紅に、黒い縁取りが付く軍装だった。

 構えることもなく肩の力を抜いた堂々とした姿ではあるが、どこかやさぐれた風情がした。


 烈侯は目を細めて、自慢の息子と娘を見た。


「それはお前らに任せる。まあ、上手くやれ」


「ちょっと待てよ、あんたが総大将だろうが」


 父の無責任な言葉に、狼奇は顔を歪めて抗議した。


「そうだ、わしが総大将だ。だからな、考えなければならんことが山とあるんだ。臨王軍、臨采侯軍をどうやって牽制する。次の戦、王都を解放するときの総大将は誰であるべきか。あるいはなぜ猪狄(いてき)は今、このときに、我が国の首都にまで進攻してきたのか。奴らは王の墓参を知っていたのか、とかな」


 野太い父の声を、狼奇と朱苛は黙って聞いた。


「いいか、敵軍を退け、王都を解放したものが、この国を支配するだろう。狼奇が王とならない限り、我々烈侯一族は、朝敵として粛清される可能性が高い。今、この国で最も大きな軍事力、財政力を持っている」


 朱苛がとがった声で父に言う。


「私たちは王朝に敵対行為などしておりません。朝敵として罰することができるような証拠はありません」


「証拠だと? そんなものは後から作ればいい」


 吐き捨てるように烈侯は答えた。


「全くお前はいくつになったんだ。しっかりしろ。お前たちの将軍としての能力については、微塵も心配はしておらんがな。朝廷の考え方、謀略に疎いのは考え物だ。どんなことでも裏の裏まで考えろ。やり直しは効かないんだ。万の兵より、一人の謀略が勝つことがある」


 息子と娘を交互に烈侯は睨みつけた。

 兄妹は表情を消し唇を噛んで父を見た。


「狼奇、朱苛、いいか、我々の軍で、猪狄(いてき)の主力をつぶせ。武信公が武勲を求めているから、多少は流せ。臨王軍の数は減らした方がいい。ただし、誰が見ても明らかに我々が敵を倒したとわかるようにやれ」


 総大将の命に、狼奇は片方の眉をあげ、軽く頷いた。


「了解。朱苛、策を立てるぞ」


「はい」


 兄妹は馬を並べ、丘陵から敵陣を見下ろした。

 二人の背中を見つめ、烈侯は考える。


 四月、西方国境近くにある陵墓で(しゅん)燕亥(えんがい)を殺害した猪狄軍は、そのまま西へ進み、王都を包囲した。


 舜国南方から討伐軍が北上すると、猪狄は王都の包囲を解いた。

 王都の城壁と討伐軍に挟撃されることを避けるためである。

 王都の城内には烈侯が残した沈約(しんやく)を将とする一軍が残っている。


 北の乾坤(けんこん)山脈に背を預け、猪狄は南に向かって布陣している。

 討伐軍は当然のように、北に向かって陣を作った。


 舜国討伐軍は、烈侯を総大将とし、臨王軍五万、烈侯軍八万、臨采侯軍二万の合計十五万。

 対する猪狄は五万五千。敵に勝目は見えない。


 烈侯はどうしても気になっていた。

 なぜ猪狄はこれほど不利な戦いに挑むのか。


 丘陵から烈侯は敵軍と自軍の布陣を見渡した。


 青い草原、大河の水を引き入れた水田、放棄された耕地の中に、円を描き、あるいは方形に天幕が立ち並ぶ。地上の兵たちは、蟻のようにせわしく、休みなく動いていた。


 ただ命令に従い動くだけの者もいれば、自らの野心と考えをもって動く者もいるだろう。

 この中の誰が、どのような策を立てているのか。


 人でしかない身には、知るすべもなかった。




***




 猪狄(いてき)の陣には、不安と不満が渦巻いていた。


 三月に故国を出発し、四月に舜国の王を討った。

 その余勢を駆って首都、冠城(かんじょう)に攻めあがったのは良い。

 しかし、その後の展開には多くの者が首を傾げた。


 王の首ばかりでなく、長男の王子、有力諸侯である采侯の首を門前に並べても、王都を守る将は降伏しなかった。

 高い城壁、深い堀に守られた王都を攻め落とすことは非常に難しい。

 事実、彼らは一ヶ月ただ包囲をするしかなかった。


 南からやってきた舜国の討伐軍と戦うためには、王都の包囲を解いて移動するしかなかった。

 王都の城壁前にいては討伐軍と城内の兵とに挟撃されてしまう。


 猪狄(いてき)軍は険しい山脈に背を預け、切り倒した木の先端をとがらせ、南に向けて並べた。

 いわゆる逆茂木(さかもぎ)を防護柵とし守りに入っていた。

 兵数の劣る不利はいかんともしがたかった。


 ただ軍を率いる赤虎将軍は、気概と自信に満ちていた。


 多くの武官たちは、内心不満に思うことはあっても、将軍の勘気を被ることを恐れ、ただその指示に従っていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ