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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第三章 南都挙兵
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21.女の装い



 太守公邸の中庭に降りる階段に狼奇(ろうき)は座っていた。

 水を片手に、ぼんやりと霞がかった空を見上げていた。

 すでに日は、中天に差し掛かろうとしている。


 庭に面した廊下の向こうから、狼奇を見つけた少年が走ってきた。


「狼奇様、今起きたの? 遅すぎない?」

「ほっとけ」


 飛び込むように隣に座って体をぶつけてきた弧張(こちょう)の頭を狼奇は片手でかき回した。


「何すんだよ、もう。仕事しなくていいの? 皆出かけちゃったよ」


 ぐちゃぐちゃにされた髪を手で直しながら、弧張が訊く。


「上が迷走してるのに、下が何すんだよ。どいつもこいつも忙しいふりしてるだけか、さもなきゃ単なる馬鹿なんだろ」


 重くため息をつくと、気を取り直したように明るい声で狼奇は弧張に訊いた。


「なあ、弧張、なんか面白い話ないか。こうぱっと気分が晴れるようなの」


 少年はいかにも難しそうな顔をして腕を組んだ。


「うーん、そうだねえ」


 何かを思いついたのか、笑顔で狼奇を見上げる。


「あっ、そうだ。夫曽(ふそ)の旦那がね、最近にたにたして角の主計所に出入りしてるよ」


 狼奇は首をかしげた。

 主計所では租税の管理を行っている。

 細かい計算作業が多く力作業はないため、王都と同じように江邑(こうゆう)でも多く女性たちが働いていた。


「なんだ、主計所に女でもできたのか」


「んなわけないじゃん。あのおっさんに金より大切な恋人なんてできるわけないよ」


 十二の少年にそう断言される商人に、狼奇は少なからず同情した。


「じゃなんでまた主計所に。税金なんてできる限り払わないように役所から逃げ回ってる奴だろうに」


「最近主計所で、王都から逃げてきた人たちが働いてるでしょ。だからあそこで冠城(かんじょう)っぽい服が流行ってるんだって。主計所の人たち相手に、冠城っぽい服を掛けで売ってぼろもうけしてるみたい」


 驚いて狼奇は確認する。


「ちょっと待て、服を掛け売り? 借金してまで買ってる奴がいるってことか?」


「そう。現生じゃないから利息が取れるって。それがえらい儲かるんだってさ」


 急に深刻な顔をした狼奇を、少年は不思議そうに見上げた。




***




 突然やってきた狼奇に、主計所の所長は度肝を抜かれた。

 狼奇は江邑の太守であり、主計所の長官の上司の上司の、そのまた上司になる。

 雲の上の高官であり、大貴族の息子である狼奇に睨まれるようなことをしてしまったのだろうかと、所長は完全に動転してしまった。


「あの、その、太守様、いえ、将軍。主計所の仕事に何か問題がございましたでしょうか」


 狼奇を応接室に通し、所長は祈るように両手を組んで狼奇に訊いた。

 狼奇はだるそうに椅子に腰をかけると、人好きのする笑みを浮かべた。


「いや、大したことじゃないんだけどさ。最近、王都から来た官吏が働いているんだって? 上手いこと馴染んでいるのか?」


 心からほっとしたように、所長は答えた。


「ああ、そのことですか。ええ、ええ、冠城の中央主計局の人たちがですね。冠城から逃げてきたはいいけど、やることがないので手伝うと言ってくれましてね。いやあ、大変助かっておりますよ。やはり知識も経験も違いますからね。本当に、目が覚めるようなお仕事ぶりでして。いつもなら一ヶ月かかる仕事が、一週間で終わってしまいましたよ!」


 安心したら、一度に饒舌になった所長が、勢いに乗ってとうとうと話す。

 狼奇も愛想よく笑った。


「そりゃ良かった。俺もこの街に来て一ヶ月経つんだが、現場の官吏と話が出来てない。この主計所の務めが長い女の下級官吏を何人か呼んでくれないか。話が聞きたい」


「えっ、それはその、私の管理に何か問題があるとか投書があったんでしょうか?」


 せっかく安心したばかりの所長の顔色が、また真っ青になった。


「いやいや、そうじゃねえんだ。俺の評判がききたいんだ、わかるだろ?」


 狼奇がいわくありげに片目をすがめて見せると、得心がいったのか所長が満面の笑みを見せた。


「ああ、ああ、わかりました! わかりました! お任せください。若い子を呼んできます。私も席を外しますから」


 笑顔で何度も頷くと、所長は軽い足取りで応接室を出て行った。




***




 集められた五人の女官吏たちが、不安そうにお互いを見ていた。

 仕事中に来客用の部屋に集められるとは、一体何か悪いことをしたのだろうか。


「仕事中に呼び出して悪いな、皆、座ってくれ」


 上座に座った狼奇は、気取らない風情で官吏たちに声をかける。

 一月ほど前にやってきた、江邑(こうゆう)の新しい太守であることは、皆知っていた。

 砕けた口調で人好きのする笑みを浮かべた狼奇に、五人の娘たちは安心して浅く椅子に腰かけた。


 狼奇は、目の前に座った五人の女を見た。

 年のころは二十から三十近くまで。

 確かに、冠城で見る襟の詰まった、くすんだ色合いの服を着ている。

 南方の江邑では、首まわりが大きくあいた風通しの良い色鮮やかな服が主流だった。


「最近さ、その手の冠城の服が流行ってるって聞いたんだが、本当らしいな。掛けで買った者はいるか」


 狼奇は声を和らげて、笑みを浮かべて訊いた。

 官吏たちはお互いの目を探るように見ながら、ひとり、ふたりと手を挙げる。

 結局、五人全員が手を挙げた。


「そうか、わかった。なあ、別に何着て仕事しようが構わんのだが、借金をするために働いているわけじゃないだろ。なぜその服が欲しかったんだ」


 女たちはお互いの顔を見合わせて、何も言わずに視線を床に落とす。

 狼奇はできる限り優し気に笑った。


「な、俺も色々あってな、口のうまいあこぎな商売人の懐を肥えさせる一方なのは面白くない。夫曽(ふそ)のあの太鼓腹を更にでかくすんのもなあ。だろ」


 笑みに誘われるように一人が、恐る恐る口を開いた。


「その、最近来た人たちがそういう服着てたから」


「そうか、最近冠城(かんじょう)からこっちに逃げてきた中央主計所の連中もここで働いているんだったな。まあ、何もしないより、働いた方が気がまぎれるし、お前らも仕事減って助かるだろ」


 気軽な口調で狼奇が言う。

 しかし、わずかに不満そうな顔で女は答えた。


「助かるって言う感じでもないけど」


「なんでだ。冠城のほうが扱う金額も税種も多い。お前らの役に立つだろ」


「色々知ってるのは確かなんだけど、なんかね、こんなのも知らないのかって態度がひどくって」


「そんな偉そうなのか」


 狼奇のあからさまな表現に、口を閉じていた他の女官吏たちが次々と話出した。


「そう、ほんとそう」

「ねえ、ひどいよね」


 想定していたものとは違う問題にぶちあたり、狼奇は内心頭を抱えた。

 表面上は、にこやかに女たちの話を聞く姿勢を取る。


「大体、同じ仕事してるのになんであの人たちとお給金が違うの」

「私もそれおかしいと思う」

「先例や例外規定を知ってるからって言うけど、私たちに教えないようにしてるよね」


 主計所に問題があることはわかった。

 しかし、それがどうして借金をして服を買うことにつながるのか。

 さっぱり狼奇にはわからなかった。




***




 女官吏たちを部屋から返すと、狼奇は替わりに王都からきた官吏たちを呼び出した。

 三人の若い女たちが部屋に来た。

 仕事中に呼び出したことを詫び、状況を訊いた。


 彼女たちが、冠城の服を着ているのは、自分が持ってきた服であるし、わざわざ江邑で服を新調する必要がないからだ。


 給金は、王都と同じ金額になっている。

 単に冠城と江邑では基本的な給金の基準が違うのだ。


 先例や例外規定は冠城ならば、文書があるのでそれを示せばよいが、ここでは資料がないから、口で伝えるしかない。いちいち今から手順書なり指示書なりを作るのは手間でしかない。


 狼奇としては、いちいちもっともだと思うしかなかった。




***




「頭、痛いな」


 太守公邸の中庭に降りる階段に、狼奇はだらしなく座っていた。

 規則正しい足早な靴音が聞こえたかと思うと、中庭を囲む廊下から冷たい声が降ってきた。


「兄様、お仕事はどうされたのですか。太守府では今日丸一日太守が来ないと嘆いていましたよ」


 座ったまま見上げると、朱苛(しゅか)がいた。

 きっちりと男物の服を着込んだ妹に、狼奇は助けを求めた。


「お前、いいところに来たな。ちょっと相談に乗ってくれないか」


「私で良いのですか」


「お前がいいよ、この場合」


 狼奇は妹に主計所の問題を話して聞かせた。

 階段の隣に座った朱苛は、無表情にそれを聴いた。


「なあ、どう思う。なんで借金してまで服買う。何のために働いているんだ、あいつら」


 朱苛は夕焼けが広がる空を見上げ、口を開いた。


「昔、私が大学にいたとき、似たようなことがありました」


 狼奇は驚いて妹を見た。


「ある年、私は主席を取りました。父様がそれを喜んで、王都で一番の仕立て屋を連れてきたのです。後日山のように、上等な服が、それこそ王宮の官吏が着るような服が届きました。袖を通さないわけにもいかないので、仕方なく着ておりましたが、日を置かず同級生が似たような服を着るようになったのです。かなり高額な服であっただろうにも関わらずです」


 淡々と朱苛は話した。

 狼奇は深々とため息をつく。


「ろくなことしないな、あのおっさん」


「様々なことがありました。いちいち申し上げても仕方のないことです。結局のところ、私は男の服を着ることにしました。それですべてが収まりました」


 全く感情を見せない朱苛の冷たい言葉に、狼奇は頭を振った。


「なるほど」


 一呼吸置くと、わざと明るい声を出した。


「なあ、制服作るってどうかな。皆、同じ服を強制させるんだよ。そうすりゃ面倒ごとは起きないだろ」


 朱苛はかすかに微笑んだ。


「大学の図書館で、昔の事例を読みました。ある国で国民すべてに同じ服を強制したそうです。人は皆、平等であると」


 朱苛は淡々と話を続けた。


「服は勿論、髪型までも一つの種類に決まっていました。ところが、女学生たちはそれに満足しなかったのです。袖の長さをどうするかで差をつける。あるいはおさげの三つ編みを、いくつ編むか、三つか、四つか。更には、編んだ先の垂らす髪の長さをどうするか。流行が生まれ、それを競ったそうです」


 狼奇はため息をついた。


「闇が深いな、おい」


 朱苛は笑った。

 狼奇は、妹がこれほど明るく笑うのを久しぶりに聞いた。


「おそらく、本当の問題は服ではありません。でも、女の服を捨てれば、その問題から逃れることができます。全く関係がないわけではないのです」


 申し訳なさそうに妹は言った。


「主計所の問題をどうすればいいのかは、私にはわかりませんが。兄様とて女官吏に男装をしろとは言えないでしょう」


「まあ、そうだな」


 狼奇は軽く笑って頷いた。


「だがわかった気がする。助かったよ」


 立ち上がり、片手をあげて去っていく兄の背を、朱苛は不思議そうに見上げた。




***




 数日後、狼奇は朱苛と馬を並べて、太守府へ向かっていた。

 朝早くの役所通りに向かう大通りは、大勢の出勤する官吏たちが行きかっていた。


「よう、おはよう」


 狼奇は主計所の女官吏を見つけて、馴れ馴れしく声をかけた。

 歩いていた女官吏は、突然馬上から声をかけられたことに驚いて振り返る。


「えっ、太守様?」


 驚く相手に構わず、狼奇は親し気に話かけた。


「どうだ、主計所の仕事困ってないか。冠城の連中、別の部署の応援に行ってもらったから、そっち人が減っただろ」


 女官吏は狼奇の気安さにつられたのか、思わず本音を漏らしてしまう。


「問題なんてありません。だって、元々いなかった人たちなんですから」


 つんと澄ましてそういう女官吏を狼奇は笑った。


「そうか、良かったよ。安心した。それにさ、やっぱその江邑っぽい服いいな。俺は好きだよ」


 その瞬間、女官吏の顔が固まる。


「は?」


 不審な目で見上げられ、失敗したな、と狼奇が心の中で舌打ちをしたとき、隣から冷たい声がした。


「兄様」


 手を振って、女官吏を先に行かせる。


「朱苛、わかってる。わかってるから、何も言うな」


 兄の懇願を無視して、朱苛は低く言い捨てた。


「父様に良く似てきましたね」


 馬上で狼奇が身もだえる。

 うめき声をあげ、顔を馬の首に押し付けた。


「ああ、最悪だ! 最悪だ! もう立ち直れない!」


 心の痛手に頭を抱える主人を乗せたまま、馬は前に進んでいく。

 朱苛もため息をついて、馬を進めた。




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