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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第三章 南都挙兵
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20.軍議



 太守府において軍議が始まってすでに二時間が経過していた。

 薄暗い部屋に集まった武官、文官は二十人ほど。

 どの顔も疲労の色が濃かった。


 奥の上座に座った文成公(ぶんぜいこう)伯洛(はくらく)は、静かに息を吐いた。

 十四の少年は、この場で飛びぬけて若い。

 彼はまだ一度も発言をしていなかった。


 兄、武信公幹蒙(かんもう)から余計なことは口にしないようにと予め釘を刺されていたこともある。しかし、何よりも彼自身が言葉を挟む気にもなれなかった。


 伯洛が理解できる範囲で、この二時間の議論は全く前に進んでいない。

 絶え間なく雄弁に左右に座った出席者が論を戦わせている。

 だがその論は、一進一退どころか、唐突に振り出しに戻ることがあった。


 この人たちは一体何を話しているのだろうか。

 できるものなら、貴方方は議論を進める気があるのですか、と聞いてみたいと少年は思った。

 手汗を白い手巾(ハンカチ)で拭き、そのまま布を握りしめた。

 伯洛の体調は悪く、軽く眩暈を感じていた。


 王都冠城(かんじょう)を包囲している猪狄(いてき)の軍勢は五万を超えるという。


 敵勢の三倍から五倍の兵力をもって攻めるのが常道である。

 ここ江邑(こうゆう)近辺に集まっている王の軍が五万、烈侯の軍は十万、采侯軍が三万となる。

 一軍だけを出すと、猪狄(いてき)を討つに兵力が足りない。

 しかし、二軍、あるいは全軍を出せば、誰が総大将となるのかが問題となる。


 兵の数だけを見れば、烈侯を総大将として推すべきと言える。

 だが、王軍とともに武信公が出陣するのであれば、武信公が総大将となるのが筋である。


 どの軍を出すのか、だれが総大将となるのか。

 議論は遅々として進まない。


 太い腕を体の前で組み、話を聞いていた烈侯が声を上げた。


「そもそも、王軍、五万は確かか。先に冠城周辺から逃れる際、猪狄(いてき)の追撃にあったと聞く」


「確かに追撃の他、逃げ出す者もあり、一万は減りました」


 長身痩躯の老人が低く答えた。

 歴戦の王家の将軍、呂馬(りょば)である。


 その場に重苦しい沈黙が降りた。

 唐突に、明るい声が上がった。


「兵数については、なんらご心配に及びません。南方の王領において、各戸より一人ずつ徴兵を行っております。近隣よりすでに千を超える兵が集まっております」


 滑らかに歌うようにそう言った男は、宰相の下官の董辰(とうしん)である。


「まて、徴兵したばかりの兵を連れていく気か」


 低く狼奇ろうきがそれをとがめた。


「確かに素人を戦場で戦わせるのはご心配でしょうが、その数、五分の一です。古兵四に対して、新兵一とすれば、十分に使えるでしょう」


 笑みを浮かべてそう答える董辰(とうしん)に、狼奇(ろうき)は地を這う声で無表情に訊いた。


「なあ、あんたは兵を率いたことがあるか」


「は? わたくしは文官でございます」


 場に似つかわしくないぞんざいな口調に、董辰は細い眉をひそめ、神経質に答えた。


「あのな、数を合わせれば良いという問題じゃないんだ」


 下から睨み上げるようにして狼奇が続ける。


「その辺から集めた兵に向かって、右向け、右と言ってみろ。何人が右を向くと思う」


 董辰は何も言えない。


「半分もない。三分の一でも右を向けば上出来だ。あとはぽかんとしているだけだ。別にそいつらに右と左がわからないわけじゃない。まあ、中にはわからん馬鹿がいるかもしれないがな」


 狼奇の黒い目が、董辰をじっとにらんでいた。


「命令されたら、何も考えずに命令に従って体を動かす。ただそれだけのためにも訓練がいるんだ。武器を使う以前の問題だ。誰もが言われたら言われた通りに動くわけじゃない」


 一呼吸置き、狼奇は静かに続けた。


「いいか、人間はそういう風にはできてないんだ」


 若くとも歴戦の将軍の言葉に、反論する者はいなかった。

 静寂が場に満ちる。


 伯洛は、空気が変わったと感じた。

 この場を、狼奇が支配していた。


 ――決まったのかもしれない。


 少年は、ゆっくりと出席者を見回した。

 文官たちは不服そうに眼を見かわしている。

 一方、武官たちはある種の信頼を狼奇に置いているように感じた。

 王軍に属する武官ですら、そのような気配がした。


 その後も、議論は二転、三転し中断、結論は後日に持ち越しとなった。

 多くの者は、烈侯が総大将となるだろうと考えていた。

 趨勢(すうせい)は決まったように見えたが、まだ反撃も十分にあり得た。


 散会となった途端、幹蒙は足音高く退出した。

 彼の望むように議論が進まなかったことに、怒りを隠せないようだった。

 残った者たちは、一様にため息をつき、三々五々に退出する。

 疲れた体を引きずり、部屋から出ようとした伯洛に、後ろから声がかかった。


「文成公、落ちました」


 伯洛が振り返ると、狼奇が白い布を手にしていた。

 膝に置いていた手巾の存在を忘れて立ち上がったものだから、そのまま床に落としてしまったのだ。


「征乾将軍、ありがとう」


 伯洛は受け取り、少し笑った。

 何を思ったのか、狼奇が片手で顎をなで、伯洛を見た。


「公、お顔の色が悪い。お疲れでは。軍議は慣れないでしょう」


「そうですね。私は従軍したことはありませんから。しかし、公爵としての責務は果たさねばなりません」


 社交的な笑みを浮かべる伯洛に、狼奇は飾り気もなくぞんざいに言った。


「公はお若い。無理をなさる必要はないでしょう。そういえば、ご学友は江邑に来ていますか」


「いえ、皆、冠城に留まっているようです」


 何を思ったのか、狼奇が明後日の方角に視線を向け、軽く舌を鳴らす。


「うちに口の良く回る十二の少年がいます。江邑の下町で拾ったんですが。どうです、話し相手にでも伺わせましょうか」


 伯洛は驚いた。

 まったく洗練されていない見た目に反して、ずいぶんと細やかな心遣いができる男のようだった。


「将軍、お心遣い痛み入ります。同じ年ごろの者としばらく話をしていません。遊びに来てもらえると嬉しく思います」


「わかりました。元気はありますが、礼儀も何も知らないのは勘弁してやってください」


 軽く頭を下げて狼奇が去っていった。

 伯洛は手巾を手にしたままそれを見送った。


「文成公、ご体調が悪いのではありませんか」


 声を掛けられ、振り返ると王家の将軍、呂馬がいた。

 背の高い老人を見上げ、伯洛は疑問に思っていたことを訊いてみる。


「ありがとう、将軍。大丈夫です。呂馬、少し、訊いてもいいですか。今日の軍議を見て不思議に思いました。文官と武官がまるで違うのはわかっていたのですが、将軍というのもまた他の武官とは随分違うものですね」


 人を圧する迫力、とてもかなわないと思うような強さ。

 黙って座っているだけだった朱苛や皓之からも、伯洛はそれを感じていた。

 もし狼奇や朱苛、皓之を絵に描くなら、色も筆致も似たようなものになるだろう。

 同じ何かが彼らにはある。


「将軍というのは、ただ一人で何万という兵の生死を預かる責を負います。そのためではないでしょうか」


 呂馬は白い髭をなでながら、そう答えた。


「兄上も将軍ですが、違うように思うのです。何がどう違うのか、説明がしづらいのですが」


「なるほど」


 老人は少し考えて少年に答えた。


「彼らは戦乱激しい地にて戦っております。それ故、一度ならず敗北を喫しております。私にも覚えがありますが、敗軍の将としてその責を自らの身に引き受けるのは格別な経験でして、それが人を変えるのかも知れません」


「もっともな話です。しかし、呂馬、兄上も負けたことがおありなのです」


 呂馬は皺だらけの目を少し見開き、一呼吸おいてわざとらしく笑った。


「確かに、確かに仰せの通りです。いや、この私めの勘違いでございましたな。ちょっとすぐにはお答えできかねる難問のようです」


 礼を取り下がる老将軍を見送り、伯洛は貞固館に帰った。

 自室に戻ろうとすると、兄が呼んでいると侍女に言われ、幹蒙の部屋に向かった。


「伯洛、ようやく帰ってきたか。次の軍議の準備をするぞ」


 幹蒙(かんもう)は、闘志を燃やしていた。

 彼はまだ総大将となることを諦めていない。


「兄上、一つお伺いしてもよいですか」

「なんだ」


 少年は笑みを浮かべて兄を見あげる。


「兄上は敗戦の将となられたことがあったでしょうか」


 幹蒙(かんもう)は気まずそうに頷いた。


「ああ、確かにあった。一度負けたな。しかし、あれはだな、軍師が悪かったんだ。相手に裏をかかれるような未熟な策のせいで、一敗地まみれたのは確かだ。だが、すぐに軍師を変えたからな。次は大丈夫だ、問題ない」


「そうでしたか」


 伯洛は微笑んだ。

 呂馬が言わなかったことが、伯洛にはわかった。


 兄は敗軍の将となったことはない。

 彼の心の中では。




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