25.兄と妹
四月の昼下がり、窓から差し込むのどかな光を、狼奇はまぶしそうに眼を細めて見た。
その黒い目には、窓から見える庭ではなく、九年前の光景が映っていた。
「お互いに兄、妹がいることを知らなかったんだ。さあ、今日からお前たちは兄妹だぞ、仲良くしろ、と言われて、はい、そうですか、と言う子供などいない」
父に裏切られた衝撃と憎しみに歪んだ十歳の少女の顔を、狼奇はありありと思い出すことができた。
「どうして突然そんなことになったんだい」
皓之が興味深げに訊いた。
「単に俺の母親が死んだんだ。愛人が死んで、息子が遺った。それで親父が連れて帰ったってわけだ。俺たちも驚きだが、朱苛の母親がね、愛人の存在を知らなかったものだから、そりゃもう上を下への大騒ぎさ」
初めて目にする壮麗な屋敷、数多くの使用人、きらびやかな調度。
十二歳で前触れもなく放り込まれた贅沢で豪華な見知らぬ世界に、ただ呆然と立ち尽くしていた自分。
「朱苛を産んだ後、奥方はもう子供は望めなくなったそうだ。で、朱苛が女ながらに父の跡を継ぎ、烈侯となるのだと、武芸勉学にしゃかりきに励んでいたんだな。そこにいきなり兄の登場だ」
他人事のように、軽く狼奇は言った。
かつての胸の痛みはまるで感じない。
随分と遠いところに来てしまった。
「なるほどね。それは大変だ。君は父親が烈侯だと知っていたのかい」
友人の問いに、首を振る。
「いや、王都の北の方に住んでる役人だろうと思ってた。割合身軽に一人でふらりと来てたんだよ、親父は。家があったのは大して柄の良い場所でもなかったんだがな」
「それで、君の言葉遣いは庶民風なわけだ」
「残念ながら、上つ方のお上品な話し方は真似をしようという気にもなれなかったな」
優しく微笑みながら当てこすりや嫌味を言う。
それの何が品なのか、狼奇には今でもわからない。
「わかった気がするよ」
急に表情を改めて皓之が言った。
椅子に浅く座りなおす。
「何が」
「君は異様に末端の兵士や役人に人気がある。そのくだけた話し方に親しみを感じるのかと思っていたのだけれども、それだけではなくて育った環境の類似性が共感を呼ぶんだろうな」
「そんなもんかね」
軽い調子で答える狼奇に、皓之は低く告げた。
「最近、ずっと考えているんだよ。次の王に誰がなるのかと。神玉のことがなくても君が王になるかも知れないな」
「は?」
青い瞳で真っすぐに友人を見つめながら、皓之は続けた。
「大学で読んだ支配形態について、というかなり古い論考をね、この間、思い出したんだ。なかなか興味深いものでね。曰く、正当性を持つ支配形態は突き詰めると三種類しか存在しないそうだ」
滑らかに低い声が、部屋に響く。
「官僚的支配、家父長的支配、そして教祖英雄的支配」
そこで言葉を切り、効果を上げる。
「どの国家もこの三つの要素の組み合わせで成り立っているというわけ。どの要素をどれぐらいの比重で使っているか、ぐらいの違いしかないというんだね」
少し声を高くする。
「私は考えたんだ。確かに我が国には、登用試験に基づく官僚がいる。長子相続を基本とする王家がある。そして、神玉の声をきく斎女が王権に神性を与える。なるほど図ったように上手くできていると」
狼奇は黙って聞いていた。
「実のところ、なぜ斎女の選定が必要なのか、私にはいまいちわかっていなかったんだ。王の息子が後を継ぐ、その古代からの慣習があれば、神玉などいらないだろうと思っていた」
皓之の声はまた明るくなる。
「しかし調べてみると、古今東西、多くの国家が宝珠を持っていた。神剣であったり、宝玉であったり、錫杖あったりその形は国によって様々だが、機能は変わらない」
皓之は人差し指を立て、天を差した。
「宝珠によって神から、あるいは天から王に国家を支配する正当性を与えられる。王族、貴族は人口の一厘もいない。人の九割九分九厘までを占める民衆に支配の正当性を示すにはなんらかの宗教的要素が必要なんだろうね」
「猪狄には神玉みたいなのないだろ、確か」
狼奇が指摘する。
「ないね。代わりと言ってはなんだけどあそこは選挙がある。確か国名に共和国がついていたはずだ。うちの国では誰も敵を正式名称なんかで呼ばないけど。宝珠がなくても民衆の支持が選挙で担保される。選挙で大衆を熱狂させる雄弁家が英雄となるんだろうね」
友人を見て皓之は笑った。
「君には人間的魅力も軍事的能力もある。血統による正当性がなくともその気になれば英雄として玉座を取れるだろう。始祖高元のようにね。今、神玉を必要としているのは、むしろ王家だろうな」
「俺は王になるつもりなんかないんだが」
あからさまに不機嫌に狼奇は言った。
「そうだろうね、君はね」
軽い笑いと共に、明るく皓之が受ける。
「ただ、一族郎党の命がかかったら、そんなことも言っていられなくなるよ。きっと」
父の跡を継ぎ臨采侯となった男は、不敵に笑った。
***
自分の拠点としている屋敷に帰ろうとする皓之を、狼奇は見送りに出た。
二人が廊下を歩いていると、馬房の方から朱苛が馬を引いてきた。
「おや、朱苛、お出かけかい」
「ええ、今日はいい夕焼けになりそうだから、近くの遺跡まで、赫星号と遠駆けに行こうかと思いまして」
朱苛は珍しく優しげな笑みを浮かべ、愛馬の首を撫でた。
馬も長い首を朱苛に寄せる。
「へえ、近くに遺跡があるのか、知らなかったな。私も行きたいな」
笑顔で皓之にそう頼まれて、断ることのできる者は少ない。
「構いませんが、服と馬はどうなさいます」
皓之は後ろを振り返った。
「狼奇、服と馬を貸してもらえるかな」
片方の眉を上げた狼奇は、軽く舌打ちをした。
「仕方ないな、俺も行くよ」
「では、ここでお待ちします」
朱苛を待たせて、狼奇と皓之は着替えに戻った。




