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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第三章 南都挙兵
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22.宴の前



 王家が仮住まいとしている貞固館から鼻歌まじりに出てきた夫曽(ふそ)は、門の前で顔見知りの少年に気が付いた。


 悔しそうに目を袖でこすっている。

 どうやら、泣いているようだった。

 夫曽は出っ張った太鼓腹を軽く叩いて、気軽に近づいた。


「よう、弧張(こちょう)どうしたんだ。なんかあったのか。なんだお前、泣いてんのか」


 夫曽が肩に置いた手を、少年は力いっぱい払いのけた。


「うっせえな。目にごみが入ったんだよ」


 目いっぱいの強がりを言う少年を夫曽は笑った。


「まあまあ、そう言うなよ。ちょうど一仕事終わったとこなんだ。話を聞かせろよ。どうだ、ちょっとうちに寄っていけ。甘いもんでも食わせてやる」


 道に待たせていた馬車に夫曽は乗った。

 少し迷って弧張も飛び乗る。

 夫曽が御者に合図を送ると、馬車はのんびりと動き出した。


「で、どうしたんだ。貞固館になんか用事があったのか。お前も知ってるだろ? あの屋敷には王都から逃げてきた王家の王子様とか、王宮の偉いさんがいるんだから、下手に近寄ったらどやされるぞ」


「そんなの知ってるよ。狼奇(ろうき)の旦那から、王子様の話相手してやってくれって言われてわざわざ行ってやったんだよ。なんか俺が年が近いからって」


 弧張の話に夫曽は頷いた。

 確か文成公(ぶんぜいこう)は十四だったはずだ。


「でさ、王子様の話相手に来たっていったら、そんなわけないって、お前みたいな小汚い田舎街の子供がって、王都から来てるみたいな女に滅茶苦茶高飛車に言われてさ、むかついてさ」


 思い出したのか、また目が赤くなってきた少年の肩を夫曽は抱いた。

 何度も大きく頷く。


「そうか、そうか。それはひどい目にあったな。俺もよーくわかる。わかりすぎる」


 大げさなまでに同情を示して夫曽は言った。


「いいか、弧張、俺もな。ついさっき、宴会のための酒やら干菓子やらをお屋敷に納めてきたとこなんだよ。そのな、宴会を仕切ることになってるらしいお役人の偉そうなこと、偉そうなこと」


 弧張も興味をひかれたのか、夫曽の顔を見る。

 涙はすっかり乾いてしまった。


「ごみを見るような目で俺を見てさ、前に試しに持ってった酒とか菓子とかつまんでは、一言もほめずにひたすらケチばかりつけやがる」


 そこで夫曽はぐっと声を落として、弧張に顔を近づけた。


「あんまりにもむかついたんで、普通の値段の三倍で売ることにしたんだ」


 弧張は目を見開く。


「あの手の奴らをだな、人間だと思うから腹が立つんだ。そうじゃなくて、あいつらは金貨なんだよ。いや、銀貨でもいいがな。俺たちはあいつらに頭を下げてるんじゃなくて、お金に頭を下げているんだ! そう思えば何も悔しくはない。だから目いっぱい金は取る!」


 拳を握りしめて高い声で叫ぶ夫曽を、呆れたように弧張は見上げた。


「でもさ、そんなことしたら夫曽の旦那じゃなくて、他の商人から買っちゃうんじゃないの」


「弧張、俺を誰だと思ってる。この江邑で俺ほど顔の広い商人などいやしない。皆であらかじめ口裏合わせておくに決まってるだろ。あの役人はどこから買っても値段三倍だ!」


 したり顔で夫曽は何度も頷き、満面の笑みを弧張に向けた。


「これが大人のやり方だ」


「俺、そこまでやりたくないなあ」


 少年はぼそっと感想を述べた。

 夫曽にその声は聞こえない。

 少年の肩を情熱的に抱いて、夫曽はありがたい忠告を続けた。


「いいか、弧張、仲間は大切だ。人脈が商売の基本なんだ。お前も一緒につるんでた下町の仲間がいるだろう。いくら狼奇(ろうき) の旦那の世話になってるからって、昔の仲間と切れちゃいかんぞ」


 ふと思いついて弧張は夫曽を見上げた。


「ね、下町の仲間たちをさ、まとめとけばいつか狼奇(ろうき) の旦那の役に立つかな」


「立つぞ。それは間違いない。よそからやってきた連中は土地勘がないからな」


 急に元気になった少年は立ち上がった。


「わかった、ありがとう。夫曽の旦那」

「おい、弧張、危ないぞ」


 弧張は一つ笑うと、動いている馬車から身軽に飛び降りた。




***




 薄暗い廊下を歩いていた伯洛(はくらく)は、侍女に呼び止められ立ち止まった。


「何か」


「あの、先ほど文成公(ぶんぜいこう)をお尋ねして、身元の怪しい街の少年がこの館に参りました。公のお名前を口にしておりまして。なぜあのような者が知っているのか、気持ち悪くもあります。どうぞお気をつけ下さい」


 侍女はいかにも心配そうに伯洛を見た。

 伯洛は薄い色の目を見開いた。


「もしや、征乾将軍が私の話し相手として送ってくれた少年ではありませんか」


「えっ、確かに将軍のお名前を挙げていました。でもまさか本当のこととは思わなくて。全くその整っていない風体で」


 思わぬことに侍女は狼狽する。

 伯洛は細い指を口に当てた。


「困りましたね。将軍には私から話をしておきます」


「あ、はい、申し訳ございません」


 先を急いでいた伯洛は、恐縮する侍女をそのままに歩きだした。

 しかし、目的地に着く前に、またも声をかけられてしまう。


「おお、伯洛、ここにいたか」

「お兄様、何か」


 大股に足音も高く近づいてくるのは、臨王となった兄、幹蒙(かんもう)である。


「何かじゃないだろう。もう宴が始まるぞ。お前がいなくてどうする」


「宴の前にお母様のご機嫌を伺いに行こうと思いまして。最近、ずっと臥せっていらっしゃいますので」


 弟の言葉に、幹蒙は太い腕を組んで頷いた。


「なるほど、そうだな、お見舞いをせんといかんな。俺も行こう」


 二人が王后昭蝉(しょうぜん)の部屋に入ると、そこには先客がいた。

 その姿に二人は目を見張った。


 部屋の中央に置かれた寝椅子に、昭蝉が横たわっていた。

 やつれてはいながらも王の喪に服した漆黒の衣装が、昭蝉の美しさを際立たせていた。


 しかし、幹蒙と伯洛を驚かせたのは母ではない。


 寝椅子の前に膝をついて座る金髪の若い女性がいた。

 やはり黒い喪服に身を包んでいた。

 白く秀麗な顔、波打つようにうねり、背を覆う美しい金の髪が、黒い服地の上で輝くように眩しく見えた。


「ああ、伯洛、それに幹蒙。来てくれたのですか」


「お母様、お加減はいかがですか」


 伯洛の言葉に、昭蝉は力なく微笑んだ。


「あまり良くはないのですが、媚白(びはく)が来てくれたので、気持ちがずいぶんと楽になりました」


媚白(びはく)


 伯洛の声と視線を受け、寝椅子の前の絨毯に座っていた金髪の女性が立ち上がり、二人に向き直った。

 上品に微笑むその顔は、天上の女神のようだった。


「初めてお目にかかります。武信公、文成公。采侯淳于(じゅんう)の娘、媚白(びはく)と申します」


 空気に溶ける柔らかな声、落ち着いた流れるような所作で挨拶をする。

 昭蝉は目を細めてそれを見た。


「二人にはまだお話をしておりませんでしたね。実は媚白はあなた方のお兄様、馮英の妻となるはずだったのです。立太子式が終わった後に、婚約を発表しようとしていたのですが、このようなことになってしまって」


 少し顔を曇らせる媚白を、昭蝉はいたわしげに見た。


「お父様である采侯と婚約者を一時に失ってしまうとは、なんて可哀そうな」


「いいえ、昭蝉様のお心の痛みに比べれば」


 寝椅子を振り向いた媚白が、膝をついて、昭蝉の手を取った。

 目に薄く涙をたたえた二人の美しい女性が、互いの手を握り合う。

 まるで聖堂の絵のようだと伯洛は思った。


 部屋に入ってから一言も口を開いていない兄を、伯洛は何気なく見上げて驚いた。


 幹蒙は衝撃を受けたように、薄く口を開いたまま媚白を見つめ立ち尽くしていた。




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